3000mのちっちゃな山小屋 赤石岳避難小屋管理人の最後の夏【前編】

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南アルプスこと赤石山脈の盟主・赤石岳(3121m)。その山頂直下に立つ山小屋が赤石岳避難小屋だ。この三角屋根の小さな山小屋には、毎年夏の2ヶ月余り、管理人が常駐する。18年にわたって赤石岳の登山者を見守ってきた名物管理人・榎田善行さんは、2022年を最後に、山を下りることにしたが、そのラストシーズンを飾ったのは、標高3000mからのツイートが招いた思わぬ炎上騒動だった。長野県側の麓の大鹿村に住むライターが晩夏の赤石岳を訪ね、榎田さんの思いを聞いた。

文・写真=宗像 充

山頂からの赤石岳避難小屋


「『この人は大丈夫か、天気予報ぐらい見てこいよ』って。避難してきた人が目の前にいるんだから、おれが一番そう思う。それが、避難小屋の親父にあるまじき言動だなんて」

赤石岳避難小屋の管理人、榎田善行さんが8月16日にツイッターに書き込むと(現在は削除)非難が殺到。榎田さんはその後、ネット番組に電話出演して釈明した。榎田さんは18年続けた小屋番を、今夏を最後に相棒の後藤智恵子さんとともに引退する。2人の引退を惜しむ登山者が、毎日赤石岳の山頂めざして2000mの標高差を登ってくる。

榎田善行さん(左)と後藤智恵子さん

 

「天気予報を見ているのか」

―― 7月13日の小屋開けに初めて泊まらせてもらいました。2人を慕って登ってきた登山者で酒盛りになり、智恵子さんがハーモニカを演奏する。ネットの批判とは別世界のアットホームな雰囲気です。悪天続きのお盆の赤石岳は実際どうだったんでしょう。

8月11日に台風が来るのがわかり、この山域から離れるようツイッターで流した。だけどお盆休みが始まったばかりで下りる人はいない。台風当日の13日は、山小屋の中のベンチは全部埋まり、入口付近は20人が立ったまま。カッパがずらっと並んでいるところにさらに20人の団体が来た。座敷にもブルーシートを敷いて、土足、カッパのまま上がってもらって、ストーブを焚く。智恵子さんがお茶を出し、ハーモニカを吹いた。拍手も起きたよ。

小屋に避難して一息つく登山者(写真提供=榎田善行)


14日も別の小屋で待機していた衆が来て満杯。台風一過になるどころか、それから1週間荒れた。でも下界の天気予報は14、15日は晴れマーク。盆休みを消化しようと15日は強引に登る。お盆だから、滅多にアルプスに来ない初心者が来る。山の天気は1mm程度の雨でも、風速20mだとものすごい。16日も朝早くからダダダって降ってるところに登山者がやってくる。小屋の中はビシャビシャで、水たまりができた。


―― それで、「天気予報を見ているのか」って書いたら炎上した。

午後は泊まる人が来て、休み時間がない。そんなのが1週間続いて体調を崩した。通常30人収容のこの小さな小屋に、多いときは70人も避難する。2階の寝床までブルーシートを敷いた。そんなことは想像つかないと思う。

ハーモニカを披露する後藤さん

 

「ガンコおやじ」最後の楽園

ブルーシートを敷くというのは、農鳥小屋の深沢糾さんのやり方を真似た。深沢さんは口は悪くて登山者の間では有名だけど、実際はやさしい。相手を人間扱いして怒ってるよ。でも第一声が「バカ!」だから。

―― 山小屋のおやじって、以前はそれが普通でしたよね。

怖かったね。入口で中の様子をうかがってから入ってみたり。以前は登山者もマナーが悪くて、石を乗っけてゴミを置いていく、ハイマツにつっこむ。毎日山頂に掃除に行っていた。それが、山ガールが現れてからは、マナーもよくて山はきれいになった。山ガールを怒れないから、いっぺんに怖いおやじもいなくなった。若い衆は素直でルールは守るし、来てくれるとうれしい。だからどんな格好でどんな時間に来ても怒んない。


―― それでもガンコおやじは南アルプスにはまだ健在。最後の楽園です。

ここも“ガンコおやじ”と“やさしい智恵子さん”でもってる。おれも、見込みのあるやつはちゃんと怒る。登山者も痛い目で終わればいいけど、それですまないときもある。必要なら小屋に避難する。

登山ってSMの世界だから。もっと早く行けとか、もっと高いとこ行けとか命令する自分がいて、それをできないなんて言いながら自分でやる。何回もそういう経験を積んで登山者として育っていく。

 

「世界一の山小屋」

―― 3000mの山の頂上小屋に泊まる機会は多くない。なのにここはリピーターが多い。

もう日本変態教の教祖ですよ。団体で「変態」Tシャツを買ってくれて、お盆前に800枚なくなった。登山口の椹島(さわらじま)は「変態」一色だったと思うよ。

「変態」Tシャツを着る登山者と榎田さん


以前は、登山者は山頂で引き返していたから、どうやったら小屋まで来てくれるかって考えて、売り物も工夫した。

今はみんな4合瓶とか一升瓶とか酒を担いでやってきて、手土産持ってきて宿泊代払って、その上お土産を買ってくれる。バッジも手ぬぐいも売り切れた。


―― 山にコミュニケーションを求めてきている?

ほかの山小屋だと、ご飯を食べると寝場所に行ってじっとしているしかない。ここはコの字型に座って、狭いから客との距離はゼロ。知らない人同士でもすぐ友達になる。よその山で「変態」Tシャツを着てると「あなたもそこに行ったんですか」と仲間も増える。

スイスやイタリア、海外の山に何度も行ったご婦人が、景色やロケーションのいい山小屋はほかにあるのに、「ここが世界一。こんなホスピタリティーはほかにない」とほめてくれた。その言葉に恥じないように心掛けている。


―― サービス精神にあふれてます。

「あ、いたいた。いっしょに写真撮ってください」って、もう動物園のパンダ状態だよ。

小屋開け時には宴会になった

→「後編」に続く

 

プロフィール

榎田善行さん
えのきだ・よしゆき/静岡県川根本町在住、67歳。49歳から18年間続けた赤石岳避難小屋の小屋番を今年で引退。清水山岳会、千頭山の会所属。二人三脚で小屋を支えた相棒の後藤智恵子さんは『ちっちゃな山小屋の夏』をKindle版で今年6月に出版した。

インタビュアー:宗像充
むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』(旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。

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