朝ドラ「らんまん」のモデル、牧野富太郎が教えてくれる山の楽しみ

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2023年春に放送が始まるNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなっているのが、日本の植物学の父といわれる牧野富太郎です。ほぼ独学で植物の知識を身につけ、1500種以上の新種を命名した牧野は、膨大な植物を採集・調査するために日本各地の山を訪れていました。幼少期に親しんだ故郷・高知の山、遭難しかけた利尻山、花畑に心震わせた白馬岳など、山と植物にまつわるエッセイを集めたヤマケイ文庫『牧野富太郎と、山』(ヤマケイ文庫)が発刊されました。本書から、一部を抜粋して紹介します。

 

 

なぜ花は匂うか?

花は黙っています。それだのに花はなぜあんなに綺麗なのでしょう?なぜあんなに快く匂っているのでしょう?思い疲れた夕(ゆうべ)など、窓辺に薫る一輪の百合の花を、じっと抱きしめてやりたいような思いにかられても、百合の花は黙っています。そしてちっとも変わらぬ清楚な姿でただじっと匂っているのです。

牡丹の花はあんなに大きいのに、桜の花はどうしてあんなに小さいのでしょう?チューリップの花にはどうして赤や白や黄やいろいろと違った色があるのでしょう?松や杉にはなぜ色のある花が咲かないのでしょう。

貴女(あなた)方はただ何の気なしに見過ごしていらっしゃるでしょうが、植物たちは、歩くことこそできませんがみな生きているのです。合歓木(ねむのき)は夜になると葉を畳んで眠ります。ひつじくさの花は夜閉じて昼に咲きます。豆の蔓(つる)は長い手を延ばして附近のものに捲(ま)きつきます。一枚の葉も無駄にくっついてはいないのです。八ツ手の広い大きい葉は葉脈にそって上から下へと順々に、なるべく根の方に雨水を流していきます。チューリップのような巻いた長い葉は幹にそって水が流れ下りるように漏斗(じょうご)の仕事をつとめます。陽が当たると葉は、充分に身体をのばして、一杯に太陽の光を吸いこんで植物の生きていくのに必要な精分である炭酸ガスを空気の中から吸収します。根から水分と窒素とがあつめられます。そうして植物は元気よく生きていくのです。

人間が大人になると結婚をして子孫をのこしていくように、植物も時が来ると繁殖の準備を始めます。長い冬が終わって野や山が春めき立つ頃、一面の大地を埋めつくす美しい花々は、植物の御婚礼の晴衣裳ともいえましょうか。貴女方も知っていらっしゃるように、花の中には雄蕊(ゆうずい)と雌蕊(しずい)とがあって、雄蕊にある花粉が、自分の花または他の花の雌蕊に運ばれることによって受精し、種子ができるのです。

美しい花をつけている植物ではこの花粉の運搬を昆虫に頼んでいます。美しく咲きそろった大きな花を見、快い香りを訪ねて、昆虫たちはいそいそと御客様になって飛んできます。花の御殿の奥座敷にはおいしい蜜がたくさん用意してあって、この大切な御客をもてなします。昆虫は他の花からの花粉を御土産に置いて、また帰りには雄蕊からの花粉を身体中に浴びて別の花へと飛んでいきます。

花にもいろいろ種類があるように昆虫にもたくさん種類があります。同じ昆虫でもそれぞれ好き好きがあって花によって来る昆虫の種類が違います。蜂は青い花が好きだし蝶や虻(あぶ)は明るい花に飛んできます。それで花の御殿の方でもお馴染の御客様に都合がいいように、外の飾りや匂いはもちろん、御殿の中の構造もうまく作られています。大きい昆虫の来るチューリップや薔薇の花は大きいし、小さな昆虫の来る桜や梅の花は小さいのです。そして小さな花の咲く植物は花がたくさんかたまって遠くからでも見えるようになっています。

つつじの花を見てごらんなさい、花が横を向いているでしょう。そうなっているのは虫が入りやすいためです。上側の花弁の中央に胡麻をまいたような印のあるのは「この下に蜜あり」という立札で、昆虫はこの札をめがけて飛んできます。その時雄蕊の葯やくが昆虫の身体にこすりついて葯の孔(あな)の中から糸を引いたように花粉がこぼれ出ます。

このように植物の生活の中で一番複雑で、巧妙で、そして面白いのは、繁殖のための時期であります。菊の花などは、貴女方はあの大きく咲きこぼれた大輪があれで一つの花だとお考えでしょうが、あのそりかえった一片一片がそれぞれ一つずつの花なのです。めいめいに雄蕊雌蕊を持ったたくさんの花が一本の茎の上に共同の生活を営んでいるのです。一匹の昆虫が飛んでくると、たくさんの花が一時(いちどき)に花粉のやり取りをすることができるので、ほとんど無駄なく多くの花が受精し結実するのです。こんな風に種子を作る設計が巧みにできている花を高等植物といい、日本の皇室の御紋章である菊の花や満洲国の国花である蘭(菊科中のフジバカマで、世人が思っているような蘭科植物のランではありません)は花の中での王者といわれるものです。

松や杉にも花は咲くのです。ただ松や杉の花粉は昆虫の助けをかりないで風に流れて他の花へ到達します。それゆえ他の花のように綺麗な色や匂いで花の存在を広告する必要がないのです。それで花は咲いても貴女方の目にはほとんどふれないのです。

次に同じ一つの花に雄蕊と雌蕊とがありながら、なぜ別の花からの花粉を貰わなければならないのでしょうか。花の世界にも道徳があります。雄蕊と雌蕊との間にはちゃんと成熟の時期に遅速があって、人間の世界におけるがごとく近親結婚がほとんど不可能なようになっています。なでしこなどはそのよい例です。

その他植物の世界は研究すればするほど面白いことだらけです。もしこの世界に植物がなかったら、山も野原も坊主になりどんなにか淋しいでしょうし、その上、米、麦、野菜、果物、海藻の食料品、着物の原料、紙の原料、建築材料、医薬原料すべて植物のお蔭でないものは一つもありません。貴女方も花を眺めるだけ、匂いをかぐだけに止(とど)まらず、好晴の日郊外に出ていろいろな植物を採集し、美しい花の中にかくされた複雑な神秘の姿を研究していただきたいと思います。

そこには幾多の歓喜と、珍しい発見とがあって、貴女方の若い日の生活に数々の美しい夢を贈物とすることでありましょう。

 

※本記事は、ヤマケイ文庫『牧野富太郎と、山』を一部抜粋したものです。

 

『牧野富太郎と、山』

利尻山、富士山、白馬岳、伊吹山、横倉山。 愛する植物をもとめて山に分け入り、山に遊んだ。 山にまつわる天衣無縫のエッセイ集。


『牧野富太郎と、山』
著:牧野 富太郎
価格:990円(税込)​

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note「ヤマケイの本」

山と溪谷社の一般書編集者が、新刊・既刊の紹介と共に、著者インタビューや本に入りきらなかったコンテンツ、スピンオフ企画など、本にまつわる楽しいあれこれをお届けします。

牧野富太郎と、山

利尻山、富士山、白馬岳、伊吹山、横倉山。 愛する植物をもとめて山に分け入り、山に遊んだ。 山にまつわる天衣無縫のエッセイ集。

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