北岳山小屋物語――新探訪③ 北岳肩の小屋 時代に合わせて姿を変える臨機応変な自由さが魅力

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北岳山頂の北側、肩口に立つ「北岳肩の小屋」。2022年秋に改装が完了し、さらに居心地が良くなった小屋は、標高3000mを越える厳しい環境とは思えないほど快適だ。そんな、天空の山小屋と呼ぶにふさわしい立地でサービスを提供する管理人の森本千尋さんに話をうかがった。

文=樋口明雄

 


大樺沢沿いに登るコースが荒廃によって閉鎖され、白根御池小屋を経由して小太郎尾根に至る道が北岳登山のメインルートとなった。そのためほとんどの登山者は、広河原から白根御池までの急登に続いて、標高差500mの草すべりのジグザグルートをあえぎあえぎたどることになる。

そうしてようやく稜線上に到達したとき、背後を振り返ると、南に横たわる尾根の向こうに富士山が顔を出していてびっくりする。向き直ると、前方に仙丈ヶ岳。右手には甲斐駒ヶ岳やその向こうにある八ヶ岳。北アルプスの山々も遠望できる。さらに左を見れば、目指す北岳の頂稜が、まさに指呼の距離にそびえている。

北岳肩の小屋からの眺め。周囲の眺望が一望できるロケーションは随一だ


ここからなだらかに続く尾根のルートをたどれば、標高3000mの場所に立つ北岳肩の小屋がある。まさに北岳の肩に位置する、天空の山小屋である。

管理人の森本千尋氏は、今年42歳になる。小学校の頃から山になじんでいたという。夏休みになると母に連れられ、先代管理人だった父のいる肩の小屋に登った。もっとも、とくに山が好きだからというわけではなく、「山にいる父に会いに行く」という感覚で登っていた。

北岳肩の小屋の管理人の森本千尋さん


それが中学の頃にはひとりで登るようになっていた。高校では陸上部に入り、駅伝をやっていたが、大学の頃から山岳競技に目覚め、本格的なクライミングにのめり込んでいく。

「その頃は登るというよりも、競技のために走る場所として、山を認識してました」

平地よりも山岳のほうが自分に合っていたと、千尋氏はいう。そんな彼が大卒後に選んだ進路は陸上自衛隊だった。

「市ヶ谷駐屯地の第301映像写真中隊というところにいました」

その名称をうかがって、ちょっとびっくりした。ホームページを覗くと、”第301映像写真中隊はシステム通信団の隷下部隊であり、陸上幕僚監部及び陸上総隊の為の映像写真の撮影、編集及び処理を任務とする、陸海空自衛隊において最大且つ唯一の映像写真専門部隊です”とある。もともと母親の実家が写真館だったそうだが、それよりも適性で所属部隊が選ばれたのだという。

「いちばんキツい職に就こうと思ったんです。最初、両親は反対してたんですけどね。入隊後の新隊員教育訓練の6カ月は、さすがにキツかったけど、配属されたこの部隊は思ったほどでもなく、それなりに充実した隊員生活が送れたと思います。あとあと考えたら、やっぱり自衛隊に入って良かったと思ったし、けっきょく両親も喜んでいました」

その自衛隊時代に調理師免許も取得した。

「自衛隊員は基本的にどこでだってご飯が作れないとダメですから」

もちろんそうした自衛隊での経験が、今の山小屋の仕事で大いに役立っているのはいうまでもない。

そんな千尋氏は即応予備自衛官。有事に備え、自衛隊員としてのスキルを落とさないため、年間30日の訓練に参加しなければならない。そうした中、父親を継いで、3代目管理人として北岳肩の小屋を任されることになった。

「何しろいつもいっしょに小屋にいましたから、父がやっている仕事を見て、自然と覚えていたんですね。とくに何かを教わったり、あえて学んだりしたということはありません。十何年も経ってみたら、自然となんでもできるようになったという感じです」

標高3000mの厳しい自然環境に対応した運営・管理は簡単な仕事ではない


山小屋の仕事がきついと感じることはないという。

「自分は体質的、体力的に重労働に向いているし、どんな苦労があってもそれを前向きに解釈するポジティブ思考。たとえば何かが足りなくなって急遽、麓に取りに下りなければならない場合も、『いいトレーニングになる』と思う」

自分を鍛えることが好きだし、ノルマに対する義務感や苦痛がほとんどないそうだ。

肩の小屋といえば今、『ポークの肩ロースステーキ』が人気だ。テレビで紹介され、たちどころに定番メニューとなった。小屋の夕食時に筆者もいただいたが、柔らかくて実に美味しい。焼き加減が絶妙だし、地元の業者から仕入れるという、もともとの素材もいいのだろう。

「うちの小屋ならでは、という名物が欲しかったんです。もともと肉料理が好きだったし、どうせなら”肩”という言葉に掛けたいなと思ったら、パッとそれが浮かびました」

味付けは2パターンあり、チャーシューも作るという。もちろんベジタリアンやヴィーガン、あるいは宗教上の理由などで肉が食べられない外国客には、魚など別メニューも用意されている。

定番『ポークの肩ロースステーキ』。肩つながりで、すっかり人気メニューとなった

 

時代に合わせて姿を変える臨機応変な自由さが魅力

コロナ禍以後、ソロキャンプ大きながブームとなった。登山も例外でなく、稜線上の幕営地でも1人用テントがずらりと並ぶ。女性のソロ登山者も多くなった。YouTubeなどネット動画の影響が大きいという。

筆者もよく若い女性が単独登山をする動画を見るが、いずれも大きなザックを背負って登り、手慣れた様子でテントを張っている。自撮りをしながら、マイペースで山を謳歌するその姿は、登山にも新しい時代が来たことを思わせてくれる。

北岳における各山小屋の宿泊も基本予約制となった。コロナ以前は「寝る場所が確保できない」とクレームが来たことがあるそうだ。しかし今、コロナ対策として小屋の改装がなされ、各部屋もパーテーションで仕切られた場所で寝るようになったおかげで、昔のように最盛期、1枚の布団にふたりとか三人で寝るという事態はさすがになくなった。客同士のトラブルもまずない。

アジア各国など外国から北岳に来る登山者たちも、ちゃんとわかっていて、規則に従ってくれるのだそうだ。 おかげで仕事がスムーズになり、やりやすくなったと千尋氏はいう。

予約なしでふいに飛び込んできたり、ルールを無視する客はいないのかと訊くと、千尋氏は否定する。

「天候の悪化だとか、足の痛みが取れないとか、そういったご事情で宿泊を延長される方はたまにいらっしゃいますけど、基本的にみなさん、礼儀正しくルールをきちんと守ってくださる人たちばかりです。万が一、何かあって風評被害は嫌ですし、できれば何事もなく下山していただきたいですね」

2022年秋、肩の小屋の改装が終了した。空気の流通をうながし、屋内外の換気を良くするために建物の高さを増し、外から眺めると3階建てになったかと見まがうばかりだ。時代に合わせて姿を変える。そんな臨機応変な自由さがあるのも、私営でやっている山小屋ならではのことだろう。

2020年秋に改装が完了し、さらに快適に過ごせるようになった


「変化に対応していくということを、うちの小屋ではモットーにしたいと思っています。それと同時にアットホームな雰囲気だけは変えたくないんです」

そんな前向き思考な森本千尋氏を頼って、今年のシーズンも顔なじみのスタッフたちが集ってくるだろう。6月の小屋開きが楽しみである。

風通しを良くするために窓を増やし、建物の高さが増した。外観では3階建てのように見える

プロフィール

樋口明雄

1960年、山口県生まれ。山梨県北杜市在住。山梨県自然観察員。
2008年に刊行した『約束の地』(光文社)で、第27回日本冒険小説協会大賞および第12回大藪春彦賞を受賞。13年には『ミッドナイト・ラン!』(講談社)で、第2回エキナカ書店大賞を受賞。
南アルプス・北岳を舞台とした山岳小説「南アルプス山岳救助隊K-9」シリーズのほか、屋久島を舞台にした小説『還らざる聖域』(角川春樹事務所)、『屋久島トワイライト』(山と溪谷社)、ノンフィクション『北岳山小屋物語』(山と溪谷社)など著作多数。近刊に『それぞれの山 南アルプス山岳救助隊K-9』(徳間文庫)がある。

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