私がヒマラヤ最奥の聖地ドルポと「慧海ルート」を歩く理由

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

今から100年以上も前に、仏典を求めて日本人として初めてチベットに潜入した僧侶、河口慧海。彼は鎖国状態だったチベットに入国するために、ヒマラヤ奥地の標高5,000m以上もある峠をいくつも越えた冒険家でもある。この連載では、当時の慧海の足跡を辿ってネパール・ヒマラヤを踏査する登山家・写真家の稲葉 香さんが歩いた「慧海ルート」踏査の記録を掲載する。

ネパール・ヒマラヤとチベットの国境付近

(写真/稲葉 香)

仏典を求めてインド〜ネパール〜チベットを旅した僧侶

2016年、河口慧海の生誕150年となる年に、私は西北ネパールを横断する「慧海ルート」を旅した。

河口慧海は、1900年に梵語の原典とチベット語訳の仏典を求めて日本人として初めてチベットに潜入した僧侶だ。鎖国状態だった当時のチベットに密入国するために、難病のリウマチを患いながらもヒマラヤの峠を越えた探検家でもある。

現代のように現地の情報はなく、まともな登山装備もなければリウマチの薬もない時代に、自らの思いを遂げるために標高5,000m以上の峠をいくつも越えるという、想像を絶する世界だ。神戸からインドへ渡り、ネパールからチベットへの入国路を探した結果、西北ネパールを縫うように横断した道、それを私は「慧海ルート」と呼ぶことにした。

平均高度4,000m。ヒマラヤ最奥の地を歩く

「慧海ルート」の大半は、チベットとの国境地点にある「ヒマラヤ最奥の聖地」ドルポ地方が占めている。ネパール・アンナプルナ(標高8,091m)の北西に位置するエリアで、四方を標高5,000m以上の峠で囲まれた平均高度およそ4,000mの場所だ。冬は完全に隔離されてしまう場所だが、そこには村が点在しており、今も人々が厳しい環境の中でたくましく生活している。

ドルポは、かつては西チベットに属しており、チベット文化が根付いている地域だ。ネパール領になってからも地理的に隔絶された場所だったため、カトマンズ政府と直接連絡が取れるようになったのは1963年だったという。しかも長い間、外国人の立ち入りを禁じていたので、古き良きチベットの伝統や文化が破壊されずに原型をとどめている。それが「ヒマラヤ最奥の聖地」と呼ばれるゆえんである。

ヒマラヤ最奥の聖地・ドルポの概念図

赤い四角で囲まれた部分がドルポ地方

私はこれまでドルポへ4回行き、「慧海ルート」を2度歩いた(そのうちの1度は全行程を踏破)。ドルポは1992年に外国人の立ち入りが解禁された。それによって徐々に近代化が進み、入域地点の近くまで飛行機や車でアクセスできるようになったが、そこからは徒歩で1週間ほど厳しい道のりが続き、やっとの思いでドルポに入ることができる。

河口慧海の足跡を追うようになったのは、2003年にチベット・カイラスを巡礼したのがはじまりだ。お寺の家柄でもなく、誰かの命令でもなく、自らの思いで計画し成し遂げる意思の強さと、彼の描いたルートが他の誰よりも面白い!

そんな河口慧海のハングリー精神とルートの魅力に取り憑かれて、いつのまにか彼の足跡を辿るようになっていた。極めつけは私と同じ難病のリウマチを患っていたことだ。今となっては、自分がリウマチになったのは河口慧海に出会うためだった気さえする。

一気に世界が広がった、西北ネパール登山隊への参加

大西 保さんと稲葉 香さん、2017年の西北ネパール登山隊遠征にて

大西 保さんと稲葉 香さん、2007年の西北ネパール登山隊遠征にて

今では、こうして自力で「慧海ルート」を歩けるようになったが、調べはじめた当時はドルポの情報が全くなく途方に暮れていた。

踏破を諦めかけていた頃に、縁あって河口慧海プロジェクトの隊長である大西 保氏と吉永 定雄氏、水谷 弘治氏と出会い、2007年の西北ネパール登山隊に参加させてもらった。それがきっかけでルートの核心部に入ることができ、一気に世界が広がったのだ。その後の遠征にも参加させてもらったことで今の自分がある。私をドルポに導いてくれた3人には、感謝してもしきれない。

今回の「慧海ルート」踏破には三つの目的があった。一つ目は大西氏たちと歩いた河口慧海の足跡を、自らの足でもう一度踏みしめること。二つ目は、ヒマラヤ最奥の地・ドルポの今を知ること。そして三つ目は、今は亡き大西氏、吉永氏、水谷氏に追悼の思いを示すことだ。

ヒマラヤ最奥の聖地・ドルポの概念図

オレンジのラインが、2016年に歩いたルート(緑ラインの車道も含む)。
前回までの遠征と合わせて、ネパール側を踏破した

2016年8月17日から10月24日のおよそ2カ月に渡った今回の踏査。ネパール・ジョムソン(2,720m)からチベットとの国境クン・ラ(5,411m)まで歩き、クン・ラからドルポを横断して再びジョムソンに戻るという、ゆうに500kmを超える行程となった。

この連載で、当時の「慧海ルート」のエピソードを書いていこうと思う。

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

編集部おすすめ記事