河口慧海ゆかりの地ボダナートからジョムソンへ行く

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ボダナートの近くのチベット僧院でプジャを行う

 

今から100年以上も前に、仏典を求めて日本人として初めてチベットに潜入した僧侶、河口慧海。その足跡を辿って、稲葉 香さんが率いる遠征隊がネパール・カトマンズに到着した。今回は、アッパームスタンに向けた準備から移動までを記録する。

​​1・私がヒマラヤ最奥の聖地ドルポと「慧海ルート」を歩く理由
www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=266​

2・ネパール・カトマンズで運命の再会
www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=324​

 

活気のあるアサンの市場

 

8月20日 アサンの市場で食料調達

この日は買い出しにアサン(カトマンズの旧市街の中心部にある広場)の市場へ。ここではチョコや紅茶、ドライフルーツ、粉ミルク、砂糖などの食料がローカル価格で購入できる。

エベレストやアンナプルナなどの一般トレッキングコースには、観光客向けにロッジなどの施設がある。しかしドルポでは、食料や燃料の調達も難しい。

2012年のドルポ横断中に食料が尽きてしまった時、村の人々に食料を売ってもらえないことがあった。彼らも越冬するために食料を蓄えなければならないので、必ずしも売ってもらえるとは限らないのだ。

しかもドルポ周辺は木が生えないため、薪の価値がとても高い。貯えのあるものは、生活の豊かさを主張するように薪を屋根の上に載せるぐらいだ。燃料の代わりになるヤクの糞さえ貴重な資源だ。

3、4年前にドルポのトレッキングガイドブックが発売されてからは外国人トレッカーが増えてきており、状況が変わりつつあるが、現地調達は期待しないほうがいいだろう。

そうすると、ドルポ入域地点のジョムソンで買えるもの以外はアサンで揃えなければならない。アルファ米、お茶漬けの素、出汁、野菜のフリーズドライなど、アサンで売っていないものは日本から持ち込んだ。

ボダナートにある河口慧海のレリーフ

 

21日 ボダナート・河口慧海のレリーフのある場所へ

チベット仏教最大のボダナート(ボナダート=「巨大な仏塔」の意味)にある、河口慧海のレリーフを見に行く。もう何度も訪れた場所だ。

河口慧海はネパール入国時にボダナートを常宿として、チベットへの入国路を探していた。その時、ボダナートの住職ブッダ・バッザラに支えられ、苦難の末にチベットに入国し原典を日本に持ち帰った。後に「日本とネパール両国民の友好を記念して」河口慧海のレリーフが建てられた。

「慧海ルート」スタートの記念にレリーフを撮影し、近くのゴンパ(チベット僧院)に立ち寄った。クライミングシェルパが大きな山を登る前に、このゴンパでラマ(チベット仏教の僧侶)にプジャ(安全祈願)をしてもらうのだと、前回の遠征時に連れてきてもらった。それが印象的だったので、今回は私たちもプジャをしてもらうことにした。

早朝、ゴンパへ行くと、すでに数名の参拝客が並んでいた。カタという白いスカーフにお布施を包んで、ラマに捧げる。

山のことだけでなく、病気のこと、誰かのことを思って祈っていた。ゴンパに差し込む陽の光はラマの肩まで伸び、神々しかった。

 

22〜23日 タメルからジョムソンへ

積み荷の様子

22日、マイクロバスをチャーターしてカトマンズ・タメル地区を朝6時に出発し、ベニまで移動する。そこからジープに乗り換え、カリガンダキの川沿いを走っていく(慧海は当時、カトマンズから馬に乗り、ポカラ、トゥクチェと移動している)。

カリガンダキは、ネパール・チベット国境を源流部とするダウラギリ(8,167m)とアンナプルナ(8,091m)の山並みを分けるように南へと流れる川だ。8,000m峰が連なる景観も相まって、ど迫力の景色が広がる。

カトマンズからベニ〜ポカラへ行き、ナヤプルからトゥクチェ、マルファ、ジョムソンとカリガンダキ沿いに移動する

カトマンズ・タメルからベニへ行き、ナヤプルからトゥクチェ、マルファ、ジョムソンとカリガンダキ沿いに移動した(地図はナヤプルからジョムソンまで)

この辺りは、雨季になると毎年のように土砂崩れが起こる。案の定、今年も数日前まで通行止めになっていたらしい。事前に巻道で歩荷することを伝えられ、覚悟していたが、現地のポーターが手伝ってくれたおかげで、負担は少なくすんだ。その後、バスを乗り継いで翌日23日の夕方、ジョムソンに到着。ようやくスタート地点に到着した。

ヒマラヤ最奥の聖地・ドルポの概念図

ジョムソン周辺の地図。ここから右にあるローマンタンを目指してアッパードルポを歩く

 

トゥクチェ村とマルファ村

私は2004年にナヤプルからジョムソン街道を歩いている。ジョムソンまでの道のりに、慧海が滞在していたトゥクチェ村とマルファ村があるのだ。マルファ村には、慧海が滞在した宿の一角が河口慧海記念館として残され、店主の子孫に引き継がれている。興味がある方は、訪れてみると良い。

マルファ村にある河口慧海記念館(2016年撮影)

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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