第3回:藪漕ぎ

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一万日連続登山を目指し、達成目前で力尽きた東浦奈良男さん。連続登山を始める以前から付けていた42冊にも及ぶ日記帳を確認すると、その生き様が目に浮かぶ。今回の日記は、奈良男さんが読図を覚えたてのころに登った、地元三重県の名もない山について。

ページに挟まれていた草の一部。藪漕ぎのものか。

奈良男さんが連続登山をはじめたのは昭和59(1984)年10月、日記では9冊目の途中からだった。それ以前は、昭和35年、35歳の時に乗鞍岳へ初登山して以来、印刷会社で働きながら日曜日を利用して富士山や北アルプスなどの山々へ通うようになり、徐々に回数を増やしていった。

 

昭和38年(1963)年3月31日の日記より

いうなればイバラ岳である。
(茨ヶ岳)
寸前へ784.4m峰

家→棚橋→中村→藤越岐路→頂上寸前→中村5.13←5.25

ああ、湯をのんでのんでうまい。どっとした。まずはイバラと四つに組んでの泥試合。足をすくわれたり、すがりつかれたり、くんずほぐれつ、言語を絶した。悪戦の末に時間切れとなり、恨をのんで、一念長蛇を逸す。五分五分の格闘であった。道あれば、もう五分間もすれば登頂できた地点、二時半の下降となった。まことに、イバラのがんじがらめの山であった。手も足も傷だらけ、服はめちゃくちゃ。もうこの道なき道は再び訪れないだろう。コースをかえなければだめ。12時間になんなんとする歩力。たのもしいわが足よ。ああ、もう一時間ほしかった頂上よ。九(時)五五分梅橋着。道をたずねるも得るところなし。ものすごく寒くて手のかじかんだ早朝だったのに、ここまでくると汗の活躍さかん。七分立(ち)話して落合橋に一〇(時)五七分。炭焼の人にきくも要をえず、ひたすら地図をたよりにすすむ。ほぼ読図力芽ばゆ。岐路のトラック人も、道なく、とてもいけないという話。ドンヅマリに十一(時)四四分着。彳(たたず)んで思案中、地図をにらんで頂上は判り、さて、どうするかと。とにかく登り、炭道をみつけ、ゆくも消えて、十二(時)一五分バック。この地点、三角点への正道らしく後で気ずく。この屋根も直登せば達するはずなり。が、やはりイバラの海をゆくものだろう。分からぬが、ここに僅かに希望の光り残す。一度ひっかえしたまわり道をゆくも、まわりまわりこむ道で、(次のページへ続く)

 

どうも空へ道がむいてゆかない。炭焼跡を四つもこえて、ついたところが、はるかなピークの基部であった。水もどんどんのむ暑さで、地図上の岩をみて岩を目印に難登の末、のぼりつくと、そのずっと向うに目的の頂上あり。尾根を一つ遠くへまわりこんだらしい。ええい、ここまできたのにとばかり、イバラの海へとびこむ。これからのいじらしいほどのみじめなイバラこぎには、骨髄にこたえた。二度とくるまい。ここは早くひっかえすべきであった。けれども、涙ぐましい奮斗(闘)の結果、寸前に頂上を見るも時既に二時半。頂上へ「もう時間ない。帰る」と叫んで背をみせた。悲しくホッとする退却である。下降にもイバラの大群をかきわけねばならない。ナイフをかざして不覚にも見当つけた岩へ、直線に横ぎってしゃれこうべ(犬系)に念仏をとなえ(山崩れにやられたらしい)苦しみ、ころがり、以上のイバラにハラハラしつつ、やっとこさ岩についたときには生きかえった。水をえた魚のうれしさ。ここで少し、とまどうも、一さん(「一目散」か)に走りこんで、水をすすり、このうまさ、どうや。顔をホテらせ、汗まみれで洗うまもあらばこそ、三(時)二三分から三(時)五七分トラック点につき、よゆうしゃくしゃくたる足を駆って、五(時)一三分、梅橋着。大手を立てて道の真中につっ立ちバスをとめて、大安心の坐席の人とはなった。一二〇円。汽車にまに合って夕食もひかえた。汽車の鏡にみる顔のなんと気に入ることよ。うーむ。これあるかな。登ってきた顔はこんな顔。ええ顔である。ザック破れてピン失す。ボタン一つ失す。やむをえん。服が破れるとかづの怒ること怒ること。ほっとした今。

 

畳に腰がすわって足を洗う水のなんといたわるような感触。水ぬるむ、いや、しっとりとこりをほぐしてくれるようだ。じっと水中へ足をつけて水と親しんだ。さて、この次はいかにせん。あの獣臭のしたバック点より行ってみればどうなるか判らぬがいってみるか。それか、やめとくか。日がたつにつれていくことになる気になるやもしれない。風呂につかってくると、やっと、いつもの我にかえったようだ。(中略)これからは、エビのてんぷら二匹を山のおかずにきめた。パンはやめ、にぎりめしにする。いつも乍(なが)ら登れなかった時は帰り道で、いい年をして、何をしているのかと思わず思わせられる。道あれば、らくに時間で登れるのに。


ここで、「茨ヶ岳」と呼ぶ山は、イバラ漕ぎをした経験から自分で名付けたもののようだ。1週間前に同地区の七洞岳(778メートル)へ向かっている。その南方の尾根伝いに連なる無名峰で、現在の地形図を見ても登山道はない。登頂を果たせなかったものの意気揚々と帰り、列車の中で自分の顔を眺めてはその表情に充実感を覚えている。帰りはバスと電車を使っているが、行きは30キロ以上歩いている。冒頭の数字は、「5.25」が家を出た時間で、「5.13」(午後5時13分)が下山の時刻。

妻のかづさんも時には怒るようで、亭主関白と聞いていただけに、その姿を想像すると微笑ましい。
 

注:日記の引用部は誤字脱字も含めて採録しますが、句読点を補い、意味の通じにくい部分は( )で最低限の説明を加えています。
 

『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』
著者 吉田 智彦
発売日 2013.06.14発売
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プロフィール

吉田 智彦(よしだ ともひこ)

人物や旅、自然、伝統文化などを中心に執筆、撮影を行う。自然と人の関係性や旅の根源を求め、北米北極圏をカヤックで巡り、スペインやチベット、日本各地の信仰の道を歩く。埼玉県北部に伝わる小鹿野歌舞伎の撮影に10年以上通う。2012年からは保養キャンプに福島から参加した母子のポートレートを撮影し、2018年から『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で写真展を開催。福島の母子の思いと現地の実状を伝えている。
Webサイト: tomohikoyoshida.net
ブログ:https://note.mu/soul_writer

奈良男日記 〜一万日連続登山に挑んだ男の山と人生の記録〜

定年退職した翌日から、一日も欠かさず山へ登り続けて一万日を目指した、東浦奈良男さん。達成目前の連続9738日で倒れ、2011年12月に死去した奈良男さんの51年にも及ぶ日記から、その生き様を紐解いていく。

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