第4回 進退を決める「三脈」

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一万日連続登山を目指し、達成目前で力尽きた東浦奈良男さん。連続登山を始める以前から付けていた42冊にも及ぶ日記帳を確認すると、その生き様が目に浮かぶ。今回は、奈良男さんが初めて山頂に立った乗鞍岳の山行から数えて55回目、大台ヶ原の日出ヶ岳に登った時の日記を紐解く。

日記1冊目の巻頭に書かれた言葉

奈良男さんの登山歴は、定年退職の翌日からはじめた連続登山から25年遡る。登山を始めたころは、富士山や北アルプス、中央アルプスへ通うことが多かったが、登山の頻度が月数回から毎週末に近い状態になるにつれ、自宅がある伊勢周辺の山々へも意欲的に登るようになる。

 

昭和38(1963)年4月28日の日記より

大台ケ原山 1695.3m
日出嶽登頂
晴少曇夜雨 8.57〜7.40分
尾鷲より往復 10.43分

強行して、ここに大台ヶ原山の最高峯を入手す。さすがにねうちあり。太腿の音(「根」の誤りか)も痛く、大台ヶ原だけのことはある。8(時)52分着、尾鷲。今日も快調にすすみ、古和谷どんづまりに2時間の11時。一寸迷ってケルンよりたどって稜線に出、吊橋を渡り、又急登、ふくざつな尾根の中を上り下りする道をゆき、急登、稜線より長い平道の灌木帯をくぐり、木組峠に達す。三時間半(で歩き)、壱時間半の本時間(ガイドブックのコースタイムのことか)の短縮なり。この調子ならと雷峠に来るも50分。一寸気持おとす。熊の足跡もありありと一つ二つとつづき前進くさりかける。全く、ひやひやものなり。ことに、いきなりブルルルルーなる怪音、行く手に出現したときには、神妙に立ちすくみ、三脈にすがりつくも異なく、一歩鈴ならすと再びブルルルー、こんどはもう進むことが危険視されて困る。笹を遠のく怪物の音もきえ、三脈を信じてええいと前進す。こわごわの一歩二歩。ふと太幹に熊のはいだあとあり、思わず擬視、それは死の近在を示すものだ。二時半、退却の時刻なるも三時までと決し、登る。これが幸いし、思わずもすぐに日出嶽麓の尾鷲辻にとび出してしまった。なんたるとっぴょうし。うれしさ。こうなったら登らなウソとガンバリ数刻。涙をこらえて三時三分、遂に登頂せり。

 

雲層漂厚、眺望ゼロ。なんとか急行列車にのるべく五分(だけいて)直に走り下る。腹がへっては何もできぬのは本当だ。四時過ぎ早いカンパンを食べ出すと衰えかけていた足並も徐々に軽快をとりもどした。だが、四人の登人なかなか現せず、やっと木組峠で一服中を後に、いよいよ全くの孤行の下りとなる。三脈の守護あるのみ。明るい内に林道に出たい一心で汗もぬぐわず、長い軌道をぬけた時には死神をふりきった感じなり。そろそろ痛みかける足をやわやわしく暗中を下る。乾いた道は闇夜でも白白と映じて電池なしでいけた。坂下トンネルも闇にくるまって突抜けし地点よりトラックに乗せてもらい、七時五十分(六・七分のる)駅着。

ここで、「三脈」という言葉が登場する。この後に続く日記の中で、奈良男さん自身の言葉で説明されているが、身に危険が迫ると、口の両脇と手首の三点を押さえたとき、脈が乱れるというものだ。乱れればその時点で山行は中止、即下山。三点の脈が一致していればそのまま続行というように、奈良男さんが山行の進退を決める基準にしていたものだ。

「三脈」はどうやって会得したのかと聞いたことがある。すると、何かの本で読んだと言っていた。奈良男さんは読書家で、戦争体験や古武術書をよく読んでいた。その中で出会ったものかも知れない。この時は、熊の気配を感じたものの、三脈が乱れなかったのでそのまま進み、無事、日出ヶ岳に登っている。

日記は、続く。

 

すぐに帰れぬもどかしい落着をす。尾鷲ブラ(ブ)ラをしてから、十時までごろ寝、足の青黒い血線をみて無理をさせた足をいたわる。長嶋でヤッケにくるまって、五時の一番(列車)を待つ。さまざまに登山の今日を浮かべつつ消時。魚搬の人達と共に多気。もうたこになった我家に無心。熊のエジキを脱して帰ったのである。四人のリーダー氏、おじさんといわるるも、なる程おじさんである。この人たちの遅さはなぜ? やはりふだんのきたえをしなかったからだろう。その点、俺は十分だ。大地をけらず、天をつく歩みこそ空をゆく天馬の如く、全く空をゆく早さだなあ、急登には未だしの余地あり。五回の度会強行こそが物をいった正体。げに常の一歩こそ凡て。

 

夜の尾鷲道はあきらめたが、確にあの足跡を見てしまっては、いけない。大杉谷は、二日かけることにしよう。リーダー氏の「日帰りならドンズマリまで」には「馬鹿にするない」と心中が吹いたが、致しかたなし。十分にそのお礼は判ったろう。木組峠での問答、果たして信じたか、いなや。俺自身もたしかめたくなる早さだった。8(時間)20分を6時間。いやよく歩けたわい。今日も痛いはずよ。人の記録を知りたいものだ。熊を気にすると、足並みも伸びなくなる、注意木組峠からはたしかに熊の気配濃厚ちがいなし。背丈をこす笹群も気味よくない、単独行は真剣勝負そのものだ。といっても三脈に頼ってはいるが。さすがドライブバスあって、人多く、淋しくなし、尾鷲辻の「早いですなあ」には、ここまでのガンバリを一ペンに忘却させた。軌道中の山神さまにもゆきかえり、合掌、成功を膝まづいた。

尾鷲駅8.57→古和谷橋9.45分→古和谷吊橋10.39分→源流分岐11.00分→木組峠12.31分→雷峠1.23分→3.03分頂上。3.05分降下→5.10分木組峠→6.13分源流→6.27分吊橋→軌道終点6.50分→坂下トンネル抜けた少し先でトラック便乗7.41分→7.50分尾鷲駅に入る。22時15分最終車。尾鷲辻着は2時37分。運ちゃんには乾パン残りを差(し)上げる。雨は足をもんでいる。駅の外で音もなく降っていたらしい。さてお次は大峯山の巻いかにいかに。

この山行は、自宅・尾鷲間は電車を使い、尾鷲駅から日出ヶ岳の往復を10時間かけて歩いている。尾鷲辻で出会った人に「早いですな」と声を掛けられ、嬉しかったようだ。一方で、木組峠で出会った「四人のリーダー氏」に「日帰りならドンズマリまで」と言われ、腹を立てている。「ドンズマリ」がどこを指すのか分からないが、日出ヶ岳まで登ってきたという奈良男さんに、「いやいや、日帰りならせいぜいどん詰まりまででしょう」という意味で言ったのかもしれない。だとすると、癪に触るのも無理はない。そのことについては、更に続く日記に詳しく書かれている。

 

明らかに居る熊地帯を登ったが、熊に対して三脈の正しさを唯一のたのみに、それでもこわごわで登ったが、ほんとうに三脈が正しくとも怖いところは怖いものだ。それでよいのだろう。三脈の乱れはどうして起こるのか、まだ起こらないからその真覚は知らず、なぜだろう。口(上)の脈と手首(下)の脈一体どういうもの? ∵遠脈と近脈。乱脈らんみゃくとは何か? 乱脈? 不一致とは? □□□の騒ぎをみて、やはり、舟が沈む前には鼠は逃げ出す、人が人に死が迫ってきても血は逃げられぬ。それでその宿主に知らせて血の安全を保たんため乱れ騒いで先知さそうとするのか、かくの如くば、乱脈なき時は安んじて前進あるのみ。山の道の六里六時間、然れば二里の一時間足らず肯けたり。それでいけなければ寿命なるべし。乾パンをくい止めて、歩み一心に木組峠へさしかかると空より声が降ってきた。全く声だけがおちてきた。「おじさん、どこまでいってきは(や)った」一瞬、あのリーダー氏と悟るも、三人は坐して沈黙、中一人は前立。“日出嶽の頂上です”“大台”“ええ”“時間は”“ここへ着いたのが12(時)半、頂上に三時です”“三時間やな”あとは無言の意味しんしん。止らず、宙をゆく足なみを早め、さようならを告げて別れた。彼らは前進か、ビバークか。余裕あるのがねたましい。沈黙は信否いづれを示すか、おもしろい。内心は舌をまいたものと察せられる。先づは目にみえぬもの、お蔭様でこそ歩き達したのだ。地図上では大杉谷も同距離にみえるから、三時までにつけば、行けそうに思わる。歩き初めのごとく歩き終れ。

 

前日と山へ行ってからの後日とは、たしかに身も心もすっかり変わっているもののごとし。これは山の霊気に洗われて、努力する汗により、新陳代謝がカッパツになるからだ。脱皮一新だ。日新山歩これあるかな。こそ山はやめられない。山の新気を爪先までみたして帰ると思えば、なんと爽快、金なんかいらぬである。あの世へいつても、あの世の山に登ってくれよう。ああ、霊界の逍遙、惜しむらくは山に泊まれない、山に住めない。くやしさなり。山に住むことは、必ずしもできることだろう。真に山を知ろうとするなら、山にねて、山のものを食べ、山の水をのまなくては、山のホントの味は判らぬ。今のところその気がないのかもしれぬが。それが判ってどうしようというのか。どうしようというのかといってどうするのか。フフフッ

この山行は、奈良男さんが初めての登山で山頂に立った乗鞍岳から数えて55回目のものだ。「三脈」という独特の判断基準を取り入れながら、繰り返し山に登ることで、山に登る歓びと共に、早く歩くという自信を持ちはじめているのが分かる。
奈良男さんにとって、山に登る歓びは、雄大な自然の美しさ、力強さを全身全霊で感じ取ることばかりでなく、奈良男さん自身の生い立ちやそれまで背負ってきたものと深い関係があるのだが、その事については、追々、触れていきたい。


注:日記の引用部は誤字脱字も含めて採録しますが、句読点を補い、意味の通じにくい部分は( )で最低限の説明を加えています。
 

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著者 吉田 智彦
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プロフィール

吉田 智彦(よしだ ともひこ)

人物や旅、自然、伝統文化などを中心に執筆、撮影を行う。自然と人の関係性や旅の根源を求め、北米北極圏をカヤックで巡り、スペインやチベット、日本各地の信仰の道を歩く。埼玉県北部に伝わる小鹿野歌舞伎の撮影に10年以上通う。2012年からは保養キャンプに福島から参加した母子のポートレートを撮影し、2018年から『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で写真展を開催。福島の母子の思いと現地の実状を伝えている。
Webサイト: tomohikoyoshida.net
ブログ:https://note.mu/soul_writer

奈良男日記 〜一万日連続登山に挑んだ男の山と人生の記録〜

定年退職した翌日から、一日も欠かさず山へ登り続けて一万日を目指した、東浦奈良男さん。達成目前の連続9738日で倒れ、2011年12月に死去した奈良男さんの51年にも及ぶ日記から、その生き様を紐解いていく。

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