第7回 退職。そして、連続登山第1日目

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一万日連続登山を目指し、達成目前で力尽きた東浦奈良男さん。三十半ばで登山に目覚めた彼は、休日登山を24年間続けた末の昭和59(1984)年10月25日、長年働き続けた印刷工の仕事を60歳になる約3ヶ月前に退職した。今回は、その翌日、地元の山、朝熊ヶ岳(555m)へ登った時の日記を紹介する。連続登山記録が平成23(2011)年6月に9738日で途絶えるまでの第1日目の記録だ。

前回の「奈良男日記」:第6回 伊勢〜熱田神宮徒歩100km

昭和59年(1984年)10月26日の日記より 

10月26日 アサマ山 341 五八
150回へ㐧一歩の日。いよいよ時間の束縛から完全に解放された完全自由の㐧一日である。ああ毎日山行できるのだ。待ちに待った日、さああの山この山かけまわろう。血わき肉おどり足うなる。ゆくぞおかげで45年間働かせて頂いた。その結果である。ありがたしありがたし。墓参してからアサマ山へ

以後の出勤先は山となる。仏前に報告せばほうふつとして感謝の念そのものとなり、ぼさっと生きてきて指しらぬ故に。真に生きつらぬけざりし無念さとこれから。指以てぼさっとせぬ真に生きぬけることをご先祖に告げたり。◎無限の時間を前にした今日自由なる山行だが、いつもの感じは変らず。山中に入らば山中の気となる。しかし完全なる解放感は、すべての手続が終り、年金が流入しだしてからになるか。先ずは墓参り報告をしてから山へ。9.(時)39(分)はうまく鳥羽ゆきにレンラクあり。十時ごろから登れる。もう時間も気にならず。堂々とたのしめるわい。自分の時間を十分に使える、この気持やっと自分のタイムが取り戻せた。初めてでもない、川わたりして入山。よきコースつづき、クリの巣コースに合してバックし右折へ入る。道はシダこぎしつつ、いくつかの道に合して、上へ上へ、ついにただ上り一点の急登、もうどこの山なのかも分らず。一体どこへ出るのか、ワクワクもの。ヒルのサイレンもなり、延々とナタを振りまわす。の末、どこの道かに出る。廿丁石のある手前なり。香誉上人順達和尚とあった。初めてきてみると、いつもの登山コースも分からないものだ。20分にして△(山頂)。暑い位で、蚊もめざめてたかりにくる。一服後、追憶にふける頂上秋の風 下山。今日は、頂上への道通りすぎて、車道をいってしまい、そのまま反対方向から上った。初めてなり芒がぼうぼうと茂り、うつむいていて分らず、松をとった。芒から下りへ。シルシなければ迷いこむ下り。ここは苦労する割には低く達して道のない上部もわるいし余り再登したくないところだ。左の谷部が開けて道ありとみて、入りこみ、上下しつつ出たところがなんとケーブル橋、今日はしらぬところしらんとこへと入りこんだが、結局、亦童女塚にも出る。3.(時)56分にまに合って、三宅によって帰る。退職の秋待ってましたと山へ

10(時)ごろ→11.(時)1(分)コース合す→1.(時)34(分)芒→1.(時)55(分)△ 2.(時)17分→3.(時)16(分)橋→3.(時)39(分)登山口→4時7分前ホーム。
わしはわしに戻って山もさわやかに
我は我に戻って山もさわやかに
わしはわしに戻りて山も爽かに
さわやかに山一筋の㐧一歩
さわやかに山一筋の登山口
自由人
自由時間
自由空間

「アサマ山」とは、伊勢市街地の東に聳える「朝熊ヶ岳」のことで、奈良男さんが生涯で3000回以上登った山だ。自宅からは、宮川を渡り、市街地を抜けていく。日記の日付の後に書かれている「341」は、この日が341回目の朝熊ヶ岳登山であることを表している。そのすぐ下に記されている「五八」は、日記全体を調べてみると、初めて山へ登った乗鞍岳(この連載の第1回で紹介)からの登山回数で、2058山目であることを示しているようだ(2000は省略)。

朝熊ヶ岳には、古くから山岳信仰があり、主な山道だった「岳道」には丁石(1丁=約109m)が置かれ、山頂にある金剛證寺までの距離を表している。文中の「廿丁石」はそのひとつ。

60歳目前の日記だが、そこに仕事をなくした寂しさや老いへ対する不安は微塵も感じられない。それどころか、これから続く山三昧の日々へ解き放たれる喜びに満ち溢れている。

日記の前半にある「ぼさっと生きてきて指しらぬ故に」とは、「歩くために欠かせない足の指の使い方を知らないままぼさっと生きてきてしまった」という意味だろう。その後の文に続く墓参りで、これからは自分の指を駆使し、生きていくことをご先祖様に誓っている。

この日から27年間山へ通う毎日が続くのだが、その数字だけ見ると世捨て人のような人物像を思い描きがちだ。しかし、この時の東浦家は、3人いる子どもたちがみな巣立ち、世帯を持っていた。登山を始めたことを機に、奈良男さんは会社へ徒歩通勤を始めるが、自宅と会社の間に流れる宮川を渡る時に回り道になる橋を使わず、最短距離で行ける鉄道の鉄橋を渡って電車を止めてしまったり、自然食品しか食べなかったために、会社で配られたクリスマスケーキを宮川に投げ捨てたりと、かなり個性的な振る舞いで周囲を驚かせていたそうだが、無遅刻無欠席で会社を勤め上げ、子どもたちの成長を見届けてから、毎日登山をするようになるところに、奈良男さんの人間味を感じる。

連続登山は、この日が第一日ではあるけれど、まだ一万日の目標は掲げられていない。書き出しの「150回へ第一歩」とは、大好きな富士登山150回を目指そうというものだ。そして、この日から5日後の10月31日の日記には、天台宗の荒行、千日回峰行の「堂入り」を二度成し遂げた酒井雄哉さんの新聞記事が貼られている。

注:日記の引用部は誤字脱字も含めて採録しますが、句読点を補い、意味の通じにくい部分は( )で最低限の説明を加えています。

 

イベント情報

吉田智彦写真展
『淋しさのかたまり 〜1万日連続登山に懸けた父親の肖像〜』

1万日連続登山記録達成寸前に他界した東浦奈良男の最後の5年を追った写真と半世紀もの間綴られた日記から浮かび上がる、勝手と優しさに満ちた一人の父親の姿

日程 2019年2月2日(土)~2月11日(月・祝)
会場 ナノグラフィカ(長野県長野市西之門町930-1)
営業時間 11:00〜17:00
定休日 不定休(お店に要確認)
お問い合わせ TEL 026-232-1532
※吉田氏によるギャラリートークを開催
日時 2019年2月10日(日) 18:00〜20:00
参加費 2,500円(食事・ドリンク付き)
日時 2019年2月11日(月・祝) 15:00〜17:00
参加費 1,500円(軽食・ドリンク付き)
(※前日までに要予約)

日程 2019年2月16日(土)~3月4日(月)
会場 コトバヤ(長野県上田市中央4-8-5)
営業時間 月・火 12:00〜20:00、土 10:00〜20:00、日 10:00〜18:00
定休日 臨時休業・営業あり(お店に要確認)
お問い合わせ kotobaya.net@gmail.com
※吉田氏によるギャラリートークを開催
日時 2019年3月3日(日) 15:00〜17:00
参加費 1,500円(ワンドリンク付き)

『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』
著者 吉田 智彦
発売日 2013.06.14発売
基準価格 本体1,200円+税

amazonで購入 楽天で購入

プロフィール

吉田 智彦(よしだ ともひこ)

人物や旅、自然、伝統文化などを中心に執筆、撮影を行う。自然と人の関係性や旅の根源を求め、北米北極圏をカヤックで巡り、スペインやチベット、日本各地の信仰の道を歩く。埼玉県北部に伝わる小鹿野歌舞伎の撮影に10年以上通う。2012年からは保養キャンプに福島から参加した母子のポートレートを撮影し、2018年から『心はいつも子どもたちといっしょ』として各地で写真展を開催。福島の母子の思いと現地の実状を伝えている。
Webサイト: tomohikoyoshida.net
ブログ:https://note.mu/soul_writer

奈良男日記 〜一万日連続登山に挑んだ男の山と人生の記録〜

定年退職した翌日から、一日も欠かさず山へ登り続けて一万日を目指した、東浦奈良男さん。達成目前の連続9738日で倒れ、2011年12月に死去した奈良男さんの51年にも及ぶ日記から、その生き様を紐解いていく。

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