オープン目前の「みちのく潮風トレイル」を歩く。連載第3回「未来へ続くロングトレイルを、ハイカーとともに」

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福島県北部から青森県の八戸付近までの全長700kmにも及ぶ「みちのく潮風トレイル」。ロングトレイルハイカーの齋藤正史さんが、カナダでトレッキングツアーを手がける石塚体一さんと見て回って感じたものとは…。連載最終回では、「みちのく潮風トレイル」への思い、日本のロングトレイルの未来を語った。

駆け足で過ぎてきた道のりだったが、3日間の最後は、種差海岸から八戸の蕪島区間を歩こうと決めていた。もちろん、プロのガイドである石塚体一さんの強い要望でもあった。きっとこの歩きやすく風景展開の大きいルートは、外国の方に歩いてもらえるポイントになると考えていたのではないだろうか。

種差―蕪島エリアは、「フットパス」のような道のり


実際は、列車のダイヤの関係もあり、蕪島から種差海岸に向かって歩くことになった。ちょうどこの頃、蕪島にウミネコが戻ってくる季節だそうだ。ちょうど僕らが歩いたまさにその日に、ウミネコはやってきたそうだ。

最初に糞を受けた人は、蕪島の神社で無料のご祈祷を受けることができるらしい。ウミネコが飛来することもこの時、初めて地元の人から聞いた。

八戸市葦毛崎(写真提供=環境省)


道に迷いそうな瞬間もあったのだが、3年前に漁師をリタイヤしたという87歳のおばあちゃんに声を掛けられ、しばしお話をした。

震災以降、漁獲量がかなり少なくなり、3年前に廃業したそうだ。時折台車を押しながら、港を散歩しているとおっしゃっていた。トレイルは、歩くスピードだからこそ、立ち止まり話をすることができる。走ったり、自転車だったりしたら、こんな風にはいかない。そんな出会いを重ねながら、僕らの旅は、種差海岸インフォメーションセンターで終わりを告げた。

トレイルで出会った元漁師のおばあさん(写真=石塚体一さん)


石塚さんには、この「みちのく潮風トレイル」がどのように映ったのだろうか、ずっと気になっていた。でも、すぐに聞くのではなく、整理した状態で聞いてみたいと思ったので、あえて聞かなかった。そして、石塚さんからその感想がメールで届き、その後、電話で話した。

ヤムナスカ・マウンテンツアーズの石塚体一さん(左)と私


「今回の旅は名取から始まり、震災の跡地を車で北上することから始まった。広大なエリアが更地となっていて、道路には無数の工事車両が走る。海岸線にはいくつもの防潮堤が建設され、被害の大きさをまじまじと見たなか、果たしてトレイルはどのようなルートに作られるのだろうか? どのような景観の中を歩くのだろうか?  いろいろと想像を巡らせながらエリアを巡った。」

今回立ち寄れなかったのだが、宮城県気仙沼市舞根地区では、このような物語があった。

東日本大震災後、地盤沈下し舞根地区には耕作放棄された土地ができた。しかし、放棄された土地が塩生湿地と姿を変えると、ミナミメダカをはじめ、日本ウナギやアサリなども自然定着し、豊かな生態系への第一歩を記したという。

「もし、みちのく潮風トレイルのルートの中にも、自然再生を目的にするルートが数kmでもあればどうだろう。人の手を借りず、災害の跡地が自然の力により再生していく中を歩くことができたらどうだろう。きっと素晴らしいトレイルになるに違いない。

10年後、50年後、100年後のハイカーはどんな景色の中を歩くのだろう。想像するだけで口元が綻ぶ。そんなトレイルができることを夢見て、私は見守っていきたい。

舞根地区のエピソードを聞いて考えた。自然が自然のままであることには、この世のどんなものにも変えられない絶対的な価値があると思う。その価値を未来に描くことができるのが、みちのく潮風トレイルなのだと思う。」(石塚さん)

八戸市鮫角(写真提供=環境省)


僕は、「みちのく潮風トレイル」に少しだけ長く関わってきたこともあり、思い入れは強いし、それを捨てきることはできない。

一方で、多くのトレイルを歩いてきたプロハイカーとして、「みちのく潮風トレイル」をどう評価するかは非常に難しい。これだけ道路や町を歩く道のりを「トレイル」と呼ぶことにも抵抗を感じざるを得ない。本来、ハイカーが歩くトレイルとは自然の中の道なのだ。

北山崎手掘りのトンネル


ただ、僕自身が山形にトレイルを作る活動をしている作り手としての視点で言えば、アメリカのトレイルのように、単純にすべてをウィルダネスで通すことは、日本では不可能である。

そもそも日本において「手付かずの自然」がどれだけ残っているだろうか。8世紀に成立した「日本書紀」にはすでに植林の記載がされているくらいなのだ。

種差―蕪島エリア


つまり、日本の自然は、人間の手が入り、共に共存してきた歴史があると言える。

明治維新以降、国立公園に関することは、国土の大きさから、イギリス式を用いたと言われ、森林に関してはドイツ式を導入した経緯がある。

このようなことからも、広大な手付かずの自然を多く抱える、トレイルの本場であるアメリカのシステムをそのまま日本に取り入れることは、そもそも難しいことなのだ。

岩手県大船渡市らんぼう谷(写真提供=環境省)


では、この「みちのく潮風トレイル」を、どう捉えたらよいのだろうか?

ひとつは、アメリカ連邦政府が、トレイル法で指定している「ヒストリックトレイル」(歴史・文化を保存するためのトレイルであり、自然の道であることを問わないルート)の要素が非常に強い、と言うことができる。

なぜなら、背景に「復興」というテーマがある「みちのく潮風トレイル」には、津波の脅威を後世に引き継ぐ、という目的を見い出せるからだ。 

宮城県気仙沼市唐桑カモシカ(写真提供=環境省)


「みちのく潮風トレイル」が、自然の道を通りつつも、その道のりの多くが街中や舗装路を通過するのは、防災行政に対して関心を持つことに繋がるのではないか、と僕は思うのだ。

自然の道を通り、舗装路を歩き、町中を通過し、海岸線の防潮堤付近を歩く。

果たして、この巨大な人工物は誰のための物なのだろうか、必要な物なのだろうかと考える機会になると思う。

トレイルを歩き、地域に暮らす人々と会話する機会を得ながら、その是非を考え、地域の未来を、日本の未来を考える良い機会になるのではないかと思う。

岩手県田野畑村鵜の巣断崖(写真提供=環境省)


多くの人が「みちのく潮風トレイル」を訪れる。それは、観光収入的な意味で復興の助けになるだけではない。トレイルが今後どうあるべきかを考え、地域の歴史や文化を継承する機会、地域の自然、地域の魅力を再発見する機会にも、希望を作る作業にもつながるのではないだろうか。

トレイルはできた――。

あとは、僕たちハイカーが歩き、地域の方と共に未来に何を残すかを考えればいい。トレイルがどこを通るのがよいか、ルートはいつでも変えることができるのだから。

「いつか外国のハイカーがバックパックを背負い、日本のトレイルを歩く姿が当たり前になる日がくればいいね」。そうおっしゃっている、優しい目をした加藤さんの笑顔を思い出した。

「みちのく潮風トレイル」がそんな道になることを期待したい。

故・加藤則芳さん。信越トレイルの拠点、なべくら高原森の家にて(写真=星野秀樹)

プロフィール

齋藤正史(さいとうまさふみ)

1973年、山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
2005年に、アパラチアン・トレイル(AT)を踏破。2012年にパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を踏破。2013年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成した。日本国内でロングトレイル文化の普及に努め、地元山形県にロングトレイルを整備するための活動も行なっている。

みちのく潮風トレイルを歩く LONGTRAIL HIKER 齋藤正史

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