事故を忘れてはいけない――。北海道での安全登山シンポジウムで感じたこと

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北海道山岳遭難防止対策協議会、北海道山岳連盟主催の「第11回安全登山シンポジウム」に参加する機会から、会合の中で感じたこと、その道中で眺める景色から思ったことを振り返りながら、山で事故に遭うリスクの軽減について考えてみた。

 

平成21年(2009年)に北海道のトムラウシ山で10名の登山者が亡くなられた痛ましい遭難事故から10年になるのを前に、去る5月30日、札幌市内で第11回安全登山シンポジウムが開かれました。

シンポジウムは札幌駅近くのエルプラザのホールを会場に18時に開会。まずは北海道山岳遭難防止対策協議会と北海道山岳連盟の会長を務める小野倫夫さんの挨拶から始まりましたが、「この惨事を忘れることなく、登山の正しい知識と情報を多くの皆さんと共有できる機会として開催意義は大きい」との言葉が心に沁みました。

会場の皆さんと、三人の登壇者とのデイスカッション


続いて北海道警察地域部地域企画課の西村和隆さんが、「北海道における山岳遭難の実態」をレポート。山菜採りでの道迷い遭難や、バックカントリーでの事故が多いなど、北海道で起こってしまう事故の特徴も、改めて勉強になりました。

次にAUTHENTIC JAPAN代表の久我一総さんが、山岳遭難予防の新しいツールとして注目されている「ココヘリの今」を講演し、新しい試みがご参加の皆さんの注目を集め、最後に私が「山岳メディアでの経験からみる山の事故対策と環境保全」と題して、お話させていただく機会をいただきました。

シンポジウムは夕方からだったので、朝早い飛行機で千歳に向かいました。飛び立った飛行機の窓からは東京湾の景色に続き、千葉や茨城の大地の様子も鮮明に見えています。私の生まれ故郷の筑波山やその周辺の山々も、背後の霞ケ浦の煌めきとともに鮮やかに見てとれます。自分が暮らした集落の家々の屋根までも見えそうな鮮明さです。「そうか、幼い頃、家の縁側に寝転がって眺めた飛行機は、この航路だったのか」などと、懐かしく思い出しました。

平野のなかの里山的な景観から、しばらく時間が経つと那須、安達太良、吾妻・・・と、より山岳らしい眺めへと変わります。故郷への思いは、やがて自分の山仲間への思慕へと変わっていきました。講演で「どうして私が遭難事故を減らしたいと強く思うようになったのか」をお話するために、山仲間の事故のことなどもまじえてスライドを作っていたからかも知れません。

那須の雪山に逝った友は、強風を避けるように沢の中に横たわっていました。山を教えてくれた先輩が沈んでいた吾妻連峰の沢筋も見えてきました。ザックはすぐ発見できたのですが、本人はなかなか見つからず、自衛隊のアクアラング隊の方々が潜水して、遺体を引きあげてくれたのです――。私にとってこの航路は、いつも空からの慰霊の旅となります。

上空からの眺めは、私にとって慰霊の旅の始まりでもある


話がそれましたが、北海道でこのシンポジウムが長く続いている背景には、「トムラウシの教訓を風化させてはいけない」という、関係者の皆さんの強いお気持ちもあると思います。広い北海道。協議会や山岳連盟を構成し、こうした催しの開催に尽力なさっている方々のお住まいも道内各地にわたり、会合や準備に集まるだけでも、さぞ大変かと思います。

しかし、「事故を忘れてはいけない、忘れないように」と、長年に渡って継続されている。また、地域づくり団体活動支援事業として、広く一般の方々の参加も呼び掛けて行われている点も、とても貴重なことだと感じました。

1泊2日の札幌行。帰途は厚い雲に阻まれて、山々を眺めることはできませんでしたが、この白い雲の下で逝った先輩や友人のこと、そして「過去の遭難の教訓を忘れてはならないこと」などを、しみじみと考えていました。

プロフィール

久保田 賢次

元『山と溪谷』編集長、ヤマケイ登山総合研究所所長。山と渓谷社在職中は雑誌、書籍、登山教室、登山白書など、さまざまな業務に従事。
現在は筑波大学山岳科学学位プログラム終了。日本山岳救助機構研究主幹、AUTHENTIC JAPAN(ココヘリ)アドバイザー、全国山の日協議会理事なども務め、各方面で安全確実登山の啓発や、登山の魅力を伝える活動を行っている。

どうしたら山で事故に遭うリスクを軽減できるか――

山岳遭難事故の発生件数は減る様子を見せない。「どうしたら事故に遭うリスクを軽減できるか」、さまざまな角度から安全登山を見てきた久保田賢次氏は、自身の反省、山で出会った危なげな人やエピソード、登山界の世相やトピックを題材に、遭難防止について呼びかける。

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