行きたくなったら、また、行けば良い――。登山に飽きたことってありますか?

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匿名希望さんからの質問!

質問:登山をはじめて10年少々、最近は少し飽きてきました。はじめにアルプスに行って、いい山を登ったせいもあるかもしれませんが、近郊の山だと景色などに物足りなさを感じます。

クライミングや雪山までは・・・、と思っているせいもあるかもしれません。また、若い頃に一緒に登った人がどんどん離れているのもあるかもしれません。かといって、なかなか時間を考えるとアルプスには、そう行く機会はありません。

近郊の山に登っても、違う気分で登る方法とか、楽しみ方ってありますか? また、登山に飽きたことってあります?

 

山での非日常的な光景

僕がはじめてアルプスと出会ったのは、南アルプスの鳳凰三山でした。夜行列車で、ほとんど眠れないまま甲府駅で降りて、超早朝のバスを乗り継ぎ、夜叉神ノ森から歩きだしました。初めて経験する重荷に押しつぶされそうになりながら夜叉神峠に辿り着き、サルオガセのさがる森を抜けて、峠の展望台に立った瞬間に目に入った白峰三山の雄姿。寝不足と重荷にヨタヨタだった身体から、思わず「オーッ!」と小さな歓声がでました。

谷間に残る白い雪。美しく斜面に明るく浮かびあがる緑。山頂に向けて厳しく屹立する岩肌。これがアルプスか・・・。これが3000m峰か。これが‟本物の山”なんだ。同時に、この本物の山に到達した自分を誇りに感じました。

誤解だろうと、山の本質をわかっていなかったと言われようと、この気持ちは間違いも無い事実です。

「はじめにアルプスに行って、いい山を登ったせい・・・」。そうか、最初に日本アルプスの素晴らしい光景に出会ってしまったんですね。

9月の北ルプス燕岳。非日常の景色が広がる

 

もっと強烈に山から衝撃を受けた経験は、はじめて‟氷河のある高山”に行ったときです。中央アジア・パミールの7000m峰が、その地でした。当時、まだソ連のあったときで、新潟~ハバロフスク~ノボシビルスク~オーシと延々と旅をしてキルギスタン(当時はキルギス社会主義共和国)の町に着。そこから、砂漠の様な荒涼とした大地をジープで走り抜け、ベースキャンプのあるアチクタシという氷河湖と草原の広がる場所に着きました。

当時のソ連は、開放した登山基地に、大食堂、医療機関、サウナまで作って、世界の登山家に便宜を図っていました。ここで高所順応のため数日滞在をした後、峠を越えて、初めて目指す7134mの高峰と出会いました。

利根川の幅くらいある巨大な氷の川。随所に口を空けるクレバス。モレーンの上に居並ぶ7000mの山々。巨大氷河は、凄ましいものでした。そしてこの時、思いました。「この地に立つために、僕は登山をしてきたんだ」と。

このときの登山は、なかなか厳しいもので、第二キャンプがセラックの崩壊で全滅し、そこに居た43名が一瞬で吹っ飛ばされて死亡しました。僕たちが到着したのは、その事故の後で、そこには人影ひとつない、氷塔の林立する世界が待っていました。

7000m峰のハン・テングリ。2009年パミール・天山遠征時に撮影 写真=山田哲哉

 

それぞれに山

僕は、現在でも、主にネパールヒマラヤで高所登山を続けています。でも「ヒマラヤが本物の山で、日本の山なんて山じゃない」とは、決して思いません。この最初の7000m峰の登山(累々たる死者の埋まった巨大デブリを乗り越えて、僕たちは登頂しました)を終えた後、帰国した次の休みの日、僕は奥秩父笛吹川のヌク沢を遡りました。

苔むしたナメ滝、頭上から落ちる巨大な滝。重厚な原生林に消える源流。そして、甲武信岳に立った後、もう夕暮れになった霧のかかる尾根を親しい十文字峠の小屋へと向かい、ランプの灯る十文字小屋に泊まりました。

「ヒマラヤに登ったんだって? 山田さんも、すごいね」という高齢の小屋主に、「ヒマラヤから帰ったら、沢を歩いて十文字峠に来ようと、むこうにいる間、ずっと、そう思っていた」と答えました。「そんなに、十文字峠はいいかね?」「うん。世界中で一番、良い山は十文字峠だよ」・・・と、こんなやりとりがありました。

また、今年のゴールデンウィークに12日間の短期登山で、ネパールヒマラヤの6000m峰トロンピークに挑んだ次の週には、奥多摩の川苔山の新緑の森の中を歩きました。

流れる清流、ミソサザイの声、点々と咲くミツバツツジ、霧雨のシットリとした森。ここにも、また、ヒマラヤとは全く違うけれど「山」はありました。

 

行きたくなったら、また、行けば良い

僕は、昔から、数日にわたる北アルプス北部の豪雪を行く厳しい山行を終えるとすぐに、静かな北八ヶ岳の森林高地を歩くのを習慣としていました。

森林限界を越えた山は、今まで知らなかった未知の世界を登山者に与えてくれます。岩の剥きだした山に向かう挑戦的な心。研ぎ澄まされた岩稜が与えてくれる高揚した気持ち。「これこそが、これだけが山」・・・と思う気持ちは当然かもしれません。でも、僕は違う。

「登山に飽きた」なら・・・。

登山なんて非生産的な行為を辞めても褒められることはあっても、咎められることはありません。飽きたら、また、新鮮な刺激が山から得られなかったら、その間は山には行かないのも悪くないです。そして、ある日、行きたくなったら、また、行けば良い。

山は、同じ山に、同じ季節に登っても、同じ顔を見せることはありません。まして、違う季節に、違う天候のときに、また、違うルートから登れば、必ず、登る前の自分より成長させてくれる、と信じています。

「クライミングや雪山までは」と、思っているようですが、クライミングも雪の季節の登山も山の違った表情に出会う、一つの方法です。その山の違った魅力と出会うために、やってみたら良いとも思います。

刺激のなくなった登山を漫然と続けることが良い、とは思いません。毎回の登山を、それが近郊の山であろうと、隔絶した高所であろうと、毎回、小さな挑戦として登山を続けることをお勧めします。

プロフィール

山田 哲哉

1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。 著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
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