中央アルプスから南アルプス深南部の山へ。梅雨の大停滞に遭うも、旅は続く! 「日本3百名山ひと筆書き」田中陽希さん旅先インタビュー第17弾!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳など南アルプス北部の山を登り、中央アルプスから、南アルプス南部の山々へと向かった田中陽希さん。 中央アルプスは2日の停滞で済んだものの、南アルプス南部は昨年の台風被害の影響で遠回りをしなくてはならなかった。さらに長い梅雨の影響を受けた7月下旬までの旅を追った。

POINT
  • 中央アルプス縦走は、2日の停滞を除いて、順調に進む!
  • 南アルプス南部の山々へ。熊伏山のあと、東海道まで大迂回
  • 長かった梅雨。静岡県川根本町にて大停滞を強いられた

 

中央アルプスは、雨天の停滞含め、7日間で踏破!


6月13日から中央アルプスの山旅がスタートしました。まずは北部にある二百名山・経ヶ岳を日帰りで往復しました。
山麓にある仲仙寺というお寺に立ち寄り、経ヶ岳のいわれを知りました。開山した慈覚大師が観音様の像を彫り、余った木にお経を書いて山頂に埋めたことから「経ヶ岳」と呼ばれるようになったそうです。
また、往復登山のよいところとして、行きに気づかなかった景色に、帰りに気づくチャンスがあるところで、この日は行きは雲で見えなかった伊那谷や南アルプスを下山時に見ることができました。

中央アルプス北部の経ヶ岳には4年ぶりに登頂した


翌6月14日からは、停滞を見越して、5泊6日で中央アルプス縦走に入りました。木曽駒ヶ岳は、伊那の人にしてみれば、西の駒ヶ岳(東は、甲斐駒ヶ岳)なんですが、今回初めて登った桂小場からの登山道は歴史が古く、なんと1300年前に役行者さんが登ったとのことです。

中央アルプスの縦走がスタート!


今では信州の名物にまで広まった蕎麦は、役行者が西から持ち込み、麓の方々に施したのが最初で、その後の修験者たちが、信州の各地の山で修行をし、携行していた蕎麦を広めていったとのことでした。久しぶりに役行者さんの名前が出てくる山でしたし、1300年も前に、ここまで来たんだというのも驚きでした。
木曽駒ヶ岳は、将棊頭山付近で高山植物が見られ、172座目の木曽駒ヶ岳に立ちました。これまで見たことのない角度からの木曽駒ヶ岳は、どっしりとした存在感の大きな山でした。

将棊頭山の山上で


予想通りの天候の悪化で、宝剣山荘で2日間停滞し、17日から縦走を再開しました。

誰も登ってこないので、中アを独り占め


この日は前日までの風雨と、気温の低下で、鎖も岩場もツルツルに凍ってしまっていました。早朝はとても歩ける状況ではなかったので、気温が10度くらいまで上がるのを待って8時半に出発。チェーンアイゼンを装着し、鎖に着いた氷を振り落としながら進みました。

6月中旬にも関わらず、鎖は凍りついていた!


宝剣岳から檜尾岳を超えて空木岳へ。木曽殿山荘では、縦走を見据えて、木曽義仲の力水と呼ばれる水場で5リットルの水を確保しました。

173座目の空木岳の山頂に立つのは、これで5度目でしたが、これほど天気良く、気持ちの良い縦走は初めてでした。 山頂直下の駒峰ヒュッテ泊としたので、小屋から夕方登り直し、マジックアワーのすばらしい景色に出会いました。翌朝も空木岳からはすばらしい展望で、南へ向かいました。

空木岳山頂では、夕暮れと早朝の景色に恵まれた


続く、南駒ヶ岳は、深田久弥さんが、空木岳とどちらを百名山に選ぶか迷ったという、二百名山のです。花崗岩の山で、稜線から空木岳と南駒ヶ岳の2つを見ると、とても良く似ています。植生も似ていて、空木岳が兄、南駒ヶ岳が弟、という印象を持ちました。

次の三百名山の越百山は、女性らしいたおやかな姿で、ハイマツに覆われた山です。山頂ではちょうど雲に入ってしまい、1時間待ってみましたが、回復しなかったので、次に進むことにしました。


二百名山のときの経験から、南越百山から先は藪を覚悟していました。が、奥念丈岳までは刈払いがされていて、スムーズに進みました。

ただ、奥念丈岳から先は、刈払いはされてなく、藪と格闘になりました。袴越山、松川乗越、浦川山を越えて、この日3座目の安平路山に至るのですが、ここは森林限界より低いため、藪も深く、別格の山でした。

深いヤブに覆われた安平路山までの縦走路


二百名山のときは南から北へ進んで、たいへんな想いをしたのですが、今回は安平路山に向かってゴールが近づいているという思いでした。一日3座の縦走を終え、安平路山の避難小屋に宿泊しました。

一日3座。最後はヤブとの格闘の末、安平路山に到達した

摺古木山にて。今回の中ア縦走では一番南のピークとなった

翌日は、摺古木山を経由して、大平宿へ下山しました。大平宿の丸川荘という宿に立ち寄り、1週間ぶりのお風呂に入らせてもらいました。 とても感じの良い宿で、天ぷらそばをいただき、長く休憩をさせてもらいました。次はぜひ泊まりに行きたい、と思いました。

大平宿の宿で1週間ぶりの風呂に入り、休憩/誰もいない道端に、応援の横断幕が!


下山の途中、笹の刈払いをしている地元の方に会うことができ、話を聞いたところ、奥念丈岳までの笹を刈ってあるけれども、安平路山までは刈らない理由を聞いたところ、「手付かずのところがあった方が面白い。そういうところは笹薮を残してある」とのことで、納得したのでした。

 

南アルプス南部の熊伏山に登頂。そして…東海道までの大迂回を決断!

次の山は、南アルプス前衛の熊伏山です。飯田から山を越えて、東南に進んでいきました。ここは車で行っても山深いところです。

平岡というところで、熊伏山への道があることを知ったのですが、その日は、13kmも先にある遠山郷に宿を予約してしまったのでした。予約した宿をキャンセルする訳にもいきません。
「往復26kmが、ムダになるかは自分次第」と考え直しました。蒸し暑くて熱中症気味で、滝に打たれて落ち着かせました。

県道「たなかみだればしせん」の表示の前で/長野県南部はとても暑く、熱中症気味に


6月22日、南アルプス深南部の第一歩で、三百名山の熊伏山に登りました。ヒルの山と聞いていたので、塩を持って歩き、撃退しながら登りました。標高差は1200~1300mでしょうか。最後にきて急になるのですが、急坂に気を取られているうちに、2匹に吸われてしまいました。

手に塩を持って熊伏山へ/ヒルが現れた!


熊が伏せているように見える山ということが山名の由来だそうですが、熊伏山は、印象の8割くらいが「ヒル」でした。山頂は東側が開けていて、南アルプスの深南部の山々が少しだけ見えました。
それから、3月の磐田での交流会でお会いした小学3年生のお子さんとその親御さんに山頂で再会でき、暑さの中で元気をもらいました。


次は、水窪から黒法師山へ、と思ったのですが、昨年の台風以来、林道が通行止めということがわかり、この計画を断念。
そして、梅雨をやり過ごしながら深南部の山々を登るためには、宿泊場所、食事や補給の買物の点から、大迂回しなくてはならなくなりました。


静岡へ向かって南下していき、6月26日には、掛川市まで歩きました。
天龍浜名湖鉄道に沿って歩いていき、天竜二俣駅でSLを見たり、木造のレトロな駅舎の遠江一宮駅では蕎麦を食べたりしました。

SLの運転台にて/一両編成のローカル線が、旅する自分の姿に重なった


6月28日には掛川から島田市へ。4ヶ月前には立ち寄れなかった掛川城を見て、前回通ったとき休みだったたこ焼き屋、日坂宿の事任八幡宮、メロンパンで有名な岡パンにも寄りました。

木造修復城である掛川城の天守閣/岡パンのメロンパンもゲット

東海道・金谷の石畳にて

日本一短いトンネル/大井川で最も長い吊橋


島田からは大井川鉄道に沿って北へ向かって歩き出しました。 川の上流に向かって標高が上がると、南アルプスに近づいている、旅が進んでいると実感できます。

大井川鉄道の名物「機関車トーマス」。週1回の運行に遭遇し喜んだのだが・・・

 

梅雨の大停滞に。焦る気持ちを抑えて、自分の旅を続ける


南アルプス深南部の話を地元の方に聞いたとき、「深南部らしさを味わうには、高塚山から黒法師山の間が良い」と教えてもらいました。そこで、三百名山の高塚山と黒法師山は、1泊2日で縦走する計画にしていました。

しかし、7月1日からの週間予報では、ずっと雨マークが続いていて、2日続けて晴れる予報になりません。 その中で7月2日が、唯一の曇りマークの日でした。曇りマークというのは、曇りがどっちかに転んで、晴れるかもしれない天気です。
なので、少し強引に、違うルートから、高塚山だけでも登ろうと、思い切って宿を出ました。大札山~蕎麦粒山~高塚山を往復50kmで日帰りしようと考えたのです。


以前なら、この曇天は「行けなくもない天気」でした。しかし、大札山まで登ったところでも晴れ間は見られず、曇天の景色の中で、「こういう登山をしたくて、自分は3度目の旅を始めたのか…」と我に返りました。

このあたりは初めて登る山域だったのに、数日の停滞で、少し焦ってしまっていました。初心を忘れず「ていねいな登山をしよう」と思い、引き返したのでした。

*****


<編集部から>
7月下旬まで続くことになる令和元年の梅雨の真っ只中、田中陽希さんは次の山に進むことができなくなり、静岡県川根本町で長期停滞を覚悟した。 停滞は1週間、2週間と続き、焦る気持ちを抑え、2日に一度、周辺をランニングするなどして体力を維持することにした。

茶畑をランニング。雨予報なのに晴れたりすると複雑な気持ちに


雨の予報でも晴れてしまうなど、葛藤を抱えながら、南アルプスへの準備を続けた。 大井川鉄道で週1回1往復運行する「機関車トーマス」にも、結局、2度、3度と会うことになってしまった。

機関車トーマスと3度目の遭遇

*****

長期滞在の中で、地域のお祭を見る機会がありました。ここまで1年半の旅の中で、祭りに遭遇する機会はあまりありませんでした。
松明を立てたイカダを大井川に流す 「流したい」というお祭りを見学しました。これは洪水と疫病の犠牲者の霊を慰めるために、江戸時代から続いている神事です。

アルプスに入った6月5日から40日。伸ばしていたヒゲを剃り、心機一転


また、地元の小学校に招かれて、講演をする機会もいただきました。長期停滞している中で、地域の方と交流する機会ができ、恩返しができたと思います。もちろん元気な小学生に触れ、自分も元気をもらいました。


結局、川根本町での停滞は、24泊25日となりました。 この間、川根本町を走ったり歩いたりした距離は220kmになり、大井川鉄道では、週1回運行の「機関車トーマス」に4回、そして、年間16日しか運行しない「機関車ジェームス」にも遭遇しました。

ようやく梅雨明けが見えてきて、7月24日に出発すると決めました。

 

*****

 

取材日:2019年8月23日
協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力10,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
http://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山のまとめ

経ヶ岳 [6月13日]

木曽駒ヶ岳 [6月14日]

空木岳 [6月17日]

南駒ヶ岳 [6月18日]

越百山 [6月18日]

安平路山 [6月18日]

熊伏山 [6月22日]

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

編集部おすすめ記事