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2002年7月のトムラウシ山遭難事故の教訓/北海道を襲う台風と思い込みによる判断ミスの恐さ

山岳防災気象予報士・大矢康裕が教える山の天気のイロハ
基礎知識 2019年09月19日

山で判断を迫られる際に、やってはならないことの1つが「思い込み」。自身に都合の良い天候判断が大きな事故を招いてしまった――、そんな一例の1つ、2002年のトムラウシ山遭難事故を例に、気象判断について考える。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。関東上陸直前に「非常に強い」勢力にまで発達した台風15号は、関東に接近・上陸する台風としては異例の勢力を維持したまま東京湾を北上し、9月9日(月)の5時頃に千葉市に上陸、暴風により多くの電柱が倒れて停電が続くなど甚大な被害を与えています。被害を遭われた方には謹んでお見舞い申し上げます。

今回のコラムでは、2002年7月の台風6号によるトムラウシ遭難事故について取り上げたいと思います。トムラウシ遭難事故と言えば2009年7月の大量遭難事故があまりにも有名ですが、その7年前にも名古屋と福岡の女性2名が低体温症で亡くなられるという痛ましい事故が起きています。

事故の詳細は、「ドキュメント気象遭難」(ヤマケイ文庫 著者:羽根田治)の中で遭難事例の一つとしてまとめられていますので、ぜひ一読をお勧めいたします。本記事ではこの本では解説されていないだけでなく、おそらく誰も取り上げていない「2002年の台風6号の動き」について特に焦点を当てて解説いたします。

 

北海道の百名山の一つ、トムラウシ山の魅力

そもそもトムラウシ山とはどのような山なのでしょうか。トムラウシ山(2141m)は深田久弥の日本百名山の1つで、北海道の大雪山・旭岳の南側にあります。旭岳よりアプローチが長く、日帰り登山は困難な山ですが、その独特の山容に魅せられて登る人が多い山です。

化雲岳とヒサゴ沼分岐の間にある「神遊びの庭」から見るトムラウシ山は、まさに「天上の山」で、行った人にしかその魅力は分からないと感じます。私もトムラウシ山に魅せられた一人で、最初に登ったのは1991年の秋の単独行でした。

このときの話を少しすると――、「りんご台風」と呼ばれ東北のりんご畑に大きな被害を与えた台風19号が北海道に再上陸したため、9月28日の名古屋から千歳への朝の飛行機が欠航になり、急遽、夜の便に変更して千歳まで飛び、そのまま夜行電車で稚内まで移動、9月29日に日帰りで利尻山を往復して再び夜行電車で旭川まで移動する強行軍のあと、9月30日から10月1日にかけて天人峡からトムラウシ山にアタックしました。

しかし、台風通過後の冬型気圧配置による積雪と朝方の冷え込みによる凍結のため、トムラウシ頂上付近はキックステップが効かないカチカチのアイスバーンになっていました。何度か突破しようとトライしましたが、アイゼンかピッケル無しでは滑落の危険があり、私のほかに登山者もいないため頂上手前100~200mぐらいとのところで大事を取って撤退の判断をしています。

単独行では絶対に無理をしてはいけません。山は逃げませんから――。

私は2005年8月の会社山岳部の夏山合宿で14年ぶりにトムラウシ山に無事に登頂しています。私にとって、トムラウシ山はそんな思い出深い山です。

神遊びの庭から見るトムラウシ山(2141m)2005年8月8日撮影(写真=大矢康裕)

 

2002年7月にトムラウシ山を襲ったのはどんな台風だったのか?

下図はデジタル台風(国立情報学研究所)による2002年7月の台風6号の経路図です。台風は10日にいったん房総半島に上陸したのちに、11日には三陸沖から北海道の釧路市付近に再上陸しています。台風と梅雨前線の影響で中部から東北で大雨、関東南部で暴風となり、死者6名、行方不明者1名、負傷者39名、住家全壊27棟など大きな被害を与えています。

2002年の台風6号の異例の進路(左)と、一般的な台風の進路の違い


この台風の経路の何が異例なのか・・・皆さん、お分かりでしょうか。第3回目の「台風を予想して遭難を避けよう」の記事でも掲載した気象庁の台風の月別の経路図では、日本付近に接近してくる台風はすべて右にカーブして進んでいます。

★台風を予想して遭難を避けよう! 台風10号の実例から進路予報の見方を知る

しかし、この台風6号は、いったん右にカーブしてから房総半島を通過したのち、まるで魔球のように左にカーブして北海道に再上陸しています。なぜこのような経路になったのでしょうか。

 

台風6号の進路を捻じ曲げた寒冷渦(寒気を伴う上空の低気圧)

その回答は上空の風の流れにあります。下図は7月10日の夜9時の500hPa天気図です。500hPaは夏なら上空5700mから5880mで、ちょうどキリマンジャロの標高5895mと同じぐらいの高さです。

2002年7月10日、21:00の天気図、台風、寒冷渦、サブハイの位置に注目


日本の南東海上には太平洋高気圧に対応する上空の亜熱帯高気圧(Subtropical High、略してサブハイ)があります。台風6号は関東付近に進んでいきますが、注目は沿海州にある「寒冷渦」と呼ばれる寒気を伴う上空の低気圧です。

2つの台風が接近すると複雑な動きをすることがあり、これを「藤原効果」と呼ばれていますが、台風と寒冷渦との間でも同じような効果があります。台風と寒冷渦の風が相互に干渉し合って、お互いに反時計回りに動いたため、台風6号の進路は左に曲がったというわけです。

寒冷渦は地上では不明瞭で、地上天気図には現れないことが多いので、地上天気図だけ見ると台風が不可解な動きをしたように見えるのです。

 

当時のガイドがやってしまった「思い込み」による誤った判断

では、この台風6号の動きは全く予想できなかったのでしょうか。いえ、決してそんなことはありません。10日の夕方5時頃に見ることができた気象庁の48時間予想図では、台風6号は中心気圧985hPaで強い勢力を維持して12日朝9時には北海道の知床半島付近に進むことが予想されています。

2002年7月10日17:00発表の48時間予想図。台風は知床半島付近に進むことが予想されていた


当時の天気予報もそのような予報が出ていたはずです。しかし残念なことに、遭難したパーティーのガイドは、「台風は北海道に近づくまでに弱まる」と「思い込み」による誤った判断をしてしまい、11日の朝に風雨が強い中、ヒサゴ沼避難小屋からトムラウシ山に向かっています。

そして、台風の接近とともに強まっていく暴風雨の中、低体温症により歩けなくなったメンバーが出たため、フォーストビバーク(緊急避難のための強制ビバーク)を余儀なくされ、12日のお昼前に救助隊が到着するも残念ながら亡くなられた、というのが遭難の経緯です。山岳防災活動をしている私としては、やるせない気持ちで一杯です。

 

風を遮るものがない、のっぺり地形が低体温症のリスクを高める

さらに言うならば、下の写真をご覧いただければ分かるように、トムラウシ山での遭難現場である「神遊びの庭」の付近は平坦な地形で、風雨を遮るものは全くありません。

雪山でもそうですが、このようなのっぺりとした地形では低体温症による遭難事故がよく発生するので、「のっぺり地形=低体温症のリスク」と肝に銘じておく必要があります。

過去には白馬岳周辺、薬師岳などの平坦な場所で低体温症による遭難事故がよく発生しています。

平坦な地形が広がる神遊びの庭から見るトムラウシ山(2141m) 2005年8月8日(写真=大矢康裕)

 

事故の最大の教訓は、「思い込み」は山では重大な遭難事故につながるということ

「思い込み」は正常な判断力をマヒさせます。そして、「今まで事故もないし、たぶん大丈夫だろう」という正常性バイアスに陥ってしまいます。これは地震津波や豪雨などの全ての災害で共通しています。

この遭難事故の顛末ですが、当時のガイドは裁判で遭難事故の責任を追及されて、業務上過失致死の罪に問われて禁固8月、執行猶予3年の厳しい判決が出ています。このような「思い込み」は当時のガイドだけでなく、私たちの誰でもやりかねないものです。

決して他人事と思わず、他山の石としなければなりません。気象遭難と言われながらも、実は人の判断ミスによるものだったという遭難事故が非常に多いと痛感しています。

ガイドや登山リーダーは事故の責任を問われ、単独行の場合は判断ミスが即、自分自身に襲い掛かります。明日は我が身かもしれないと常に自らの心を戒めることが、少しでも遭難に遭わないようにする心がけと思います。

 

なお、Twitter「大矢康裕@山岳防災気象予報士」では最新の気象状況を提供しています。最新の天気情報に併せて本記事の補足なども行っております。ふだんの天気情報の確認にぜひご確認ください。

 

危機管理 遭難・事件
教えてくれた人

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、気象防災NPOウェザーフロンティア東海(WFT)山岳部会の一員として山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
現在、岐阜大学大学院工学研究科の研究生として山岳気象の解析手法の研究も行っている。

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

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