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主要山域

朝日連峰

朝日連峰

写真:石橋睦美  飯豊連峰・頼母木平からの朝日連峰。左から以東岳、月山、寒江山、西朝日岳、中岳、大朝日岳、御影森山

 山形と新潟の県境をなす隆起山地で、飯豊連峰とともに越後山脈の北端に位置する。古生層を基盤とする古い山地だが、なかでも大朝日岳(おおあさひだけ)付近で見かける縞模様の花崗片麻岩は、朝日連峰の誕生の古さとその生い立ちを示している。
 連峰の中心は、大朝日岳から西朝日岳、竜門山、寒江(かんこう)山、以東岳(いとうだけ)へと続くおおらかな起伏を見せて連なる主稜と、枝分かれした支尾根を含む南北60km、東西30kmの山塊である。
 日本海からわずか40kmという位置と、南北に走る連峰という立地条件から、有数の豪雪地帯としても知られている。雪は季節風の影響で、偏東積雪現象をもたらす。そして、雪崩となって山稜を削り取り、非対称山稜を形成している。
 また、稜線上の砂礫地には、氷河周辺に現れる高山特有の地形も見られ、標高の割には自然条件の厳しい山域である。
 稜線上の豊かな高山植物とともに、山麓から山腹にかけて這い上がるブナの原生林は、朝日連峰の大きな特色となっている。そして、これらが豊かな野生獣をはぐくみ、三面(みおもて)マタギをはじめとする人々の猟場となっていた。一方、谷は隆起に逆らうように、豪雪と豊かな水流による浸食で深く削られている。
 朝日岳の開山は、農民やマタギ、木地師など、朝日の山にかかわりを持つ人々の素朴な信仰から生まれたことは容易に想像がつく。しかし、その後の政争や勢力争いから消滅したらしく、宗教色をほとんどとどめない珍しい山である。その一方で、埋蔵金伝説や朝日軍道といった歴史的に興味の尽きない一面も持ち合わせている。戦国動乱の世には、戦略上の必要から山岳の要路がその舞台に登場する。なかでも、信州の大門峠、飛騨の安房峠、越中のザラ峠等々が知られているが、これらと並んで雪中朝日連峰越えも記録に残されている。
 朝日軍道は、米沢城主となった直江兼続が飛び地である自領の庄内を結ぶ間道として、国境の朝日連峰を山越えして全長60kmに及ぶ「武藤尾之尉山階道」を慶長3年(1598)に切り開いたものである。起点は長井から草岡、葉山、平岩山、大朝日岳、以東岳、茶畑山、高安山を経て鱒淵に抜けるもので、今日でもわずかながら道形を確認することができる。
 スポーツ・アルピニズムとして注目され始めたのは、沼井鉄太郎氏による驚異的な足跡にその端緒を求めることもできるが、大正4年(1915)、川崎浩良、大江平助氏らによる大朝日岳から以東岳の縦走や、大正11年、安斎徹氏らによる縦走以来とされている。昭和25年の国立公園指定以後、コースや山小屋の整備が急速に進み、今日に至っている。

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朝日連峰の主要な山

大朝日岳

1,871m

以東岳

1,772m

相模山

1,591m

障子ヶ岳

1,482m

祝瓶山

1,417m

面白山

1,264m

頭殿山

1,203m

摩耶山

1,020m

新保岳

852m