自然調和するめざして
奥入瀬渓流エコツーリズム

文・写真=辻野聡、デザイン=熊谷篤史
協力=奥入瀬十和田利活用協議会[PR] 2024.03.01

自然の力は、時として優れた芸術家でも作ることのできないすばらしい景観を作り出す。青森県の奥入瀬(おいらせ)渓流も、そういった貴重な景観のひとつ。奥入瀬渓流では、美しい自然をもっと知ってもらうため、あるいは後世に残すため、さまざまな取り組みを始めている。そんな奥入瀬渓流の今をレポートしよう。

火山活動から生まれた奥入瀬渓流

奥入瀬渓流とは?

十和田八幡平国立公園に属し、特別名勝、天然記念物に指定されている奥入瀬渓流は、新緑や紅葉の季節には多くの観光客でにぎわう日本でも有数の観光地として知られている。昨今は、日本人ばかりではなく、外国人観光客の姿も多く見られる。

広域図

奥入瀬渓流とは、青森県と秋田県の県境に位置する十和田湖から北東方面に流れ出る奥入瀬川の、子ノ口(ねのくち)から焼山までの約14kmの渓流のこと。人の手が入っていない自然のままの緑豊かな森が広がり、奥入瀬渓流に流れ込むいくつもの支流にかかる滝は美しい景観を作り出すのに一役買っている。

川沿いには遊歩道が作られ、地面と川面が近く、手を伸ばせば届くほど身近に自然を感じることができる。

写真=奥入瀬自然観光資源研究会

写真=奥入瀬自然観光資源研究会

奥入瀬渓流の成り立ち

奥入瀬渓流は火山堆積物が削られてできた渓流であり、その起源は、約76万年前の八甲田山の噴火まで遡ることができる。この噴火で、火砕流の堆積物の台地が形成された。その後、約20万年前に始まった十和田火山の火山活動により約1万5000年前に十和田カルデラが形成され、カルデラ内に水が溜まっていき十和田湖が形成。さらに水位が上昇し湖岸が決壊、大洪水がU字型の渓谷を作った。その後、少しずつ浸食が続き、現在の奥入瀬渓流の形になった。

奥入瀬渓流の自然の特徴

溶結凝灰岩に囲まれたU字状の谷地形

奥入瀬渓流は、両側が急峻な崖状の地形になっている。これは奥入瀬川が八甲田山の火砕流堆積物の台地を浸食してできたからで、両側には火砕流の堆積物である溶結凝灰岩を見ることができる。

特に奥入瀬渓流では、溶岩が冷えて固まる時にできる割れ目の節理が板状になる板状節理が見られるのが特徴。割れ目が柱状になる柱状節理も見られ、二つの節理が見られる貴重な場所となっている。

写真=奥入瀬自然観光資源研究会

写真=奥入瀬自然観光資源研究会

コケが育む緑豊かな森

奥入瀬渓流は溶結凝灰岩でできている。つまり、もともと土壌がないので植物が生育する環境に適しているとは言いがたい。しかし、現在の奥入瀬渓流には森が広がり、代表的なブナ、トチノキ、カツラ、サワグルミのほかにも、ミズナラ、ハルニレ、ホオノキ、ケヤキなども見ることができる。これはどういうことなのだろうか。

その理由はコケにある。奥入瀬渓流はコケの森としても有名で、日本蘚苔類学会が選定する「日本の貴重なコケの森」にも選ばれている。

奥入瀬渓流にコケが多い理由の一つが、独特の気象条件だ。八甲田山の南に位置し、冬は大陸からの季節風が八甲田山にぶつかり大量の雪をもたらす。その雪解け水は、奥入瀬渓流上部のブナの森に蓄えられ、その水が支流や滝となって渓谷内に充分な水を供給している。また夏季には、東北特有の太平洋高気圧からの冷たく湿気を多く含んだ北東風(やませ)により霧が発生しやすく、谷地形のため停滞しやすい。これらの気象条件がコケの繁殖に適した環境を生み出している。

もう一つの理由は十和田湖にある。もしも奥入瀬川の水量が増すとコケが流出するリスクが高くなるが、それを防いでいるのが十和田湖だ。十和田湖が天然のダムの役割を果たし、奥入瀬渓流の水量を一定にして、コケが流出することを防いでいる。

こうしてできたコケに樹木の種が落ち、コケが苗床となって樹木が育つというわけだ。奥入瀬渓流内には、苔むした溶結凝灰岩の岩が点在しているが、その岩を包み込むかのように樹木の根が張り、樹木が成長している様子も見ることができる。

豊かな自然を守るための取り組み

交通規制の導入

独特の気象条件が独自の自然環境を作り出し、四季の美しい風景を求めて、多くの観光客が訪れる奥入瀬渓流だが、昨今はある問題に直面している。

奥入瀬渓流沿いには国道102号が通っているが、もともと地域の生活道路、産業道路として使われており交通量は多い。そこに観光客の自家用車が加わり、人気の場所には路上駐車がされることで、交通渋滞が発生。排気ガスによる環境への影響も懸念されている。

また、観光客が車道を歩かなければならない場所もあり、歩行者の安全性が脅かされるとして、早急な対応が求められている。

奥入瀬渓流沿いの渋滞と排ガスの問題の解決策として考えられているのが、青橅山バイパスの開通だ。現在、奥入瀬渓流に並行して奥入瀬バイパスがあるが、青橅山交差点から子ノ口までの区間は幅が狭く、紅葉のハイシーズンは大型車・特定中型車通行規制区間に指定されている。この区間を通らずに子ノ口まで行けるよう現在事業中なのが青橅山バイパスだ。この道路の完成後、渓流沿いの道路は交通規制区間となり、理想的な環境下で豊かな自然を満喫できるようになる。

奥入瀬十和田利活用協議会と奥入瀬渓流エコツーリズムプロジェクト実行委員会では、将来の交通規制を見据えて、奥入瀬渓流区間で社会実験として交通規制を実施。2023年度は10月23日から29日までの期間に実施された。焼山に臨時の駐車場を設け、有料のシャトルバスを運行。この社会実験を通して、将来の交通規制実現に向けて、さまざまな取り組みを行なっている。2024年度は10月21日(月)〜27日(日)を予定している。

エコツーリズムをめざした取り組み

ネイチャーガイド共に自然をじっくり観察

これまでの奥入瀬渓流を訪れる観光客は、渓流沿いの自然の風景を見て通りすぎるだけだった。それを、交通規制の導入により環境への負荷が減らされるだけでなく、奥入瀬渓流のすばらしい自然を立ち止まってじっくり観察してもらうエコツーリズムを根づかせようという取り組みが始まっている。

奥入瀬渓流ではコケに代表されるように、ただ歩くだけだと見逃してしまうようなものでも、立ち止まって、じっくり観察してみると、新たな魅力に触れることができるものがたくさんある。

前述の交通規制の社会実験が行なわれている期間中には、「ボランティアガイドウォーク」や「ネイチャーガイド研修生トライアルガイド」を実施。エコツーリズムをめざした新たな取り組みも行なわれている。

自然に優しいグリーンスローモビリティ(電気自動車)導入

交通規制の社会実験が行なわれている期間は、渓流沿いの国道に設置された停留所に止まるシャトルバスが運行。石ケ戸〜雲井の滝間には、7人乗りの小型電気バスが運行された。電動なので排気ガスがなく、エンジン音がしないので、大自然を楽しむには最適。今回導入された車は、1回の充電での航続距離が短かったので限定された区間での運用となったが、全線で電気自動車が使えるようになれば、環境に優しく利便性も非常に高くなる。

「奥入瀬フィールドミュージアム」とは?

現在、奥入瀬渓流では、交通規制やエコツーリズムをめざした取り組みなどが行なわれているが、その元になっている理念が「奥入瀬フィールドミュージアム」だ。

「奥入瀬フィールドミュージアム」とは、奥入瀬渓流を天然の自然博物館(ミュージアム)に見立てたもので、地質・自然の天然の展示物から自然の成り立ちや営みを学ぼうというもの。これは、2018年に奥入瀬渓流利活用検討委員会が奥入瀬バイパス完成後の奥入瀬渓流のあり方を定めた「奥入瀬ビジョン」に書かれていたものだ。

この「奥入瀬フィールドミュージアム」を実現するために、地元主体で官民一体となった「奥入瀬十和田利活用協議会」を2023年9月に設立。現在では、観光、環境、道路交通の関係者による議論が活発に行なわれている。

奥入瀬渓流の豊かな自然を体験しよう

奥入瀬渓流の下流の焼山から十和田湖の流出口である子ノ口に至る約14kmの区間には、渓流沿いに遊歩道が整備されている。上流に向かって歩いていると、ほぼ傾斜がないように感じるが、焼山と子ノ口の標高差は200mあり、非常に緩やかな上りになっている。つまり、奥入瀬渓流を上流に向かって歩くということは、活火山の十和田湖に向かって登山をしているようなもの。しかしここなら、登山の経験がなくても安心して歩くことができるので、初めての山歩きに最適だ。

渓流沿いには、いく種類ものコケ類、地衣類、菌類が見られ、いくつもの滝、そして溶結凝灰岩の板状節理も見られる。これらを観察しながら歩くことで、実りが多い山行になるに違いない。急峻な斜面を登ることも楽しいが、緩い山道をのんびり歩くのも、新たな発見を楽しむことができるに違いない。

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