若き頃、登攀(とうはん)に憧れ穂高岳に通った青年は、やがて穂高山麓の山小屋の主人になった。人生のなかのいっときであれ、真剣に山と対峙した経験をもつ者は、いまや山小屋経営者として、まっこうから山に向き合う。そんな山田直さんにとって、登山のパートナーであり山に暮らす必需品でもあるGORE-TEXプロダクトとの出会いや思い出についてうかがった。
山の暮らしと登山
― 現在、山小屋経営者として重きを置いていることは何ですか。
山田さん:
横尾山荘は、「奥上高地」と言われる位置にあり、ここから先がまさに槍・穂高への登山となります。小説家の井上靖が『氷壁』に描いた舞台である前穂高岳は、ちょうど横尾山荘から仰ぐことができるんですよね。『氷壁』を読んで、梓川沿いを歩き、初めて横尾にやってきたという人にとって、ここは「やっと来た」場所のはずです。昨今、色んなことが手軽になり、気楽に登山を始められるようになりました。それはよいことでもありますが、横尾はやっぱり「やっと来た」場所でなくてはならないと思っています。
登山のために快適な設備や食事を提供し、皆さんをお迎えするよう努めています。しかし、登山に必要ないものの提供や、過度なサービスは不要と考えています。それが、私が考える山小屋です。
横尾は、年間二十数万人の登山者が通過します。川沿いにあり水が豊富な場所と思われていますが、宿泊者だけでなく通過するすべての登山者に、常に飲み水を提供するのは、けっこうなプレッシャーなんですよ。もちろんそれは、各山小屋でもそれぞれの環境に応じて設備管理に努力していることでありますが、その責任は重いと思っています。
また、登山者の安全を守ること、事故を減らすことにも注力しています。宿泊者カードに書き込まれた翌日の行動については、注意深くみています。登山者の足回りや行動などから心配な要素が感じられたら、これまでどんな山を登ってきたのかなど問いかけるようにします。それによって、「楽しんで登れそうですね」と見送ることができる場合もあれば、幾つか注意事項をお伝えすることもあります。こういった現場での一言が、重要だと思っています。
― オフのときの山登りについて聞かせてください。
山田さん:
山小屋で働く若いスタッフと一緒に、穂高界隈を登ることが多いですね。
沢や尾根、登攀ルートの詳細まで把握し、経験している者は少ないです。まずはあちこち登り、穂高連峰の概念を理解してもらいたいですね。それは遭難救助など山小屋の仕事にも役立ちます。さらには自分自身の登山の世界をもっと広げてもらえたら、嬉しいですね。
残雪期に横尾本谷を登ったり、晩秋の頃、奥又白から前穂IV峰正面壁の北条・新村ルートを登り、V・VIのコルから涸沢に降りて、横尾に戻ってきたりしました。どれも日帰りで、ときには12時間以上の行動になりますが、充実しますよ。岩登りに不慣れな場合は、穂高に行く前に三つ峠でトレーニングし、互いのことを確認します。
― 好きな山は?
山田さん:
もちろん、穂高です。
数年前剱沢で、山小屋経営者の研修会が開催されたあと、ほかの小屋の主人と北方稜線を歩きました。久しぶりの剱岳でしたが、ほんとうにいい山だとあらためて思いました。若い頃登った谷川岳もまた登りたいですね。けれどやっぱりここに暮らしているわけで、穂高がいちばん好きです。
小春日和の穂高稜線、信州側の岩はぬくもりがありますが、飛騨側は手が張り付きそうなぐらい冷たいんですよね。そんな感触も好きです。
冬のあいだも山荘に通っているんですよ。設備チェックのためです。広い川床を歩くとき、目印にしている樺の木が、毎年どんなに成長していくか、また川の流れが変わり、岸辺の草木が成長し茂っていく様子も見ています。登攀に明け暮れた若い頃には気づかなかったことですが、ここに暮らすようになり、色んな視点で山を見ることができるようになりましたね。
きっかけは、シュラフカバーだった
― 初めて手にしたGORE-TEXプロダクトは?
山田さん:
シュラフカバーです。1980年頃でしょうか。いまでも大切に保管してありますよ。それまでナイロン製を使っていましたが、厳冬期は濡れてしまいます。シュラフはいちばん濡らしてはならないものですよね。だから、最初にシュラフカバーを買いました。
間もなくして次に買ったのが、オーバーゲーターです。当時、プラスチックブーツはまだ出回っておらず、厳冬期の主流は革の二重靴でした。私はそれも買うこともできず、革のシングルを履いていました。防寒性が劣り、凍ったらおしまいです。オーバーゲーターがGORE-TEXになり、ほんとうに安心しました。
雨具を買ったのは、その次ですね。
GORE-TEXになったおかげで、長時間着用できるようになりました。雨がやんでもまた降ってくるかもしれない、そんな空模様のときや、稜線の風が強い時も、気にせず着用し続けられます。透湿機能が劣るナイロンだと、こうはいきません。
― GORE-TEXプロダクトを使用したときのエピソードを聞かせてください。
山田さん:
昔の話ですが、厳冬期の縦走では、日に日にテントが大きくなっていくんです。テントが凍り、火を使うと解け、夜にまた凍り、これを繰り返すわけです。テントの中ではコンロに火をつけていますから、たちまち水浸しです。そんななかで、ぜったいに濡らしてはいけないシュラフをGORE-TEXのシュラフカバーで保護できるようになり、ほんとうに助かりました。
夏にひとりで山に行くときにも使っていました。そんなときは、ツェルトとシュラフカバーだけです。これもGORE-TEXだからできたわけです。ナイロン製だと、湿ってしまいますよね。
― 当時のGORE-TEXプロダクトと現在を比較して、どんな進化を感じましたか?
山田さん:
軽量、コンパクトになりましたね。けれど当時私は、重たい、かさばると思っていたわけではありません。それよりも、GORE-TEXという新素材の性能を、すごいと思っていました。いまになって振り返ると、たしかに当時の方が重たくて、かさばっていた、というだけです。
山小屋仕事もオフの登山も、ストームクルーザーを愛用
― どんなレインウエアを使用していますか?
山田さん:
モンベルのストームクルーザーを使っています。
内ポケットはとくに役立っていますね。行動中でも、さっとものを入れて濡れを防ぐことができます。自分で工夫している点としては、パンツには必ずサスペンダーを取り付けるようにしています。脚の上げ下げやザックとの擦れでズレ落ちるのを防ぐためです。
ストームクルーザーは、無雪期の登山において必要充分な機能を備えた雨具だと思っています。その最大の理由は、GORE-TEXを使用していることですね。GORE-TEXは、高いレベルの防水性、透湿性を兼ね備えているので、どんな荒天下でも、安心して着用することができます。また、軽量でコンパクトである点もありがたいです。オフの日に横尾から登る山は、12時間ぐらいの行動になります。荷物はなるべく軽い方がよいですが、機能を軽視するわけにもいきませんので、その点が両立されているのがよいです。
日本人に合ったサイズ感であること、上下別に購入できて、それぞれのサイズが選べること、パンツについては細かなサイジングがされていることもよい点だと思います。サイズが合っていないと、雨の浸水があるなど、せっかくのGORE-TEXがもつ防水性や透湿性が活かされなくなってしまいます。
また、登山で何年も使い古したものは、小屋の作業用にします。4月から11月まで、小屋が営業しているあいだは、ずっと使っています。小屋の作業は泥も油もつきますし、摩擦や切れも避けられないから、新品ではなく古いものを使います。けれど、それでもGORE-TEXのもつ防水性と透湿性は充分にあり、作業中に不快になることはありあません。GORE-TEXは耐久性にも優れているのだと、実感します。
― レインウエア以外に活用しているGORE-TEXアイテムは?
山田さん:
レインハット、スパッツ、シュラフカバーなど。レインハットは、雨の日は必ず使います。フードと組み合わせて使うと、ツバが雨よけになり、効果的です。
― これからのGORE-TEXプロダクトに期待したいことはなんですか?
山田さん:
性能には、充分満足していますので、GORE-TEXを理解した使い方を広めていくことが大切だと思います。
たとえば、雨具着用時のことです。「暑くなるから雨具を着ない」と言って、ずぶ濡れになっている人を見かけます。雨具を着て汗をかくのがイヤだということでしょうが、それでは雨に濡れて体が冷えますよね。雨具を着る前に、なかのウエアを1枚脱げばよいのです。適温で着用できるよう、自分で工夫をすることが大切です。
山はそもそも不便な場所であり、登山は疲れるし、不快なこともあり、たいへんなんです。それを自ら選択してやっているのだから、自分自身でもっと工夫していきたいですね。
山田直さん
1961年生まれ。横尾山荘代表取締役、北アルプス山小屋友交会会長、アルプス南部地区山岳遭難防止対策協会 救助隊長。高校と大学で登山を覚え、社会人山岳会に入り、登攀を経験する。いつしか、登攀よりも山での生活に軸足を移し、1984年から横尾山荘に入る。
横尾山荘
4/27~11月初旬開設。上高地バスターミナルから、徒歩約3時間。1泊2食10,000円。宿泊者専用風呂、売店、外来食堂あり。予約・問い合わせは0263-95-2421へ。