移住者インタビュー2021
Interview
OMACHI
長野県大町市

取材・文=大関直樹 写真=矢島慎一 取材協力=大町市総務部まちづくり交流課

高橋明久さん (51) 幸さん (47) 大地くん (12)
Takahashi Akihisa / Miyuki / Daichi

大町市への移住で知ったストレスフリーな生活。
温泉とおいしい食べ物がココロもカラダも癒やしてくれた。


失敗しない移住のために数年がかりでリサーチ

スキーにカヤック、MTBに登山用ザック。大町(おおまち)市にお住まいの高橋さんのお宅にお邪魔すると、様々なアウトドアギアが所狭しと並んでいた。きっとご主人の明久(あきひさ)さんは、さぞアウトドアスポーツに精通しているのでは? と思い尋ねてみると、意外にも大町に移住してくるまで、登山もカヤックも未経験だったという。

「山なんて子どもの頃の学校行事くらいしか登ったことがなかったんです。でも、せっかく近くにいい山がたくさんあるとわかったので、登りたくなりました。こちらには、アウトドアの達人がたくさんいるんですよ。白馬(しろうま)から祖母谷温泉(ばばだにおんせん)までトレランで日帰りしちゃう方とか、白馬尻小屋の管理人をされていた方とか。全部、大町市に移り住んでからできた仲間ですが、そういう人たちに色々と教えてもらいながら楽しんでいます」

明久さんが生まれたのは、東京の杉並区。小学校3年生の頃に安曇野(あづみの)に引っ越してから長野県で育ち、就職も松本市でソフト開発の仕事に就いた。しかし、最先端の技術を次から次へと追い続けなくてはならないコンピュータ業界の仕事に疑問を感じ転職。次は「人の役に立つ仕事をしたい」と考え、兵庫県で公務員になった。そこで趣味のスキューバダイビングを通じて幸(みゆき)さんと知り合い、結婚に至る。

「結婚して兵庫県西宮市の郊外に住んだのですが、いずれは退職して長野に戻ってきたいと思っていました。子どもの頃に安曇野で暮らして楽しかったことが大きかったんですね。36歳くらいのときから田舎暮らしに関する本や雑誌を買っていました。そして子どもが生まれたくらいの時期に移住相談セミナーに足を運んで、本格的に移住を決意したんです」

明久さんの移住計画は、数年がかりのものだった。まずは、移住候補の市町村の財政状況や人口などのデータ的な側面を調べる。それは税金や行政サービスに深く関連するからだ。さらに現地へ足を運び、教育や医療など生活の利便性についても調査をした。

「子どもの義務教育に関しては大きな差はありませんが、高校になると色々な選択肢が出てきます。もし、松本市の高校に通いたいとなった場合、大町なら通学圏内なんですよ。あとは、病院や買い物などの生活インフラが近くにあることも考慮すると、大町がベストな選択だと判断しました。鉄道の沿線であることも大きかったです。電車がその市町村に通っていないと子どもの高校通学にも不便ですし、自分たちが高齢になって車の運転ができなくなったとき、頼れる交通手段はバスや電車になりますから。短期的ではなく、長期的なスパンで将来困ることがないようにと考えました」

インタビュー中、お母さんに戯れる大地くん。生活環境が大きく変わった大地くんの成長を、幸さんは温かく見守ってきた

データだけでは見えてこない「生の声」を聞くことも大切

さらに大事なことは、移住を考えている町に知り合いを作り「生の声」を聞くことだという。それによってデータからだけでは見えてこない部分も知れるからだ。大町市の場合は、移住経験者が「定住促進アドバイザー」として活躍しており、彼らに相談できたことも大きかった。

「定住促進アドバイザーの方は、みなさんが移住の経験をお持ちなので、市役所の方とは違った目線のお話をしてくださいました。やはり、実体験した人でないとわからないことってあるんですよね。とくに、一度移住した場所から移ってきた人の話を聞くのは参考になります。なぜ、最初の移住地は合わなかったのかといったネガティブな情報は、あまり公表されませんから。ただし、その方にとっては嫌だと感じたことも、自分にとっては嫌じゃないこともあり得るわけです。そこは、いろいろな方から意見を聞いて、自分なりに咀嚼したほうがいいと思います」

ほかにも大町市では、年に数回移住者の視点で立案された移住体験ツアーを催行している。明久さんが参加したツアーでは、大町市の幼稚園や保育園、小学校などを見学することができたほか、アウトドアスポーツを楽しめる場所も紹介してくれた。

「自分ひとりで幼稚園を訪れて、『中を見せてください』とはなかなか言えませんので、このツアーも助かりました。また、アウトドアアクティビティについても、実際に現地のフィールドに案内をしていただき、お話を伺うことができたのもよかったです。そこで出会った方たちは、みなさんすごくフレンドリーで、『また、旅行に来た時でも寄ってくだされば、お話しますよ』という感じでしたね」

1 明久さんが自分で作ったテラスにて。移住を機に大町で知り合った人たちとの良い関係が続いている
2 関西生まれの小学6年生、大地くんはサービス精神旺盛で周りを和ませてくれる
3 気兼ねなく好きな動物を飼えるのも田舎暮らしの特権
4 わんぱく盛りの大地くんは気がつくと1階の軒上に。大町の空は青くて広い!

移住を成功させるコツは夫婦間で価値観を一致させること

入念にリサーチをして大町市に移り住むことを決めた、高橋さん一家。明久さんは、現在コンピュータによる金属加工の仕事をしている。忙しくて残業することもあるが、以前の様に夜中に帰宅することはなく、休日の時間は自分の楽しみに使えるので満足している。

「主人はそう言いますが、移住されてくる方の仕事面での不安というのは、仕事の内容よりも収入面だと思うんですよ」と話すのは、妻の幸さんだ。

「実際、世帯年収は確実に下がると思います。都会とこの辺りとの収入格差は如実ですし、たとえば育ち盛りのお子さんがいて、これからいろいろと通学や進学費用などがかかることを考えると不安はありました。私も正直、移住について諸手を挙げて賛成したわけではありません。40歳を過ぎて転職というのは、かなりリスキーな選択ですから。ただ、主人の前職はかなりストレスフルだったので、健康には代えられない部分があると考えて決意しました」(幸さん)

移住によって明久さんの収入が減った分、幸さんは自らが持つソーシャルワーカーの資格を活かす仕事に就こうと思っていた。しかし、移り住んだ当初は、求人がなかったのでパートへ出ることを決意。その後、縁があって総合病院に就職できたことで、経済的な面に関しては心配がなくなったという。

「もともと生活のすべてをリセットして、一からビルディングしていくことを想定していました。『落ち着くまで5〜6年はかかるかなあ…』とは考えてきたので、私的にはいろんな意味で想定内です(笑)。ただ、金銭面で安心なほうがよいか、精神的な充足を求めるのか、その点について夫婦間で価値観が一致していないと移住を成功させることは難しいと思います。経済面よりライフスタイルを優先したいという意識をお互いにハッキリ持っているご夫婦なら問題ないと思うのですが」(幸さん)

移住してから、6年。収入面以外で何か戸惑ったり、悩んだりしたことはないのだろうか? 明久さんは「全くないです」と答えてくれたが…。

「良いことづくめか、と問われた…うーん。多分主人はそうかな、と思いますけどね(笑)。うちの子は、小学校まで関西で生まれ育っているので、前のめり文化というか、ポンポンものを言うことが身についているんですよ。関西の幼稚園のときは、子どもたちがお互いに「アホ」、「ボケ」とか言い合っていました(笑)。でも、こちらではそれがキツく聞こえてしまうんですよね。私も主人も、もともとは関東の人間なので、すぐに切り替えができたのですが、子どもはかなり戸惑いがあったようですね」(幸さん)

1 リノンベーションした高橋さんのお宅には季節の花々がきれいに飾られていた
2 明久さんと大地くんだけでスキー板は10本以上持っている
3 移住してから信州の山の魅力に気がつき、家族で登山も楽しむようになった
4 お手製のカヌーラック。明久さんは、青木湖で「カヌーに乗ってホタルを見るツアー」の手伝いもしている

家族で畑仕事の後に温泉に行くのが楽しみ

ほかにも田舎暮らしの悩みとして、気になるのが地域の人との付き合い方だ。高橋さん一家は、大町市の中心部にお住まいだが、ご近所付き合いはどんな感じなのだろうか?

「この辺りは大町のなかでも市街地なので、わりと都会的なところがあるんですよ。だから、濃密すぎないというか、いい感じの距離感でお付き合いさせていただいています。これが別の地域だと、もっと密接な地域活動をしなくてはいけなかったかもしれませんが」(幸さん)

高橋さん一家は、本当は別の地域に家を買う予定だった。しかし、直前になって地主さんの事情で購入できなくなり、知人の紹介で現在の家を借りることになった。積極的にこの地域に住みたいと考えての移住ではなかったが、結果的に都会から来た家族でも地域の付き合いのしやすい土地柄だったという。

「そうは言っても、僕らも自治会にちゃんと入って活動をしています。こちらの慣習がわからなくて、周りの方にご迷惑を掛けることもありますが、そういうときは「高橋さん、こうしたほうがいいよ」と親切に教えてくださいます。そういう意味ではとても良い関係で、自治会活動も楽しくやっています」(明久さん)

現在住んでいる家は、駅からも近いし、郵便局、税務署も歩いていける。生活しやすいという意味では便利だが、困ったこともある。それは、ご高齢の世帯が多いので、息子である大地くんの友だちが少ないことだ。

「でも、子どもを連れて挨拶に行ったら『こんなに若い人が子どもを連れて住んでくれて、ありがたい』と言って、すごく喜んでくれて。ご近所のおじさんおばさんも、この子のことを可愛がってくれるので、それはうれしいことです」(明久さん)。

大地くんが友だちと遊ぶ機会があまりない分、明久さんがフィールドに連れ出すことが多い。登山にスキー、カヤックといったアクティビティ以外にも、今年からは畑も始めた。今は、地元の方に教えてもらいながらユーカリとギョウジャニンニクを育てている。

「それとは別に、空いている畑のスペースに息子が好きなものを植えています。芋類が好きなので、ジャガイモとサツマイモを植えました。そして、畑作業が終わった後に家族で行く温泉も楽しみのひとつです」

“名峰あるところに名湯あり”といわれるが、大町市周辺はクルマで30分ほど走るだけでいろいろな温泉に入ることができる。

「だんだんと循環式や加水式じゃなくて、源泉掛け流しのところじゃないと嫌だなと思うようになって。歳のせいか、効果の現われ方が全然違うと実感しています(笑)」

1 縁があって明久さんは大きな畑を借りた。休日は家族で朝5時から畑に出かけることも
2 畑の空きスペースには大地くんの好きなジャガイモとサツマイモを植えた
3 地元の畑仕事の師匠に教えてもらいながらユーカリを育てている
4 高橋ファミリーの畑は自宅からクルマで15分。同じ大町市内だが大糸線と仁科三湖を望む眺めのよい場所にある

自然の近くに住んで健康になったことを実感

幸さんも大町に移住してきて、一番良かったと思うことは、秘湯と呼ばれるような温泉に気軽に入りにいけることだという。

「都会からだと何日か休みを取らないと行けないような温泉にも、クルマでパッと行けちゃうというのは本当に恵まれているなと思います。主人はもともと冬場に免疫力が下がるので、毎年のようにインフルエンザに罹っていました。こじらせて死にかけたこともあったくらいなんです。でも引っ越してきて温泉に入って健康になったのか、風邪もひかくなくなりましたね。それを考えると医療費はかなり軽減されました(笑)」(幸さん)

明久さんは心臓を2回手術しており、主治医からは「汗をかくような運動は今後一切しないように」と言われていたという。

「それが今は朝早く起きて子どもと畑に行って、自転車やカヌーに乗って、スキーもガンガン滑って。当時の主治医が今の生活、運動しているのを見たら、『アンタ、死ぬからやめな』と言うでしょうね(笑)」(明久さん)

ご夫婦揃って大町に引っ越してきてから、健康になったと実感している高橋さんファミリーだが、それには物理的なストレスが少ないからではと幸さんは言う。確かに都会のような人混みのなかを通勤することもないし、目に入ってくる景色も優しい。それに加えて食べ物が美味しいこともあるとのことだ。

「お米にしても水がいいからなのか、同じ炊飯器で炊いても味が全然違うんですよ。野菜も地元のおじいちゃんおばあちゃんが作った無農薬のものや珍しいものが道の駅に行くと並んでいたりします。都会のちょっとしたレストランで食べたら、それなりの値段だろうなというものも普通に出回っていたり。そういう意味での贅沢感はありますね。生活の悩みというのは田舎にいても都会にいても生じるものだと思います。そう考えたら、自然に近いところにいるほうが健康寿命を伸ばすのにはいいのかもしれません(笑)」(幸さん)

移住という新しい扉を開いた3人は、いつも一緒に大町ライフを楽しんでいる

 
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