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篠原ファミリー

篠原 剛(夫)、貴子(妻)、ウベア(愛犬)

山に魅せられ山と共に人生を登る夫
山道は時に縦走となり、時に登攀となるかもしれない
あの日、反対した妻。今は夫の夢を支え続ける。
篠原さん夫婦には、頂きを目指す過程に訪れる
あの爽快な高揚と挑戦者の覚悟が漂う。
北アルプスからの清涼な風が闊歩する大町を舞台に
この夏、二人と一匹のあたらしい物語がはじまった。

ある日、主人が「ひとりで行く」と言った「この人は本気だ」と思った瞬間、私は移住をきめた

 信濃大町駅から車で15分。深い翡翠色の清水をたたえる木崎湖。その湖畔の傾斜地にひっそりと佇む山荘から初夏の陽光とおなじ明るく爽やかな笑い声が木霊する。発信の源はこのインタビューの主人公、篠原剛さんだ。築50年、「大町山の会」山荘で山の先輩たちと共に出迎えてくれた。緊張のせいだろうか、肩甲骨の間に重石を背負っている。「肩に力入りすぎだよ」と笑い声が飛ぶ。まるで大学山岳部の部室風景のような受け答えをする剛さんから、誠実という人柄が近づいて来た。10分後、剛さんのとなりに妻の貴子さんが坐った。剛さんの背中が伸びた。ぱん、と気合いを入れられた子供のように。歴史を感じさせる焦げ茶色の空間に光量の大きなランタンが灯った。貴子さんにはそんな輝きがある。
 「昨年3月、埼玉から越して来ました。犬が一緒なので家さがしに苦労しましたけど。偶然素敵な物件が見つかって、ラッキーでした」。
笑みを浮かべながら当初の経緯を話す貴子さんを心配そうにちらちらと横目で見る剛さん。ふと思った。妻が発する言葉、ストーリーを恐れているのでは、と。私たちは事前に質問内容を伝えていた。そして予測はすぐに的中した。 「私、知らなかったんです、主人が大町市へ移り住む計画をしているなんて。時どき友人や知人たちから、進んでいるの、長野での新生活の準備は? と訊かれることがありました。でも、何のことか、さっぱり。多分、主人が看護師の仕事と、夢中になっている登山のことを一緒にして将来の夢でも語っているのかな、って思っていたんです。まあ、いいっか、的な感じで。ところが、です。ある日長野旅行から帰って来たら主人の母が、どう、物件見つかったの? と心配そうにたずねるんですよ。その時やっと理解できたんです。私の知らないところで、何か重要なことが進んでいて、しかもすでに外堀は埋められているって」。
 時どき笑顔が薄れ、微笑みになり、そして幾分引きつり気味な苦笑いをしていた剛さんから、その全てが消え、奥歯に力が入った。
 「どういうこと、どうなっているの? 問い詰めました。すると今まで聞いたこともなかった主人の移住計画の全貌が明らかになったんです。しかも計画はかなりのレベルに進行していて(笑)。私は即座に反対しました。それまで住んでいた埼玉の家は、主人の両親も、それに私も実家からも近い所で暮らしていましたから。突然そんな日常から離れ遠くで生活するなんて。私自身よりも主人の両親やうちの親に対しての責任みたいなものを放棄しちゃう気がしたんです」。
自分が長年暮らした土地や愛する両親から離れ、他の地域へと移住し日々生活する決断との葛藤や不安は貴子さんに限ったことではないだろう。たとえ目的地が大好きな信州の町だとしても。では、なぜ貴子さんと窮地に立たされた!? 剛さんは、夢に向かって前進することができたのか。
 「突然、主人が単身赴任、自分ひとりで行く、と言い出したんです。いつもは黙々動く人なのですが、その時だけは言葉にすごい気迫がありました。すると私の中で何かのスイッチが入ったんです。ぱちっと。この人は本気なんだ、と確信しました。それからは、とても早かったです。いろんなことを次つぎと決断しましたから」。
やっと、日に焼けた剛さんの頬に赤い色の安堵がもどった。

夢という高みを目指し、ルートを切り開く妻と、仲間とつくる人生の山行計画書

 「はじめての登山は富士山です。25歳でした。先輩たちは軽い高山病になったのですが、僕はもう、楽しくて楽しくて。その時からです。山の魅力に引き込まれたのは。もう、夢中になって山岳情報を集めました。山へ出かける回数も段々と増えていきました。翌年、山仲間の先輩から誘われて秩父にある両神山や二子山に。二子山の西岳中央稜を登攀しているクライマーを見て、ぼっ、と体が熱くなって……。帰宅してすぐに埼玉山岳会に在籍する先輩に連絡しました。自分も岩をやりたい、と」。
 そして剛さんの山への微熱は一気に上昇。岩山での登攀経験と技術レベルを高めてゆく。28歳の夏、剛さんは常念岳へ登る。剛さんにとって忘れることのできない光景を目の当たりにした。それは以降の、つまり現在の剛さんの、そして将来へと続く運命的な出会いでもあった。夏の北アルプスは登山者密度が高い。体調を崩し、怪我する人も多い。山岳診療所は多忙を極める。剛さんは誰かに背中を押された感覚を今も覚えているという。当時、准看護師だった剛さんと山に魅せられたひとりの山男との間に生まれた強烈なまでの精神的化学反応は、たとえ山頂に鎮座する岡宮神社の神様でも止めることはできなかったらしい。
 剛さんはその後正看護師となり、診療所で知り合いになった人との縁で、36歳で市立大町総合病院で働き始める。
「山との付き合いを、もっと確かなものにしたかったんです」と背筋を垂直に正し剛さんは言った。

“精一杯チャレンジした失敗は怖くない失敗とは、何もせずその場に止まることこれが私の学んだこと……。

 「主人は目標に向かって猪突猛進の人です。今回の移住の前後、主人が『自分一人でも行く』と言いだした時は、毎日毎日、どうするべきか考え悩みました」。
 「『万が一、主人一人で長野へ行って、成功できたとしたら、それは何か寂しいな…と。一緒に成功を喜べたら、妻としてこんなに嬉しい事はないんじゃないか…』という考えが、空から降ってきたかのように私の中に芽生えたんです。目標に向かう主人の努力をずっとずっと見てきたから。私は、そんな主人を支える役目なんだ、と思いはじめたんです。すごい跳躍力なんです。本当に頑張れる人なんだって」。
 目を輝かせながら話す貴子さんに見つからないように、椅子を少しだけ後ろにずらした剛さんの目が潤んでいる。
「あれ、まさか泣いてんじゃないよね」と山の先輩たちが囃し立てた。顔を覗きこみ貴子さんも笑う。「ここまでやってこれたのも妻の存在があったからなんです」と剛さんが真っ赤な顔で弁解した。木造りのテラスから網戸越しに笑い声の小石が飛んだ。
 「主人って、大事な局面の時って、いつも人に恵まれるんです。私も大町に移住してから近所の方やたくさんの人たちからやさしい声をかけてもらっています。私の周りには移住してきた家族が多いんです。それに歩いて行ける距離に病院もスーパーも銀行も、ライフラインのファシリティがぎゅっと集まっています。私たちが住んでいた埼玉の町よりずっと都会(笑)」。
 ほんの数秒間、沈黙した貴子さんが話しはじめた。
 「私、何となくわかったんです、こっちに来て、生活するようになって。人も住む場所も、手をかければかけるほど、愛が育つことを。まあ、主人がその代表ですけど(笑)。愛をもらい、満たされ、その繰り返し。あしたも頑張ろう、と思う」。
 この夏、剛さんは網戸の向こう側の敬愛する先輩たちと共に、地元、北アルプス裏銀座コースの起点、烏帽子岳と三ツ岳の鞍部に建つ烏帽子小屋(2,520m)で『北アルプス夏山常駐パトロール隊』としての重責を担う。国際山岳看護師の資格を取得する日も近いだろう。もちろん、その最大かつ最高の支援者は貴子さんだということを、猪突猛進の山男は忘れはしないだろう。山荘の下から犬の声が聞こえ、みんながベランダに駆け寄る。そこには山荘の外で待っていたもう一人の家族、愛犬ウベアを迎えに坂道を駆け下りる貴子さんの姿があった。
 そして二人は息を弾ませ坂道を上って来た。「山男に夫唱婦随は定説だけど、我が家は婦唱夫随だよ」とウベアが笑った。

移住定住相談会

※本記事は2017年に取材・掲載したもので、年齢等の記載は掲載当時のものです。