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門松ファミリー

門松謙二さん、宏美さん、
慎吾さん、郁乃さん、
りく(犬)、ぐる(ねこ)

約20年前にIターン転職し、大町に移住した門松謙二さん。北アルプスを一望できる場所に、薪ストーブで暖を取る理想の家を建て、家族4人で暮らしている。
地域にすっかり溶け込んでいる門松さんご夫妻に、移住先に顔なじみを増やす方法と、大町暮らしの素晴らしさを伺った。

休みの日は、朝から晩まで外にいて、薪割りをしながら、山を眺めています

門松さんは、大町に移住して約20年。地域コミュニティにもすっかり溶け込んでいる移住者のひとり。まずは生い立ちから、移住までのいきさつを伺った。

横須賀出身の謙二さんは、お父様が山好きで、山の話を聞いて育った。自身はウィンタースポーツが好きで、白馬、小谷、大町は、学生時代からよく来ていた場所。岩岳スキー場のMTBの大会に出たこともある。
理工系の大学で学んだ専門性を活かし、神奈川県の機械製造の会社に就職。工場で設計の仕事をしていた。会社の同僚とキャンプをしたり、MTBに乗ったりと、アウトドアの遊びは欠かさなかった。

「頭の片隅には、どこかで山に近い暮らしに憧れていて、Iターン移住を考えていたんですね。仕事に就いて数年経ったところで、自分が本当にやりたい仕事ってなんだっけと考えるようになったんです。」

そこで、門松さんの出した結論は、お客さんと接するサービス業、それもリゾートホテルでのサービス業がしたい、だった。
「転職先は、ホテルグリーンプラザというリゾートホテルグループでした。この時点では、系列のどこのホテルに行くかは決まっていなかったのですが、辞令で赴任することになったのが、小谷村にあるホテルグリーンプラザ白馬でした。」

2000年2月に転職、山に近い暮らしが始まろうとしていた。

当時からお付き合いをしていた宏美さんは、横浜育ち。「私には、アウトドアの趣味はないし、寒いところが苦手だったので、彼の転職には『行ってらっしゃい!』って感じでした」。
送り出された謙二さんは、自分が仕事と環境に慣れたころ、宏美さんを呼び寄せて結婚。職場には独身寮しかなかったので、寮には住めず、周辺で住居を探していたところ、大町市の雇用促進住宅を見つけた。ここからご家族の大町暮らしが始まったのだ。

「大町に住むことが決まって、次に『薪ストーブ』のある家を建てたい、っていう夢がありました。毎年、冬が来るまでは、趣味のMTBに乗って大町中を走り回っていましたね。長男が小学校に上がるまでには、理想の場所を決めて家を建てようと、大町市の中でも、理想の住まいが持てる場所を探したんです。それで選んだのが、街を挟んで北アルプスが眺められるこの場所でした。薪ストーブで暖を取るとか、無駄なスペースを無くすとか、設計士さんに無理を言って、徹底的にこだわった住まいを建てました。」

今、謙二さんは休日のほとんどを、薪割りをして過ごしている。
「秋までに薪割りが終わらないと不安ですからね。だいたいひと冬に、3、4トンほど、薪を使うんですよ」。薪の入手にも常に気を配る。
「今はですね、車で山沿いを走っていてチェーンソーの音が聞こえると、『あ、薪がもらえるかも』って思って近寄っていくんですよ。今、庭に積んであるのは、楢、桜、欅。あれで4トンくらいかな。小さくしては、薪小屋に積んで乾燥させていきます。」

趣味のMTBに乗る時間はすっかり少なくなったそうだが、「風がない夕方なんかは、炉で焚き火をしたりします。何という時間ではないんですけど、ひとりでただ炎を見て過ごす『何でもない時間』が本当にいいんですよ」。

寒いのが苦手と言っていた宏美さんが目を輝かせて言う。
「薪の暖房って本当に暖かいんです。あっという間に部屋が暖かくなるんですよ」。拾われてきたとは思えない毛並みの良い猫のぐるも相槌を打っているように見えた。

“地域のコミュニティに入っていく秘訣は・・・

大町に住むことになって、謙二さんがこだわったことがもう一つある。それは、地域のコミュニティに溶け込んでいくこと。知り合いも、親戚もなしで、転職し移り住むとなると、拠り所がほしい。だが実際には、地域の社会に入っていくのはなかなか難しい。
「まず住まいの地区の消防団に入りました。ちょっとカッコつけて言うと、『自分で建てた家を自分で守りたい』っていうのが大きかったのかもしれません。それと、勤務先が小谷村で、土日が仕事のサービス業となると、休みが合う人が少ないので、地元に、大町に知り合いを増やしたい、と考えたんですね。」
消防団つながりで、地区、地域から、市の全域へと、積極的に交際を広めていき、まとめ役を引き受けるまでになった。

「一番、驚いたのは、街で飲んで運転代行さんを呼んだら、カドマツさんですよね、って言って家に連れて来られたことですね(笑)。仕事や趣味の関係だけでは得られない知り合いがたくさんできましたし、会合や訓練で大変なこともあるけど、おかげさまで顔が広がりました。地域に馴染む、知り合いを増やすというのには、消防団というのはいい方法かなと思います。」

謙二さんの人柄によるところが大きいのだろうが、地域にしっかり馴染み、大町での暮らしが充実していることが窺えるエピソードだ。消防団だけでなく、大町では盛んだというソフトボールチームにも参加しているという。

地域とのつながり、宏美さんはどうなのだろう?
「最初は子どものつながりから知り合いが増えていきますよね。今は、子育てもひと段落して、4、5年前から仲間とともにランニングをしています。横浜に暮らしているときは、通勤とか仕事でも汗をかかなかったんですけど、大町に移住して、自然と汗をかく体質になりました。マラソンですか? 横浜では絶対にしなかったはずですね。」
今では、仲間と走ったり、マラソン大会に出たりしているそうだ。

宏美さんのお仕事についても話を伺うと、これもお子さんが保育園の時の人間関係が、今につながっているという。
「保育園のときの園長先生や、その関係で、子育て支援のNPO法人を立ち上げから手伝うことになって。NPO法人って事務系の仕事が大変なんですけど、誰かがやらないと回らないので引き受けることになったんです。立ち上げから11年経って、今は市内の4か所の施設で児童を受け入れています。」

慎吾さん(18歳)、郁乃さん(16歳)の2人のお子さんも、ご夫婦と同じように、大町の暮らしが大好きだそうだ。
「季節の移り変わりをしっかり感じて、ここに住んでいてよかったって、時々、口にするんですよ。将来、進学などで大町を離れることがあると思いますが、ここに住んでいたいと言っています。今はいろんな情報も入ってくるし、女子高校生って都会とかに憧れたりするものなのに。慎吾も、郁乃も、大町が住みやすい場所と感じているんでしょうね」と宏美さんは話してくれた。

“移住で辛かったと感じたことは? 移住を考える人へのメッセージ

門松さんご家族、羨ましいくらいのエピソードの数々に「移住で辛いと思ったことはありますか? 」と、ちょっと意地悪な質問をぶつけてみた。
謙二さんは少し考えて、言葉を選びながら「孤独感、でしょうか。昔から一緒に過ごした仲間がいない、というか。これはいまだにあります。生まれ故郷を離れたからでしょうかね。でも、そんなこと考えている場合じゃない、っていつも吹っ切れるんですよ」と答えてくれた。

宏美さんは「女性の場合は、結婚を期に生きる環境が変わる、というのはよくあることですしね。自分の生まれ育った場所への思いは常に頭の中にはありますけどね」とだけ話してくれた。

移住を考えている人に、先輩としてアドバイス、メッセージをいただきたいと振ると、謙二さんは迷いなくこう話してくれた。
「移住は楽しみな部分と不安な部分と両面思い浮かぶと思いますが、不安要素はあまり考えなくてもいいと思うんです。欲しいものはインターネットでなんでも買えるし、生活での不便さはよっぽどのことじゃないと感じない。山に近い暮らしに憧れがあるなら、思い切って踏み出してほしいです。収入面ではもしかしたら都会の仕事よりは少なくなるかもしれませんが、地方でも仕事はいっぱいあります。」

「こっちから入っていけば、受け入れてもらえると思います。それと、この町の人たちは、移住者に大らかで、年配の方がいつも気にかけてくれる。よく玄関にかぼちゃだのきゅうりだのが置いてあります」と宏美さんは笑った。

最後におふたりに、大町に暮らして、一番いいなと思う瞬間は? と聞いてみた。
「北アルプスに当たる朝焼け、山が赤く染まるモルゲンロートは、家から見られます。でも、それよりも、月の明るさ、星空の明るさ、を感じることでしょうね。それと、一日、薪割りをしていると、週ごとに日が長くなることを敏感に感じられます。」

宏美さんは即座に「夕方から夜に変わっていくところ! もう本当に!」。
このときの宏美さんの表情が、ご家族の20年の大町での物語を集約しているようだった。

(取材:2019年7月)

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