私は去年から今年にかけ富士山の夢を何度も見るようになったのです。不思議に思い妙に富士山が気になりはじめました。それで富士山に呼ばれているような気持ちになり、また今年ちょうど30歳になるので、20代最後のラストイヤーに人生初めて富士山に登りました。天候に恵まれるだろうか、体力がいけるだろうか、など緊張しすぎて、最悪の場合を想定し靴やレインウエアなど全ての装備を2セット持っていくほど笑。そして重い荷物以外にも、何とか山頂へ行き、昔の人達がしてきたように信仰心を持ってお鉢巡りをしたいという大きな想いを背負って登山しました。登山中は富士講の方が唱えていた御神語を唱えながらずっと登っていました。その御神語は本で読んで知ったものです。その御神語を唱えることで呼吸が整えられ、肺に空気が入り、高山病にもならず、全く疲れることなく自分でも信じられないくらい元気で、山頂まで登れたのです。途中宿泊した山小屋の方が私の信仰心を知ってくれて、昔富士講を広め、また富士山で即身仏になった身禄さんの1番弟子をその山小屋で祀っていることを教えてくれました。私はその1番弟子にお賽銭を入れ、お線香とろうそくをあげさせてもらい、身禄さんに会いに来たことをお伝えし、何とか身禄さんに思いを繋げて頂けるようお願いしました。ちょうどその日が新月の日(7月18日)だったなで、新月の願い事として富士山頂に行くこと、また身禄さんにおにぎりをお供えすること、またお鉢巡りをすること、そして私が人生の中で自分の役目を理解し力強く生きれるように、人生を全うできるように願い事をそのお弟子さんの前で書き誓いました。そして次の日、身禄さんの即身仏になった所へ行くことが出来て、おにぎりをお供えしました。その時に「何とか頂上まで行けるよう、お力添えをください」と身禄さんにもお願いしました。その想いが天に届いたように、山頂まで全く疲れることなく、お鉢巡りまで出来て、そして山頂からの景色絶景に本当に感動しました。山頂から見る雲海が私には仏様、神様のように見え、感動して涙が止まりませんでした。今まで30歳になるまで様々な事があり、苦しいことや、嬉しいこと全てに感謝し、手を合わせました。ここに命があること以外に一体何を望むものがあるだろうか、と思いこれまで出会ってくれた人達、育ててくれた人達、学びと気付きをくれた全ての人達に感謝の思いがこみ上げてきて泣いてしまいました。奥宮に入りお参りし御朱印をもらったときにも感動と喜びで涙が込み上げてきました。本当に信仰心のお山、ご神仏のいるお山、富士山。夢に何度も出てきて下さった偉大なる、憧れなる富士山に、今自分がいること自体が信じられず嬉しくて本当に生命に感謝しました。私の人生の第一章を象徴する写真を富士山頂から撮影することができ、本当に嬉しく思っております。