田中陽希が歩く海辺の熊野古道・大辺路 人と自然と神仏が織り成す120kmの歩き旅【後編】
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世界遺産にも登録されている信仰の道・熊野古道(くまのこどう)。1000年以上の歴史をもち、今も多くの参詣者が絶えないこの祈りの道を、プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんと旅してきました。今回歩いた熊野古道・大辺路(おおへち)は、江戸時代以降、信仰と観光を兼ねて旅をする人々に多く歩かれた道ですが、石畳の残る古道、豊かな樹林、雄大な海岸線は、現代のハイカーや登山者にとっても魅力的なトレイルです。6日間におよぶ120kmの旅路。今回は大辺路の歩き旅の【後編】をお伝えします。
文=大堀啓太(ハタケスタジオ)、写真=金田剛仁(ハタケスタジオ)、協力=和歌山県観光振興課
120kmの旅路の終着点へと向かう6日目|大泰寺~補陀洛山寺 約11.3km
いよいよ最終日。大辺路終点の補陀洛山寺(ふだらくさんじ)まで歩きます。
「本日の歩行距離は約11kmと短いですが、峠越えが3つもあて、アップダウンはそれなりにありそうですね。途中にある、ゆりの山温泉も気になります」
大泰寺の朝の鐘を撞かせていただき、ほら貝も吹いて、身も心も澄ませた陽希さん。旅の終わりに向けて、その一歩を踏み出します。
朝から1時間半ほどで市屋峠(いちやとうげ)と二河峠(にこうとうげ)の2つの峠を越えました。標高差はそれほどありませんが、細かいアップダウンが続きます。旅の終わりに向けてペースもやや速くなり、じわりと汗がにじみます。
陽希さんが気になっていた、ゆりの山温泉に到着すると、なんとちょうど営業開始時間ぴったり。これはもう入るしかないと、すかさず入浴して、一番風呂をいただいちゃいました。
このゆりの山温泉が発見されたのは古く、熊野詣にきた上皇をはじめ、宮人や武人たちが、ここで参拝前に湯で身を清める湯垢離(ゆごり)をしたようです。
「湯垢離もできたし、入りたかった温泉にも入れたし、あとは補陀洛山寺をめざすだけですね!」
清めて軽くなった体で、まずは駿田峠(するだとうげ)を越えます。
ゆりの山温泉から40分ほど歩くと、駿田峠に到着。駿田峠の一部は世界遺産に登録されており、峠の途中には、熊野詣の際にここで命を落としたという姫を供養する加寿地蔵(かすじぞう)が祭られています。
峠の掘割は10mはあろうかという深さで、人の手で掘って作ったとは信じられない峠道です。
ここは大辺路押印帳の最後のスタンプポイント。押し忘れないようにしましょう。
3つの峠をすべて越えてやってきたのは、潮風を感じる紀伊天満駅。ついに、那智湾に面する町へとやってきました。ここまで来ると、補陀洛山寺はもう目の前です。
そして、ついに旅の終点、補陀洛山寺に到着。120kmを歩ききりました。
補陀洛山寺は、熊野三山のひとつ那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)の別院。補陀落とは、サンスクリット語で観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳です。
かつてこの地では、南の海のかなたにあるといわれる観音浄土である補陀洛山へと、那智の浜から小船で旅立った宗教儀礼、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」が行なわれていました。境内には、小舟を復元した「渡海船(とかいせん)」も展示されています。
本堂内に掛けられた那智参詣曼荼羅には、熊野詣をする参詣者の様子や、補陀落渡海に向かう人々の姿などが描かれています。
図を見るだけでも当時の熊野参詣の様子や宗教観を知ることができますが、志納料を納めると詳しい解説を聞くこともできますので、関心があれば説明を受けてみてはいかがでしょうか。
大辺路を歩き通せたお礼の参拝をしたあと、ここまで来たからと那智山まで歩くことに。
「せっかくなので、熊野三山のひとつの熊野那智大社と那智山青岸渡寺にも参拝しに行きましょう。前に、大峯奥駆道(おおみねおくがけみち)を歩いて熊野本宮大社に参拝したとき、熊野三山のすべてに参拝したいと思っていたんですよ。そして、熊野信仰の象徴でもある那智の滝をこの旅の終点にしましょう!」
こうして、旅はもう少しだけ続くことになりました。
旅はまだ続くよ6日目+α。熊野古道中辺路へ|補陀洛山寺~那智の滝 約8.4km
補陀洛山寺から熊野那智大社・青岸渡寺までは、約7kmの登りが続きます。大辺路とお別れし、旅の舞台は熊野古道中辺路(なかへち)へと入ります。道中はバスが走っていますが、もちろん乗りません。これは歩き旅の延長です。
アスファルト道に山道を交えながら、黙々と登ります。それもそのはず。補陀洛山寺を出発したのは、12時ごろ。これからお昼を食べると、那智の滝に着くまで日が出ているのか、微妙なタイミングです。
とはいえ、朝から歩き通してきた空腹には勝てず、お昼を食べることに。空腹のままでは、参拝もお礼もちゃんとできません。
「あとひと歩きですね!」大盛りオムライスで身も心も満たされた陽希さんが歩いた先に、大門坂(だいもんざか)が見えてきました。
「大門坂はとても雰囲気がいいですね。てっぺんが見えないほど大きな杉からの木漏れ日がきれいで、まるで別世界のようです。」
これぞ熊野古道という大門坂は、熊野那智大社や青岸渡寺に続く石畳の道です。一歩一歩登るごとに時代を遡るように、都会の喧噪は薄れ、厳かな気持ちに整っていくようです。
大門坂を登りきると、近代の石段が続く表参道に出ました。こちらは400段あるといいます。乳酸が溜まって重くなってきた足ですが、これで最後と気力を奮い立たせて、立ち止まらないようにリズムよく登っていきます。
すると、まず見えたのは熊野那智大社の鳥居。無事に登りきれたことを感謝しつつ参拝をして、お隣の青岸渡寺に向かいます。
那智山青岸渡寺と熊野那智大社は、熊野信仰の中心地として厚い信仰を集めています。
霊場として長い歴史があり、もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場でしたが、明治初期の神仏分離令によって分離。一度離れましたが、いまでは隣接していて、双方を参拝する人が多いようです。
青岸渡寺の本堂は、天正18(1590)年に豊臣秀吉が再建したもの。当時の建築様式が見て取れる貴重なもので、国の重要文化財に指定されています。
「それにしても、那智大社は朱色などで社殿が彩られて色鮮やかで、青岸渡寺は材木をそのまま生かした重厚感。それぞれで造りも異なるので、おもしろいですね。無事に那智大社と青岸渡寺にも参拝できたし、熊野三山で残すは熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)だけです。」
そして、旅の最後を飾る那智の滝に向かいます。
日暮れ前になんとか那智の滝にたどり着けました。この季節は水量が少なく、本来の姿は見られませんでしたが、那智の滝は落差133m、滝つぼの深さ10mを誇る、日本三名瀑のひとつです。
那智の滝の上流には、「那智四十八滝」と呼ばれる多くの滝があり、一般の人が立ち入ることができない修験道の修行場となっています。
その威容さと熊野古道との縁は、まさにこの旅のゴールにふさわしい場所でした。
大辺路を歩きとおした田中陽希が思うこと
大辺路を歩き終えた陽希さんに、旅の印象や思い出を聞いてみました。
※踏破証明書は今回、特別に現地でご用意いただきました。通常は、すべてのスタンプを押した押印帳を和歌山県の観光振興課に送付することで、後日郵送でお手元に届きます
歩き終えた直後の田中陽希さんにインタビュー!
動画で大辺路の旅を終えての感想を語ってもらいました。
陽希さん:
大辺路は私にとって新鮮でしたね。
熊野古道のイメージは山道を歩くものだと思っていましたし、これまでやってきた歩き旅も山歩きが多かったんです。でも、大辺路は海岸線を歩いて集落を通って峠道を越えて、また海岸線へと下りていくという、これまでにない景色が流れる歩き旅で、それがおもしろかったです。
大辺路は各時代の影響を受けながら、今の姿になったんだと実感できました。当時の面影を残す古道、車が行き交う国道、線路を走る電車など、生活道として使われてきたからこその変遷を大辺路はたどってきたんですね。
あと、120kmという距離がちょうどよくて、電車が並走しているのもいい。
ロングトレイルのように一気に歩けるスルーハイクもできる距離ですし、好きな区間だけ繋いで歩くこともできる。自分なりの計画を立てられるのも、歩き旅ならではの自由さです。
そして、これからもたくさんの人に歩かれて、大辺路が紡がれていくとうれしいです。
今回歩いていると、自分の家の近くに、世界遺産の大辺路が通っていることを知らない方もいました。こんなにステキな道なのに。
たくさんの人が歩いた分、道は活性化して、出会いももっと生まれるようになって、多くの人が関わるようになって、古道も保全されていくのだと思います。
歩くスピードでしかその土地や町についてわからないことがあり、山以外にも自然を楽しめる歩き方もあります。ロングトレイルが好きな方、日本百名山のあとの目標を探している方、歩き旅が好きな方は、ぜひ大辺路を歩いてみてください!