役行者生誕から1390年。田中陽希さんが歩いて感じた修験道発祥の地・葛城修験
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修験道の発祥地とされ日本遺産にも登録されている葛城修験(かつらぎしゅげん)。1400年近くの歴史がある修験の道を、プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんと歩いた。きびしい修行をイメージする修験だが、陽希さんは「登山も修験の一部」と言う。葛城修験を歩いて学び、感じたものとは。陽希さんが葛城の峰々を歩いた2日間と、参加したウォークイベントの様子をお伝えしよう。
文=大堀啓太(ハタケスタジオ)、写真=金田剛仁(ハタケスタジオ)・栗城翔太、協力=葛城修験日本遺産活用推進協議会
淡路島を望む大福山山頂へ
おだやかな千手川沿いを進み続け、お地蔵さんが脇にある登山口から登り始めると、はじめは緩やかながら、しばらくすると登り応えがある急登が続いている。励みになるのは、登山口であいさつした地元ハイカーの「大福山の山頂は気持ちいい景色が広がっているよ」というひと言。ゆっくりと一歩一歩足を踏み出していく。
稜線に上がったところで登山道はやさしくなり、足取りが軽くなる。体力があり余る陽希さんは、道の造成にまで目を向けている。凸型に盛り上がった道は、熊野古道大辺路などでも見られる「版築」だ。スムーズな通行のために、先人が土手状に整備したという。
少し開けたなと感じたところが大福山の山頂だった。
「標高が低くて中高木の樹林帯がメインだと思っていたので、大福山からの展望を前にしたときは、とても大きな喜びでした」
大福山でお昼を食べ、照葉樹林に囲まれた稜線を懴法ヶ嶽(せんぽうがたけ)、地蔵山と越えていく。開けていてあずまやのある六角堂を過ぎたあたりから、落合集落へと続く地蔵林道を下った。
昔の山伏は修行の際に、麓の集落で草履をもらったり、泊めてもらったりしたお礼に、山で得たものや、ためになる仏教の教えを話していたという。修験はひとりで行なうものではなく、お互いを支え合う助け合いの心があるからこそ成り立つ。
「この落合集落も、昔は山伏を泊めていたりしていたんですかね」
ただの林道歩きや途中の集落も、知識をもって視点を変えると見えてくる景色がある。
地蔵林道から県道64号に出ると、JR阪和線と阪和自動車道という現代のせわしない交通が行き交っている。その脇に、第四経塚が鎮座していた。
「山の景色に、宮城さんに教えていただいた葛城修験の歴史や文化を織り交ぜながら歩けたので、とても有意義でした。山にある歴史や文化などの背景を知っていると登山のおもしろみがより深まるんですね」
ゴールの山中渓駅に到着したころには、すっかり日暮れ時。経塚や神社、お地蔵さんに手を合わせながら18kmも歩き、山も修験も体験した充実の一日だった。山のおもしろみを深めた陽希さんの葛城修験は、明日へと続く。