役行者生誕から1390年。田中陽希さんが歩いて感じた修験道発祥の地・葛城修験
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修験道の発祥地とされ日本遺産にも登録されている葛城修験(かつらぎしゅげん)。1400年近くの歴史がある修験の道を、プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんと歩いた。きびしい修行をイメージする修験だが、陽希さんは「登山も修験の一部」と言う。葛城修験を歩いて学び、感じたものとは。陽希さんが葛城の峰々を歩いた2日間と、参加したウォークイベントの様子をお伝えしよう。
文=大堀啓太(ハタケスタジオ)、写真=金田剛仁(ハタケスタジオ)・栗城翔太、協力=葛城修験日本遺産活用推進協議会
ルポ・金剛山。登拝回数スタンプを押して、第二十一経塚と第二十経塚を巡る
2日目は第二十一経塚を有する金剛山に登って、第二十経塚を巡る4時間半ほどのコースだ。距離は8kmと短いものの標高差は600mほどもあり、今日も登り応えがありそうだ。
標高1125mの金剛山は大阪で一番高い山で、山頂には登拝回数捺印所があり、1回登頂するごとに専用カードにスタンプを押してくれる。なんと、なかには1万回以上の猛者もいるという。毎日登っても30年もかかるため、驚異の回数だ。
スタートは、大阪府で唯一の村の千早赤坂村(ちはやあかさかむら)から。かつて山伏が修行した行場の多聞寺(たもんじ)の跡地に立つお堂で、朝一番の勤行をした。谷間の静かな村に、ピリリとした空気が流れる。



金剛山への道を示す石標に従い、家の間を縫うように敷かれた道路を進むと金剛山登山口バス停に着く。目の前にそびえるのは終わりの見えない石段。千早城跡(ちはやじょうあと)へと続く階段だ。
千早城は楠木正成(くすのきまさしげ)が築城し、わずか1000人の軍勢で10万人を超える鎌倉幕府軍と戦った「千早城の戦い」(1333年)の舞台として知られている。
「きつい登りですが、すてきな雰囲気の石段ですね。かつて、ここで楠木正成と鎌倉幕府軍が戦っていたとは。少し目をこらすだけで、時代を感じられますね」
石段を登りきり、千早城跡の奥に鎮座する千早神社に参拝して、千早本道から金剛山をめざす。千早本道は、金剛山を毎日登山する人がスムーズに登れるように階段が整備され、登山道というよりは階段道だ。延々と続く階段に、登山者の顔はうつむきがちに・・・。
「標高1000mまで来ると大きなブナが出てきて、昨日登った大福山ともまた違った雰囲気だなぁ」
陽希さんは植生を見渡しながら、山を楽しんでいる様子。
七合目・・・八合目・・・九合目、そしてようやく山頂にたどり着いた。山頂には多くの登山者と登山遠足の小学生がいて、わいわいがやがやとにぎやかだ。
「やっぱり金剛山はいい山ですね。だって、みんなに親しまれているじゃないですか」
山頂からは大阪の繁華街のビル群が見渡せる。都会の喧噪、かつて合戦があった城跡、凛とした空気が流れていた千早神社、同じ時代にありながら時の流れを感じさせてくれる山だ。