山と人、自然をつなぐ半世紀のストーリー。モンベル50周年

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1975年の創業から今年で50周年を迎えたモンベル。アウトドアブランドとして、自然と人間をつなぐだけでなく、災害支援や地域経済活性化など、幅広い企業活動を行なっている。50年のストーリーの振り返りとこれからを、モンベルグループ代表、辰野 勇氏のインタビューを交えて紹介しよう。

文=大関直樹 2025商品写真=小山幸彦(クロック) 写真提供=モンベル

辰野 勇(たつの・いさむ)
1947年、大阪府堺市生まれ。21歳で、スイスのアイガー北壁を当時の世界最年少記録で登攀。75年にはアウトドア用品メーカー・モンベルを創業する。2007年より会長兼CEO。近著に『経営と冒険』(日経BP)など。
辰野 勇(たつの・いさむ)

商品開発

日本を代表するアウトドアブランド「モンベル」が、2025年に50周年を迎えた。いまや世界に名を知られる存在となったが、スタートは、大阪の雑居ビルの一室からだった。

モンベル創業メンバー
創業メンバーは、主に辰野(写真中央)が所属する山岳会の仲間だった

中学生のころから山に親しんできた辰野 勇は、高校卒業後にスポーツ用品店に住み込みで就職。その後、商社勤務を経て、「自分たちが欲しい山道具を、自分たちで作ろう」と決意。1975年、自己資金ゼロでモンベルを設立した。「モンベル」という社名は、フランス語の「美しい山(mont-belle)」から名付けられたが、あえて語尾の「e」を外した。「グローバルに展開するには、特定の国に属さない名称がいいと思ったんです。フランス語でも英語でもない無国籍なスペルがよかった」

その想いのとおり、モンベルの製品はいまや世界中の登山者やアウトドア愛好者に愛されている。

“自分たちが欲しいもの”から始まった

日本アルプスやヨーロッパアルプスの大岩壁を登った辰野にとっては、当時の登山ギアは満足できないものばかりだった。そこで最初に手がけたのが、「ダクロン・スリーピングバッグ」だった。中綿に米国デュポン社製の中空ポリエステル繊維を、世界で初めて採用したシュラフである。「当時は、高価なダウンか、重くてかさ張る化繊綿しかなかったんです。そこに軽量で暖かく速乾性の高いアイテムが登場したので、登山者から高い評価をいただきました」

この成功を受け、次に開発したのが「ハイパロン・レインウェア」だった。高温多湿な日本の山岳環境において、雨具は登山者にとって必須の装備。当時、防水・耐久性に優れたハイパロンを5層にコーティングした雨具は、ゴアテックスなどの防水透湿性素材が登場するまで、多くの登山者から支持された。

その後も、月明かりのような薄暗い場所でも簡単に設営できるムーンライトテント、後にモンベルのフラッグシップモデルとなる雨具・ストームクルーザーなど、機能性に優れたアイテムを次々に世に送り出す。

辰野が商品開発で一貫して重視してきたのが「機能性」だ。モンベルの理念である「Function is Beauty®(機能美)」は、機能を極めた先に美があるという信念に基づく。

そしてもうひとつの柱が「Light&Fast®」。軽くてコンパクトであれば、安全かつスピーディーに行動できる――これがモンベルの商品作りの基本方針だ。

「軽量でコンパクトなら、行動も速く安全になる。無駄を省いて、本当に必要な機能を突き詰めると、結果として美しくなるんです」

リーズナブルな価格にも「想い」がある

モンベルが登山者に支持される理由のひとつが、高いコストパフォーマンスにもある。高機能でありながら、手の届きやすい価格設定。これも、辰野自身の経験が背景にある。

「若いころは、高い山道具はなかなか買えませんでした。だから、学生さんでも買える価格にしたいと思ったんです。品質と価格、どちらも妥協しないのがモンベルのこだわりです」

現在では約4000 点以上の商品を開発・販売するが、どの商品にも“使う人”の目線が宿っている。

アウトドア義援隊

モンベルの活動が“山”を超えて、社会に大きく広がっていく契機となったのが、1995年の阪神・淡路大震災だった。

「震災当日は、すぐにブルーシートや水を持って神戸へ向かいました。冬空の下、がれきを燃やして寒さをしのいでいる被災者の姿を見て、倉庫からシュラフ2000個とテント500張を持っていきました」

この行動をきっかけに、業界内外の仲間に呼びかけ、「アウトドア義援隊」を結成した。以降、東日本大震災や能登半島地震でも支援を続けている。

モンベル アウトドア義援隊
モンベル アウトドア義援隊
東日本大震災では、シュラフやウェア類をいち早く被災地に届けて配布した。山での経験が豊富なアウトドア義援隊は、インフラが途絶えた地域でも活動できる知識とテクニックを持っている

“命を浮かせる”座布団の開発

そして辰野が今、力を注いでいるのが「津波や水害から命を守るための道具」だという。

「東日本大震災のとき、津波で命を落とした方の多くは、溺死だったそうです。一方、ライフジャケットを着けていた人は助かったという話も聞いたんです。だったら災害時に着用できるライフジャケットがあったらと思ったんですよ」

コンセプトは、座布団として違和感なく使えること。そして、いざというときにしっかり浮力を発揮すること。アイデアはすぐに浮かんだものの、製品化には試作とテストを繰り返した。世界中の激流をカヤックで制覇してきた辰野の知見が、防災という別のフィールドでも生かされ完成したのが「浮くっしょん」だった。

「2024年の初めから、南海や東南海地震に備えて、沿岸の23自治体に子ども用の『浮くっしょん』を3000個ほど寄贈しました」

「浮くっしょん」は、「命を守る装備」という意味では、テントやレインウェアと同じだ。登山と同じように、防災もまた“準備”がすべてを左右する。

モンベル『浮くっしょん』
モンベル『浮くっしょん』
「浮くっしょん」で水に浮かぶ様子。「僕はカヤックに乗りますが、泳げないんですよ。だからこそ、ライフジャケットがいかに有用かを身をもって知っているんです」と語る辰野

地域活性化

社会貢献の一環として、モンベルは「エコツーリズムによる地域活性化」にも注力している。きっかけは、鳥取県・大山(だいせん)登山口の施設への出店依頼だった。

「当時の町長さんから“登山口にある使わなくなった施設に出店してくれないか”と頼まれたんです。冬は大雪に閉ざされるし、商売としては厳しい。でも、若いころから大山に登ってたから、恩返しの気持ちでやってみたんです」

出店後、隣の旅館のおかみさんが声をかけてきたという。

「“こんなに若い人がこの町を歩いているのを見たことない”と。町の景色が変わったと喜んでくれたんですよ。あれはうれしかったなあ」

以降も北海道の東川町、福島の三春町など、本気の出店依頼があれば基本的に断らない姿勢を貫く。

鳥取県・大山参道市場
鳥取県・大山参道市場
モンベル大山店から徒歩すぐのところには、地元の野菜や地ビールが買える「大山参道市場」がある。焼き立てパンやコーヒーが楽しめる「ベーカリーカフェSANDO」もあり、エリアの活性化に一役買う

登山も経営も“道のり”を楽しむ

創業から50年。辰野が語る今後の展望は、あくまでも自然体だ。

「僕の座右の銘は『馬なり道なり』。馬に乗って、たづなを引かず、無理に鞭も入れない。馬が自分で道を選ぶままに進んでいくのでいいんです」

すでに「自分たちが欲しい山道具を作る」という夢は、創業時点で叶っていたという。その後の50年は、その道のりを楽しんできただけ。

「登山と同じです。ピークに立たなきゃ意味がないと思うなら、山登りなんかやめたほうがいい。あんなにしんどいんだから。山登りの本当の楽しさは、そこに向かう“道のり”にあるんです」

最後に、読者へのメッセージを求めると、辰野は大阪人らしい笑顔でこう締めくくった。

「うちは大阪の会社ですから、かっこつけたことは言いません(笑)。これからもモンベルをご贔屓に!」

モンベル7つのミッション

モンベルはアウトドア用品の企画・製造・販売の領域を超えて、さまざまな分野に活動範囲を広げている。そんなモンベルが社会に対して果たすべき役割を掲げたのが「モンベル7つのミッション」だ。

  1. 自然環境保全意識の醸成
  2. 野外活動を通じて子どもたちの生きる力を育む
  3. 健康寿命の増進
  4. 自然災害への対応力
  5. エコツーリズムを通じた地域経済活性化
  6. 第一次産業(農林水産業)への支援
  7. 高齢者・障害者のバリアフリー
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