夏山診療所からの提言③ 熱中症の診療事例と対策

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登山者にとって、深刻なトラブルとなるケガや病気。雑誌『山と溪谷』2023年6月号より、5つの山岳診療所を取材した企画を紹介したい。夏山シーズンを前に、主な傷病の事例、および予防法や対処法を解説する。今回は実際に医師たちが体験した、熱中症の診療事例と予防・対処法を見ていこう。

取材・文=羽根田 治、イラスト=いちろう、取材協力=臼杵尚志(三俣診療所)・水腰英四郎(立山診療所)

夏山診療所とは

登山者のケガや病気に対応するため、夏山最盛期のみ、日本アルプスや富士山などの主な山小屋に併設される診療所。そのほとんどは大学の医学部などによって運営され、医師や学生らのボランティアによって成り立っている。

熱中症の診療事例

人間の体温は、体がつくり出す熱(産熱)と、その熱を体外に排出する(放熱)機能の働きによって、通常36〜37度に保たれている。しかし、なんらかの原因によって産熱と放熱のバランスが崩れ、体温が上がって体に変調をきたすのが熱中症だ。重症化すると命に関わる可能性もある、危険な疾病である。

北アルプス・三俣蓮華岳の場合(報告・三俣診療所)

山小屋到着後にビールを飲み、脱水症状が一気に加速して倒れる

ある年の夏、槍ヶ岳から西鎌尾根を縦走して三俣山荘にやってきた30〜40代ぐらいの女性登山者が、小屋に到着後、ビールをひと口飲んだところ、目を回して倒れてしまった。女性は、ルートの途中にトイレがないことから、なるべく水を飲まずに歩いてきたそうで、熱中症の一歩手前の脱水状態であった。幸い大事には至らず、点滴を打ったことによって間もなく回復した。

また、同様のケースで、大学生のパーティが診療所に助けを求めてきたこともあった。メンバーのひとりが、小屋に着いてワインで乾杯したはいいが、突然目の前が真っ暗になってなにも見えなくなってしまったのだ。その男子学生は意識朦朧の状態で、気分の悪さも訴えていた。話を聞くと、その日は雨が降っていて寒いくらいだったため、水分補給は怠りがちだったという。男子学生は診療所のベッドで1時間ほど休んだことで体調は回復し、翌日、下山していった。

行動終了後の一杯は格別だが、
そこに熱中症の危険が潜んでいる

北アルプスのような標高の高い山は、夏でも気温はそれほど上がらないので、熱中症はあまり起きていない。ただし、一日行動して、発汗によって失われた水分と塩分を充分補給できなければ、脱水状態になってしまう。脱水は熱中症の第一歩であり、この時点で処置ができれば回復が見込めるが、「水が飲みたい」という欲求があまり起きず、当事者自身が脱水を認識できないことも多い。事例で示したように、天気が悪く寒い日でも、自覚できないまま脱水状態に陥っていることもある。また、女性はトイレの問題があるので、水分摂取を控える傾向が見られ、そのぶん脱水になりやすい。

標高の高低や暑さ寒さに関係なく、山で行動すれば水分は失われる。「喉が乾いた」という認識がなくても、努めて水分を補給することが大事である。

熱中症の予防・対処法

熱中症の第一歩となるのが脱水。発汗によって失われる水分と塩分を適宜補給して体温の上昇を抑えよう。

熱中症はなぜ起こる?

体内に溜まった熱が外に放出される現象には、対流、伝導、蒸発、放射の4つがある。このなかで大きな役割を果たしているのが蒸発で、かいた汗が蒸発する際に体から熱を奪うことで体温を下げようとする。しかし、発汗によって体内の水分と塩分が不足すると脱水状態となり、血液の流れが悪化して体温調節機能が働かなくなる。これが熱中症の第一歩であり、体温の上昇に歯止めがかからなくなって、さまざまな異常が現われるのが熱中症だ。

3つの主な原因

●暑さや運動などにより汗をかく
●体内の水分量が不足する
●体温が上昇して体に変調をきたす


■熱中症の症状と重症度分類
重症度  
Ⅰ度(軽症)
(応急処置と見守り)
症状:めまい、立ちくらみ、生あくび、大量の発汗、筋肉痛、筋肉の硬直(こむら返り)、意識障害を認めない
治療:通常は現場で対応可能
臨床症状からの分類:熱けいれん、熱失神
Ⅱ度(中等症)
(医療機関へ)
症状:頭痛、嘔吐、倦怠感、虚脱感、集中力や判断力の低下
治療:医療機関での診察が必要
臨床症状からの分類:熱疲労
Ⅲ度(重症)
(入院加療)
症状:意識障害、けいれん、手足の運動障害、高体温/肝機能異常、腎機能障害、血液凝固障害→医療機関での採血により判明
治療:入院加療 (場合により集中治療)が必要
臨床症状からの分類:熱射病
『熱中症環境保健マニュアル2023』(環境省)の
「熱中症の症状と重症度分類」を改変

熱中症の予防法は?

①通気性のいいウェアを着る
皮膚の表面から熱を外に逃す放射や汗の蒸発を促して、体温上昇を抑えるために、通気性のいいウェアを着て行動する。吸汗速乾性に優れ、ひんやりとした肌触りの登山用アンダーウェアを着用するのも効果的。レイヤリングによって、上手に体温を調整したい。帽子も必須だ。

②水分と塩分をこまめに補給
熱中症は脱水が重症化したものと考えていい。登山中は水分をこまめに補給して、脱水を予防することが重要となる。目安は、1時間当たり体重(kg)×5(ml)。体重60kgの人なら1時間に300mlの計算だが、その日の気温や温度、運動強度によっては、さらに多くの量が必要になる。なお、汗とともに塩分も排出されているので、スポーツドリンクを飲むなどして塩分も同時に補給すること。

③積極的に休憩をとる
運動によって体を動かすと、エネルギー代謝が活発になり、体内でつくられる熱が増えて体温が上昇する。その熱を減らすために、行動を一時停止して積極的に休憩をとる。日陰となる風通しのいい場所を探し、汗で失われた水分と塩分をしっかり補給しよう。沢の水で濡らしたタオルなどで首筋を冷やしたり、うちわであおいだりするのもいい。

熱中症の対処法は?

①横になる
上の表のⅠ度に相当する症状が現われはじめたら、直射日光の当たらない、風通しのいい木陰などに移動して、体を横にし休む。仰向けの体勢で、ザックなどを使って足の位置を高く上げるとリラックスできる。体を締めつけているウェアのベルトやボタンなどを外して、風通しをよくするとなお効果的だ。

②体を冷やす
熱中症になってしまったら、できるだけ早く体を冷やして体温の上昇を抑えることに注力しよう。太い血管が皮膚に近い場所を通っている首筋、脇の下、股の付け根に、冷たい水を入れたペットボトルや、濡らしたタオルなどを当てると効果的に冷やすことができる。凍結するタイプのコールドスプレーを携行していれば、濡らしたタオルなどに吹きつけて、冷たくしてから首筋などに当てがう。うちわや扇子などであおいで風を送るのもいい。

③水分と塩分を補給する
発汗によって失われた水分と塩分を充分に補給する。なお、登山中に汗をかいて水分と塩分がいっしょに抜けてしまうと、喉の渇きを感じにくくなり、脱水が進んで熱中症に進行してしまうので、注意が必要だ。そうならないために重要になるのが塩分の補給。水分が少ない状態のときに塩分を摂れば、喉の渇きを自覚し、水分を欲するようになる。

コラム

飲酒によって脱水症状が進行する?

ここで紹介した診療事例は、いずれも脱水状態のときにアルコールを摂取したことによって体に異常が現われた。これはなぜか。通常、血管は暑さや寒さに反応して収縮・拡張し、血流を調整して体温を維持している。しかし、脱水になると血液中の水分量が少なくなっているので、血管は収縮して血流のバランスを取ろうとする。ところが、この状態のときにアルコールを摂取すると、血管が拡張して相対的に水分がいっそう少ない状態となり、血圧が一気に低下する。つまり、脱水が二乗になったような状態になってしまうわけだ。先の事例で患者が激しい立ちくらみを起こしたのは、こうした理由による。一日の行動了後にビールで乾杯する登山者は多いが、くれぐれも気をつけよう。

①通常の血管と血管内の水分の様子
②脱水で水分が減少。血管が収縮
③飲酒によって血管が広がる

 

診療所プロフィール

三俣診療所
●設立:1964年
●所属:岡山大学医学部、香川大学医学部
●開設期間:7月下旬〜8月下旬
北アルプスのほぼ最奥部、三俣蓮華岳〜鷲羽岳の鞍部に立つ三俣山荘に開設。岡山大学医学部によって立ち上げられ、その後、香川大学医学部が加わり、現在は両大学が合同で運営している。主に大学OBの医師と看護師が診察にあたり、それを学生がサポートする。一班4~5人編成で、ローテーションを組んで活動する。

【次回予告】
真夏の山でも発生する低体温症について、診療事例と予防法、対処法を紹介する。

山と溪谷2023年6月号より転載)

プロフィール

羽根田 治

1961年、さいたま市出身、那須塩原市在住。フリーライター。山岳遭難や登山技術に関する記事を、山岳雑誌や書籍などで発表する一方、沖縄、自然、人物などをテーマに執筆を続けている。主な著書にドキュメント遭難シリーズ、『ロープワーク・ハンドブック』『野外毒本』『パイヌカジ 小さな鳩間島の豊かな暮らし』『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』(共著)『人を襲うクマ 遭遇事例とその生態』『十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕』などがある。近著に『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)、『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』(平凡社新書)など。2013年より長野県の山岳遭難防止アドバイザーを務め、講演活動も行なっている。日本山岳会会員。

夏山診療所からの提言

雑誌『山と溪谷』2023年5月号からの短期連載「夏山診療所からの提言」より転載。夏山シーズンを前に、主な傷病の事例、および予防法や対処法を解説する。

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