行程・コース
天候
晴れのち曇り
登山口へのアクセス
電車
その他:
往路:(山手線 大崎駅~池袋駅 終日工事のため)大崎→山手線→上野→高崎線→熊谷→秩父鉄道→行田市
復路:南羽生→東武伊勢崎線→久喜→東武スカイツリーライン→北千住→東京メトロ日比谷線→中目黒→東急東横線→学芸大学
この登山記録の行程
行田市駅6:45→行田八幡神社6:54→新旧忍川分岐/玉野用水掛樋7:14→さきたま古墳公園(丸墓山古墳、稲荷山古墳)7:24~48→白山9号墳7:51→白山愛宕神社古墳7:53→神明山古墳7:55→白山古墳(白山姫神社)7:58→吉祥院8:05→弁天門樋8:25→行田浄水場/古代蓮の里8:34→小針落8:45→長野落8:55→藤間神社9:04→三ツ家稲荷神社9:13→野通川起点の碑(小針落伏越)9:26→長野落伏越(旭橋)9:35→旧忍川見沼代用水合流点9:37→野通川(小針落)長野落合流点9:46→川里赤城神社9:52→清法寺9:58→北根久伊豆神社10:05→野通川関根落合流点(明神橋)10:09→見沼代用水10:26→外田ヶ谷久伊豆神社10:30→白山比咩神社10:39→常徳寺10:57→松村佐左衛門の墓/松村家屋敷11:07→志多見日枝神社11:25→明蔵院11:29→会の川11:38→極楽湯 羽生温泉11:45~13:15→赤城屋 羽生バイパス店13:18~38→南羽生13:55
合計5時間20分(温泉、ラーメン除く)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
11月18日(土)は、忍川の続きで、旧忍川を見沼代用水まで辿ってみました。旧忍川は距離は短いんですが、終点まで行くと、どこの駅出るのも超遠いので帰りが大変でした!
まずは秩父鉄道の「行田市駅」からスタート!行田は忍城他、行くと楽しい場所が多すぎて、寄り道し出すと先に進まないので、「行田八幡神社」に参拝だけして「新旧忍川分岐」を目指します。
「行田八幡神社」は、行田の総鎮守神で近隣の約30の神社の社務を兼任しているこの地域の中心的な神社です。創建は口碑によると平安時代中期に源頼義・源義家が、奥州討伐の途中、この地に滞陣した際に、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられています。最初は佐間村田中にあり、田中(でんちゅう)八幡と呼ばれていましたが、天文年中に、忍城主の成田下総守長泰がこの地に移して城下総鎮守としたそうです。先週の諏訪神社と一緒ですね。江戸時代も代々の城主の尊崇が篤く、特に阿部忠秋は、八幡大神の御神像を奉献し、阿部正識も自筆の額を献進しています。
忍川に出て少し進むと、先週も来た「新旧忍川分岐」に到着します。「玉野用水掛樋(水路橋)」もあります。「玉野用水路」は酒巻導水路から分水された農業用水路で、名前の由来は、旧埼玉村と旧長野村へ送水することから、埼玉の玉と長野の野をとってこの名前になったそうです。分岐の対岸に成田氏が忍沼に導水するために持田駅西側の忍川から引いた用水路の出口があります。これは3箇所あるのですが、地図で見ると一番南側の水路がメインのようです。2つに分かれた忍川は新旧忍川分岐点あたりで合流していました。
「旧忍川」は旧とつくため自然の河川と思われがちですが、享保年間(1730年頃)に忍城を取り囲んでいた忍沼の排水路として開削された人工流路です。忍沼までの区間を上忍川、忍沼から見沼代用水までの区間を下忍川と呼んでいたようです。結構な川幅があるので、かつてはかなりの水量のある川だったことが推測されますが、現在は水が供給されていないため、アシが生い茂る湿地となっています。
旧忍川は最初「さきたま古墳公園」の北縁に沿って流れているので、とりあえずさきたま古墳公園に向かいます。この公園は5世紀後半から7世紀中頃にかけて築かれた「埼玉古墳群」を、昭和42年に文化庁の風土記の丘構想に基づいて「さきたま風土記の丘」として整備したものです。埼玉古墳群は、前方後円墳8基、大型円墳2基、方墳1基並びに小円墳群で構成されており、狭い地域にこんなに巨大古墳が集まっていることは全国的に見ても珍しいそうです。でも全部回っていられないので、旧忍川沿いにある石田三成が本陣を築いた「丸墓山古墳」(円墳、直径105.0m、高さ17.2m)と「稲荷山古墳」(前方後円墳、全長120.0m、後円部径62.6m、後円部高10.4m、前方部幅82.4m、前方部高9.4m)だけ立ち寄ることにします。
さきたま古墳公園から出て旧忍川を渡ると、対岸には小さな古墳が集まった「白山古墳群」があります。全て円墳で、18基前後あると推定されていますが、「白山古墳」「神明山古墳」「白山愛宕山古墳」には墳丘が残存しています。
まず「白山9号墳」です。墳丘は残っていないのですが、一応円墳だそうです。「埼玉古墳群(長野地区の古墳)」の案内板があります。
次の「白山愛宕山古墳(4号)」は稲荷山古墳と共に最初期の5世紀末頃に築造された古墳の一つで、これまでに4回、発掘調査が行われており、周溝の外径約39m、内径約26mの小型の円墳であることが判明しているそうです。周溝内から円筒埴輪、朝顔形埴輪、人物・馬・鶏などの形象埴輪、土師器の坏・高坏・壺・鉢など、須恵器の甕・高坏などが多数出土しているそうです。小さな土盛りが「白山愛宕山古墳歴史の広場」の中に残されています。
白山愛宕山古墳の北側の畑の中にある「神明山古墳(?号)」は、何号かわからない古墳で、発掘がなされていないのか詳細も不明です。
さらに少し北に行ったところにある「白山古墳(1号)」は、上に「白山姫神社」があります。この古墳は埼玉古墳群の北端であると考えられており、神社の東側の墳丘の頂上には横穴式石室の奥壁と思われる緑泥片岩が露出しています。直径50mに及ぶ大型の円墳で、旧忍川対岸の巨大首長墓群より後の古墳の縮小化が進む時期に造られたものだそうです。白山姫神社は火伏せの神で、「この山を掘れば火の祟りがある」と伝えられおり、1959年に発掘調査しようとした際にも火事が発生したため、詳しい発掘はなされていないようです。またこの古墳の南西隣には墳丘の失われた2号墳があり、これを合わせた前方後円墳ではないかという説もあるそうです。
「吉祥院」は墓地に大日堂があるだけの場所なのですが、元は多門山と号する真言宗智山派寺院で、東行田駅の長久寺末として江戸時代初期に創建されたと推定されています。
再び湿地化した旧忍川沿いに戻り、古代蓮の里の展望台を正面に見ながら進むと、「弁天門樋」という明治38年(1905)に造られた樋門があります。上敷免製(旧日本煉瓦製造会社[深谷市])の約24,000個の煉瓦を使用したイギリス積みの煉瓦造で、ゲートは当初は木製ゲートでしたが後に鋼製スルーゲートに変更されています。
弁天門樋の先から調整池を挟んで北側に見えるのが「埼玉行田浄水場」です。埼玉北部のの市町村に水を供給しており、元となる水は利根大堰から「行田水路」を使って引いています。
浄水場の東側にある「古代蓮の里」は、かつてこの南側にあった「小針沼(小埼沼、埼玉沼)」を干拓した跡にふるさと創生事業の一環として平成4年から平成12年にかけて整備された公園で、古代蓮は、昭和48年(1973)に公園の南東側に見える「小針クリーンセンター」の建設工事の際に、発見された蓮の種子が自然発芽して開花したもので、行田市の天然記念物で、市の花にもなっています。隣接する水田で造られる「田んぼアート」が有名です。
古代蓮の里の池から流れ出す「小針落」は、小針地区の水田(小針沼の跡地)からの排水路で、「野通川」の源流にもなっています。享保13年(1728)に小針沼(埼玉沼)の干拓のために、井沢弥惣兵衛によって掘られた悪水路を起源としています。小針落は旧(下)忍川を伏越でくぐりぬけており、つながっていないのですが、これは旧忍川の水が干拓中の小針沼に流入しないようにしたものだと思われます。
古代蓮の里の北側を流れる「長野落」は、行田市の小見真観寺古墳周辺の水田を起点とする農業排水路兼用水路で、最後は小針落から名前の変わった野通川に合流します。
「藤間神社」という行ったことのない神社があったので寄っていきます。ここは元は稲荷神社で、古くから藤間村の鎮守社でしたが、明治に入って別当寺の花蔵院の管理を離れた際に、同村にあった雷電神社が村社となり、稲荷神社は無格社とされたため、明治40年に稲荷神社境内に雷電神社と雷電神社末社の浅間社・塞神社を合祀し、社名を藤間神社と改めて目出度く村社となっています。別当寺だった花蔵院は現在は真名坂五郎次郎経朝館跡とされる「真名坂薬師堂」のみとなっています。
「三ツ家稲荷神社」は説明書きにも道路整備で移転したとしか書かれていない委細不明の神社です。
再び小針落まで戻ると小針落が伏越で旧忍川の下をくぐり抜ける「小針落伏越」に着きます。この脇に「野通川起点の碑」があり、ここから小針落は野通川と名前を変え、一級河川となります。小針落伏越も大正3年(1914)に造られた煉瓦造りの建造物です。
長野落も旭橋の横にある「長野落伏越」で旧忍川をくぐり抜けます。こちらは昭和8年(1933)製造の鉄筋コンクリート製となっています。
長野落伏越のすぐ東側が旧忍川が見沼代用水に合流する旧忍川の終点です。旧忍川は見沼代用水の水を付近の水田に供給する時だけゲートが開くそうなのですが、この辺りも草ぼうぼうで使われている気配はありません。
旭橋まで戻って南に進むと、すぐ「野通川(小針落)と長野落の合流点」があります。この辺りから野通川は田んぼの排水路から立派な川へと変わって行きます。
合流点の南側の大きな森は「川里赤城神社」の社叢林です。ここも前に来たことがあるのですが、群馬県赤城神社から飛来してきた嵐除けの神札を祀ったという神社です。別当寺を持たない村持の神社で、江戸時代には赤城村の鎮守として祀られていましたが、村社とはならなかったようです。明治41年天神社、稲荷社を合祀しています。稲荷社は富士塚のような塚の上にあります。
「清法寺」は赤城山と号する曹洞宗寺院なのですが、ここにはこの前、加須市の「鷹橋」で村人の内藤玄蕃(足利家の浪人だったという説もある)が徳川家康から褒美としてもらった陣羽織があります。子孫である鴻臺村の民勘右衛門がこの寺に納めたとも、玄蕃の子孫がこの寺の住僧となったためともいわれています。寺自体の創建は、天正4年(1576)忍城主成田氏長の家老進藤清三郎が病没した娘の供養のため創建したと伝えられています。江戸時代には徳川から寺領13石を拝領していました。また「清法寺の槇」が鴻巣市指定天然記念物となっています。
この辺りの最後に「北根久伊豆神社」です。北根村の村社であった神社で、同村内にあった「五社権現」(九頭竜社・白山社・氷川社・飛竜社・熊野社)、弁天社2社など合祀しています。江戸時代の別当寺は「清法寺」でした。鳥居の左側に頂上に木花佐久夜姫命の石碑がある富士塚があります。
「明神橋」には「野通川と関根落の合流点」があります。ここで野通川はさらに川らしくなります。「関根落」は武州荒木駅の東側にある「長善沼(荒木城伝承地)」付近を起点とする用排水が兼用の水路で、途中で保井堀落、長善沼落、根岸落などの排水路を合流しながら見沼代用水の東側を流れ、ここで野通川に合流します。最初は見沼代用水に注いでいたそうですが、排水不良のため合流先が変更されたそうです。そのため見沼代用水と交わる部分は伏越になっています。
見沼代用水を越えた先にあるのが「外田ヶ谷久伊豆神社」です。昔、鎮守が無いのを憂えた村人が、騎西町の玉敷神社の分霊を祀ったことが始まりといわれており、明神様、くいず様と呼ばれてきたそうです。この神社には『明神様のお使い』という民話が伝えられていて、明治43年(1910)の夏、この地方一帯を大洪水が襲った時の話です。外田ケ谷は堤で囲まれていたため、入り込んだ水が溜まり水位が一気に増し、押し入れの中程まで達した時、一匹の大蛇が突然現れ、堤を数回横切ると、幾条かの切れ目が生じ、やがて轟音と共に堤は切れて水はみるみる引き、村は九死に一生を得ということです。その後村人は、この大蛇こそ明神様の「お使い」であると、深く感謝したということです。
「白山比咩神社」前新田集会所と第三保育園の間にある小社で由緒は不明ですが、神社の周囲には寺や墓地も無いのに新しい大きな観音像や石仏が並んでいます。
「常徳寺」は管霊山ご号する無住の単立寺院ですが、元は真言宗智山派に属する寺だったようです。「武蔵風土記」によれば、慶長3年に法印宥慶によって開山されたそうです。往時は山門もありましたが、老朽のため取り壊されてしまったそうです。
道を歩いていると、突然「松村佐左衛門の墓」なる物がありました。前にすぐ近所で「阿良川堀の内」という何もない居館跡を訪れたことがあるのですが、そこの主の墓のようです。その隣には、誰も住んでないようですが、白い立派な長屋門のある「松村家の屋敷」があり、現在の松村家はその隣で歯科医を開業されています。「松村佐左衛門」は天正元年(1573)生まれで、成田氏の家臣だったらしいのですが、秀吉の小田原征伐後は、帰農して名主として徳川に使え、会の川の洪水を防ぐため「旧志多見提」「阿良川提」を整備したり、「佐左衛門新田」を開発したりと、地元にやに大きな貢献した人物だったようです。また隣の松村家の屋敷からは利根川南流であった「会の川」の締切に関する古文書も発見されたそうです。
「志多見日枝神社」と「明蔵院」は一度来ているのですが、会ノ川右岸の自然堤防上に形成された「志多見砂丘」にあり、境内の地面は山砂に覆われています。志多見日枝神社の創建は、利根川上流から社殿が流れ着いたとも、川越から分祀したとも、江戸の赤坂の山王日吉神社から分霊したともいわれてハッキリしませんが、志多見村の鎮守として明治に入り村社に列格されています。
「明蔵院」は、日吉神社の別当寺であった真言宗智山派寺院で富士山と号します。
「志多見砂丘」は、中川低地に多数残る砂丘の1つで、平安時代の後期の嘉承3年/天仁元年(1108)年噴火した浅間山の土砂が大規模に噴火し、利根川に大量に流れ込んだ砂が運ばれて形成された自然堤防を、強い北西の季節風(赤城おろし)が吹き飛ばして、風下に砂が堆積して出来たものです。日本のような湿潤な気候条件下で内陸部に砂丘が形成されるのは大変珍しいそうです。
志多見砂丘の河岸段丘の下を流れる川が「会の川」です。元は羽生市上川俣で分流した利根川の南流で、加須市川口で浅間川と合流して利根川の本流となり、東京湾に注いでいましたが、利根川の利根川東遷事業に伴って流頭部が締め切られ、利根川流域の農業排水を集めて流れる川となっています。
今日は久しぶりに「極楽湯 羽生温泉」で汗を流して行きます。料金は平日820円、土日920円、コロナ中に一度上がったので今回は前のままでした。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素温泉(弱アルカリ)で、源泉は43.9度あり、それをそのまま流した露天風呂の一番上にあるの浴槽がかなり熱くて、寒い時期は体が温まります。
今日の昼飯は極楽湯の近所にある「赤城屋 羽生パイパス店」で「手打ち味噌ラーメンとおこわ飯のセット」を食べました。赤城屋は最初に極楽湯に行った時に一度入ったことのある店で、ここの味噌ラーメンは野菜たっぷりの豚汁の中に麺が入った感じの物で、最近多い豚骨スープに味噌を合わせた味噌ラーメンとは違う、昔懐かしい素朴な味がしました。
「南羽生駅」から東武伊勢崎線に乗って帰ります。
フォトギャラリー:95枚
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秩父鉄道の「行田市駅」からスタート!寄り道し出すと先に進まないので、「行田八幡神社」に参拝だけして「新旧忍川分岐」を目指します。
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行田市南口には「埼玉県名発祥の地」と書かれた時計台があります。埼玉県名発祥の地は前玉(さきたま)神社なのですが、市内にあるためここにも記念碑があります。
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市内にやたらにある「三方領知替200年」の幟は、200年前の文政6年(1823)に、忍藩主・阿部正権が白河へ、白河藩主・松平定永が桑名へ、桑名藩主・松平忠堯が忍へ転封となる、3つの大名に玉突き状態でお互いの領地を交換させる「三方領知替」が行われたことを記念するもので、行田市・桑名市・白河市はこれが縁となって平成10年に友好都市を締結したのだそうです。
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「行田八幡神社」に着きました。行田の総鎮守神で近隣の約30の神社の社務を兼任しているこの地域の中心的な神社です。平安時代中期に源頼義・源義家が、奥州討伐の途中、この地に滞陣した際に、戦勝を祈願して勧請されたと伝えられています。最初は佐間村田中にあり、田中(でんちゅう)八幡と呼ばれていましたが、天文年中に、忍城主の成田下総守長泰がこの地に移して城下総鎮守としたそうです。江戸時代も代々の城主の尊崇が篤く、特に阿部忠秋は、八幡大神の御神像を奉献し、阿部正識も自筆の額を献進しています。
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先週に続き今日も「忍川」に到着しました!
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先週も来た「新旧忍川分岐」が見えてきました!左側を流れる水路は「玉野用水路」です。玉野用水路は酒巻導水路から分水された農業用水路で、名前の由来は、旧埼玉村と旧長野村へ送水することから、埼玉の玉と長野の野をとってこの名前になったそうです。
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旧忍川分岐点の上を流れる「玉野用水掛樋(水路橋)」です。下を流れる旧忍川は多少水がありますが、普段は忍川から分水されていません。
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分岐の対岸に成田氏が忍沼に導水するために持田駅西側の忍川から引いた用水路の出口があります。これは3箇所あるのですが、地図で見ると一番南側のこの水路がメインのようです。持田で2つに分かれた忍川はこの新旧忍川分岐点あたりで合流していました。
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今日も「日光白根山」がよく見えます。先週と違って山頂は雪を株っています。
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そしてこちらが「日光男体山」です。うっすらと雪が見えますが、積雪量は白根山より少ないです。
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忍川の東側を並走して流れている「武蔵水路」も渡ります。
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「さきたま古墳公園」に着きました。中央奥が丸墓山古墳です。寒くなったので早朝ウォーキングのおじさんたちもまばら。この公園にある「埼玉古墳群」は、5世紀後半から7世紀中頃にかけて築かれたもので、前方後円墳8基、大型円墳2基、方墳1基並びに小円墳群で構成されています。狭い地域にこんなに巨大古墳が集まっていることは全国的に見ても珍しいそうです。
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「丸墓山古墳」に着きました。今日は埼玉古墳群を全部回っていられないので、ここと稲荷山古墳だけ登っていきます。「丸墓山古墳」は、石田三成が忍城水攻めの本陣を築いた場所で、直径105.0m、高さ17.2mの円墳です。武蔵国造の乱で破れた小杵の墓という説もあります。
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「丸墓山古墳」山頂です。標高35.7mあり、埼玉古墳群の最高地点です。関東平野のど真ん中の水田地帯にあるため、関東の山が360度一望できます。
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まずは、丸墓山古墳山頂から見た、さっき下からよく見えなかった「赤城山」です。
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続いて「忍城」とその後に雲のかかった「浅間山」です。石田光成はこの場所から忍城を眺めながら水攻めの指揮をとっていました。
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最後にすっかり白くなった「富士山」と丹沢~奥多摩方面の山々です。
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次に行く「稲荷山古墳」です。見てわかる通り、前方後円墳です。後に筑波山が見えているのですが、明るい東側で下に明るさを合わせたために写っていません。
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丸墓山古墳から下に下りて、改めて見る「稲荷山古墳」です。
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「稲荷山古墳」を方の側から円の側に縦走します。
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「稲荷山古墳」山頂です。後に見えるのは丸墓山古墳です。発掘された墓が地面に再現されています。前方後円墳で、全長120.0m、後円部径62.6m、後円部高10.4m、前方部幅82.4m、前方部高9.4mとなっています。
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稲荷山古墳から改めて「筑波山」です。今度はなんとか写りました!
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公園の北側を流れる「旧忍川」を渡ります。水が供給されていないため、アシなどの草がぼうぼうに繁る湿地になっています。旧とつくため自然の河川と思われがちですが、享保年間(1730年頃)に忍城を取り囲んでいた忍沼の排水路として開削された人工流路です。忍沼までの区間を上忍川、忍沼から見沼代用水までの区間を下忍川と呼んでいたようです。
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旧忍川対岸にある「埼玉古墳群(長野地区の古墳)」の案内板に着きました。別名白山古墳群ともいい、小さな古墳(全て円墳)が18基前後あると推定されており、「白山古墳」「神明山古墳」「白山愛宕山古墳」には墳丘が残存しています。案内板の場所には「白山9号墳」があったそうですが、これは一応円墳だそうでが、墳丘が残っていません。
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次の「白山愛宕山古墳(4号)」は稲荷山古墳と共に最初期の5世紀末頃に築造された古墳の一つで小さな土盛りが「白山愛宕山古墳歴史の広場」の中に残されています。これまでに4回、発掘調査が行われており、周溝の外径約39m、内径約26mの小型の円墳であることが判明しているそうです。周溝内から円筒埴輪、朝顔形埴輪、人物・馬・鶏などの形象埴輪、土師器の坏・高坏・壺・鉢など、須恵器の甕・高坏などが多数出土しています。
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白山愛宕山古墳の北側の畑の中にある「神明山古墳(?号)」です。何号かわからない古墳で、発掘がなされていないのか詳細も不明とのことです。
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「白山古墳(1号)」に着きました。この古墳は埼玉古墳群の北端であると考えられています。直径50mに及ぶ大型の円墳で、旧忍川対岸の巨大首長墓群より後の古墳の縮小化が進む時期に造られたものだそうです。またこの古墳の南西隣には墳丘の失われた2号墳があり、これを合わせた前方後円墳ではないかという説もあるそうです。
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白山古墳の上には「白山姫神社」があります。この神社は火伏せの神で、「この山を掘れば火の祟りがある」と伝えられおり、1959年に発掘調査しようとした際にも火事が発生したため、詳しい発掘はなされていないようです。
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ISO: 70 Speed:20000/1000 f値:2.4
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神社の東側の墳頂には横穴式石室の奥壁と思われる緑泥片岩が露出しています。ちなみに周りに散らばっているのはギンナンです。
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白山古墳からの眺めです。古墳は自然堤防上の集落にありますが、裏は広い水田となっています。
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「吉祥院」は墓地に大日堂があるだけの場所なのですが、元は多門山と号する真言宗智山派寺院で、東行田駅の長久寺末として江戸時代初期に創建されたと推定されています。
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再び「旧忍川」に戻ります。ここは堰があって池のように水が溜っていますが、ほとんど水はありません。
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水がない大半の部分の「旧忍川」です。結構川幅はありますが草ぼうぼうの湿地帯になっています。左側に見える塔は古代蓮の里の展望台です。
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古代蓮の里を目指して旧忍川の堤防上を行きます。
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振り替えれば正面に「両神山」が大きいです。
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「弁天門樋」は、明治38年(1905)に造られた上敷免製(旧日本煉瓦製造会社[深谷市])の約24,000個の煉瓦を使用したイギリス積みの煉瓦造です。ゲートは当初は木製ゲートでしたが後に鋼製スルーゲートに変更されています。
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弁天門樋の横に何故かある「中川の碑」です。旧忍川は昔の中川だった!とか、驚くべきことが書いてあるのかと思ったら、忍川や忍川が流れ込む元荒川は最後に中川と合流するので中川水系ですみたいな、ありきたりのことしか書いてはありませんでした。
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調整池を挟んで北側に見えるのが「埼玉行田浄水場」です。埼玉北部のの市町村に水を供給しており、元となる水は利根大堰から「行田水路」を使って引いています。
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水田地帯の向こうに奥多摩~奥秩父~奥武蔵の山が大きいです。
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紅葉の「古代蓮の里」に着きました。かつてこの南側にあった広大な「小針沼(小埼沼、埼玉沼)」を干拓した跡にふるさと創生事業の一環として平成4年から平成12年にかけて整備された公園です。
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古代蓮の池です。蓮は枯れてしまっていますが、7月頃ピンクの華麗な花を咲かせます。古代蓮は、昭和48年(1973)に公園の南東側に見える「小針クリーンセンター」の建設工事の際に、発見された蓮の種子が自然発芽して開花したもので、行田市の天然記念物で、市の花にもなっています。
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古代蓮の里の中を流れる「小針落」源流の水路です。隣の浄水場から水を供給されているのかと思っていたら、草ぼうぼうなので、園内の池根の排水路としてしか使われていないようです。
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蓮は枯れていても、十月桜が満開を迎えてくれました!
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古代蓮の里を出た先の「小針落」です。完全に農業用の排水路ですが、少し先で一級河川の「野通川」に変わります。
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古代蓮の里に隣接する水田で毎年造られている「田んぼアート」です。上から見ると2023年は「翔んでさいたま」の絵柄が浮かび上がるようになっているのですが、まだ展望台が開く時間ではないので…。
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冬枯れた田んぼの中の一本道を行きます。
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古代蓮の里の北側を流れる「長野落」は、行田市の小見真観寺古墳周辺の水田を起点とする農業排水路兼用水路で、最後は小針落から名前の変わった野通川に合流します。遠くに見えるのは赤城山です。
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星川の旧河道が残っていました。この辺りの見沼代用水は星川の流路を使用しているのですが、昔はもっと蛇行していたようです。
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その「見沼代用水」に着きました。右手に見える木がモッコリした場所が藤間神社です。
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今年も遂に皇帝ダリアの季節になってしまいました!
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「藤間神社」は、元は稲荷神社で、古くから藤間村の鎮守社でしたが、明治に入って別当寺の花蔵院の管理を離れた際に、同村にあった雷電神社が村社となり、稲荷神社は無格社とされたため、明治40年に稲荷神社境内に雷電神社と雷電神社末社の浅間社・塞神社を合祀し、社名を藤間神社と改めて目出度く村社となった神社です。別当寺だった花蔵院は現在は真名坂五郎次郎経朝館跡とされる「真名坂薬師堂」のみとなっています。
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今日は朝からずっと日光連山が良く見えます。
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「三ツ家稲荷神社」は説明書きにも道路整備で移転したとしか書かれていない委細不明の神社です。
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さざんかが満開になってきました!
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小針落まで戻って来ました。農家の手作りの橋がかかっています。まだ相変わらずの狭い用水路ですが、 小針落は享保13年(1728)に小針沼(埼玉沼)の干拓のために、井沢弥惣兵衛によって掘られた悪水路を起源としています。
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小針落が伏越で旧忍川の下をくぐり抜ける「小針落伏越」に着きました。ここも大正3年(1914)に造られた煉瓦造りの建造物です。伏越の左手にあるのが「野通川起点の碑」です。
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「野通川起点の碑」です。ここから小針落は野通川と名前を変え、一級河川となり、柴山伏越の手前で元荒川に合流します。
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長野落も旭橋の横にある「長野落伏越」で旧忍川をくぐり抜けます。こちらは昭和8年(1933)製造の鉄筋コンクリート製となっています。
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旭橋の上から振り返った「旧忍川」です。相変わらずの草ぼうぼう!
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長野落伏越のすぐ東側が旧忍川が見沼代用水に合流する旧忍川の終点です。旧忍川は見沼代用水の水を付近の水田に供給する時だけゲートが開くそうなのですが、草ぼうぼう過ぎて使われている気配はありません。
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旧忍川の水門の反対側は見沼代用水です。
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水門にある「旧忍川分水口扉」のプレートです。先程、草ぼうぼう過ぎてとても農業用水を引き込むのには使えないと書きましたが、名前はやはり「取水用鋼製スライドゲート」の文字があります。
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長野落伏越から少し南側に行った場所に「長野落の合流点」があります。この辺りから野通川は田んぼの排水路から立派な川へと変わって行きます。
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合流点の南側の大きな森の中にある「川里赤城神社」も前に来たことがあるのですが、群馬県赤城神社から飛来してきた嵐除けの神札を祀ったという神社です。別当寺を持たない村持の神社で、江戸時代には赤城村の鎮守として祀られていましたが、村社とはならなかったようです。明治41年天神社、稲荷社を合祀しています。
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ここの稲荷社は富士塚のような塚の上にあります。
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赤城神社の黄色く色づいたメタセコイアの木です。
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赤城神社の前にあったよろず屋さんです。中を覗いたら営業しているようです。この辺、コンビニはおろか自販機も滅多にありませんからね。
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「清法寺」は赤城山と号する曹洞宗寺院なのですが、ここにはこの前、加須市の「鷹橋」で村人の内藤玄蕃(足利家の浪人だったという説もある)が徳川家康から褒美としてもらった陣羽織があります。子孫である鴻臺村の民勘右衛門がこの寺に納めたとも、玄蕃の子孫がこの寺の住僧となったためともいわれています。
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境内にある「清法寺の槇」です。鴻巣市指定天然記念物となっています。
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それから山門と薬師堂です。清法寺は薬師堂が信仰を集めていて、寺はその別当のような感じだったようです。
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旧忍川終点付近の最後に「北根久伊豆神社」です。北根村の村社であった神社で、同村内にあった「五社権現」(九頭竜社・白山社・氷川社・飛竜社・熊野社)、弁天社2社など合祀しています。江戸時代の別当寺は「清法寺」でした。
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境内にあるその「五社権現」の社です。
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あと鳥居の左側に頂上に木花佐久夜姫命の石碑がある富士塚があります。
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「明神橋」にある「野通川と関根落の合流点」です。「関根落」は武州荒木駅の東側にある「長善沼(荒木城伝承地)」付近を起点とする用排水が兼用の水路で、途中で保井堀落、長善沼落、根岸落などの排水路を合流しながら見沼代用水の東側を流れ、ここで野通川に合流します。最初は見沼代用水に注いでいたそうですが、排水不良のため合流先が変更されたそうです。見沼代用水と交わる部分は伏越になっています。
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ずいぶん立派な川になった「野通川」です。
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本格的な冬を前にして、菜の花が咲き始めていました。
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再び見沼代用水を渡ります。ここが鴻巣市と加須市の境目です。
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「外田ヶ谷久伊豆神社」は長い参道にイチョウ木が植えられた神社です。
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「外田ヶ谷久伊豆神社」は、昔、鎮守が無いのを憂えた村人が、騎西町の玉敷神社の分霊を祀ったことが始まりといわれており、明神様、くいず様と呼ばれてきたそうです。『明神様のお使い』という民話が伝えられています。
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「白山比咩神社」前新田集会所と第三保育園の間にある小社で由緒は不明です。
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白山比咩神社の前の田んぼの真ん中にある巨大観音像です。神社の裏には地蔵菩薩他の真新しい仏像が並んでいます。寺があったというのではなく、神社を管理している家が信仰で建てたもののようです。
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「常徳寺」は管霊山ご号する無住の単立寺院ですが、元は真言宗智山派に属する寺だったようです。「武蔵風土記」によれば、慶長3年に法印宥慶によって開山されたそうです。往時は山門もありましたが、老朽のため取り壊されてしまったそうです。
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道を歩いていると、突然「松村佐左衛門の墓」なる物がありました。前に近所で「阿良川堀の内」という何もない居館跡を訪れたことがあるのですが、そこの主の墓のようです。
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「松村佐左衛門の墓」の説明板です。文字が日焼けしていてよく読めないのですが、松村佐左衛門は、天正元年(1573)、志多見村に松村対馬尉吉宗の三男として生まれ、松村羽生領代官「大河内金兵衛久綱」の元で会の川の氾濫を防ぐため旧志多見提を強化したり、行田と加須、騎西の間に阿良川提を築いたりして、地元の治水に多大なる貢献をした人物だそうです。
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松村家の墓地のお堂の裏にある「松村佐左衛門の墓」です。この中のどれかがそうなのだと思います。「松村佐左衛門」は、寺ヶ戸・戸川の新田開発も行っており、その功績により「佐左衛門新田」と呼ばれたそうです。寛永20年(1643)12月15日没。
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松村佐左衛門の墓の隣には白くて立派な長屋門のある「松村家の屋敷」がありました。松村家は志多見の旧家で、伊勢の北畠氏に仕えていましたが、主家の滅亡後に忍城主成田氏長に庇護されてこの地に住むようになったとか、ただ単にこの地に古くから住む土豪で、その後成田氏に従うようになったとかいわれています。
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長屋門の中の屋敷も超立派ですが、現在は誰も住んでいないようで、松村家はその隣で歯科医を開業されています。
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長屋門の前にある説明板には、この屋敷から「西福寺文書(利根川廃川文書)」という忍城主松平忠吉が小笠原三郎左衛門に命じて、上川俣で利根川南流(会の川)を築留めて廃川としたことを記した古文書が発見されたことが記されています。
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「志多見日枝神社」は、会ノ川右岸の自然堤防上に形成された「志多見砂丘」上にある神社です。境内は山砂に覆われています。創建は、利根川上流から社殿が流れ着いたとも、川越から分祀したとも、江戸の赤坂の山王日吉神社から分霊したともいわれてハッキリしませんが、志多見村の鎮守として明治に入り村社に列格されています。
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「明蔵院」は、日吉神社の別当寺であった真言宗智山派寺院で富士山と号します。
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志多見砂丘の河岸段丘の下を流れる「会の川」を渡ります。元は羽生市上川俣で分流した利根川の南流で、加須市川口で浅間川と合流して利根川の本流となり、東京湾に注いでいましたが、利根川の利根川東遷事業に伴って流頭部が締め切られ、現在は利根川流域の農業排水を集めて流れる川となっています。
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久しぶりに「極楽湯 羽生温泉」で汗を流して行きます。料金は平日820円、土日920円。コロナ中に一度上がったので今回は前のままでした。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素温泉(弱アルカリ)で、源泉は43.9度あり、それをそのまま流した露天風呂の一番上にあるの浴槽がかなり熱くて、寒い時期には体が温まります。
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今日の昼飯は最初に極楽湯に行った時に一度入ったことのある「赤城屋 羽生パイパス店」にまた行ってみました。基本的にうどん+定食屋なのですが、手打ちラーメンもあります。
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前に醤油ラーメンを食べたので、今日は「手打ち味噌ラーメンとおこわ飯のセット」を食べました。ここの味噌ラーメンは野菜たっぷりの豚汁の中に麺が入った感じの物で、最近多い豚骨スープに味噌を合わせた味噌ラーメンとは違う、昔懐かしい素朴な味がしました。
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「南羽生駅」から東武伊勢崎線に乗って帰ります。いつも空いている電車が、山手線運休で東武経由の人が増えたのせいか、珍しく混んでいました。
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