子王山~日向山~高山御獄山~高山社跡
子王山(子王山城跡)、日向山、高山御獄山、高山三角点405.6m、御霊神社、興禅院(高山長五郎の墓)、高山社跡(高山四郎行成館跡)、高山の鉄造薬師如来像( 関東)
パーティ: 1人 (目黒駅は品川区 さん )
快晴
バス
その他:
往路:目黒→山手線→池袋→埼京線→赤羽→高崎線→倉賀野→八高線→群馬藤岡→藤岡市営バスめぐるん三ツ木~高山線→高山(二千階段入口)
復路:梨木商店前→徒歩→おふろcafe白寿の湯→下渡瀬朝日工業前→朝日バス→本庄→湘南新宿ライン→寝過ごす→大崎→山手線→目黒
高山(二千階段入口)バス停450m8:30~34→子王山(子王山城跡)551.0m8:43~58→高山バス停9:07→下日野-神田線(176号県道)→椚山集落(日向山入口)460m9:15→若干迷う→ロマン橋400m9:36→445m肩9:42→日向山482m9:48→高山御嶽山420m10:19→高山三角点405.6m10:32~37→林道10:44→御嶽山登山口200m10:57→御霊神社11:02→興禅院入口11:12興禅院(高山長五郎の墓)11:17~28→高山社跡(高山四郎行成館跡)11:34~41→高山の鉄造薬師如来像11:51~55→梨木商店前バス停12:06
合計3時間36分
5月3日(土)は、最近、珍しく登山づいているので、その勢いのままに三ツ山城跡の北側にある子王山~日向山~高山御獄山をプチ縦走してきました。ここにも「子王山城跡」という山城があります。
「子王山城跡」は、一般的には山内上杉氏の平井城の物見の砦もしくは烽台といわれているのですが、平将門の家臣柴橋兵部景家によって築かれたとか、10世紀の天慶の乱の際に多胡政兼が築いたという伝承が残っています。しかし多胡政兼は将門の敵か味方かもわからず、柴橋景家もどのような人物か不明なため、これは単なる言い伝えに過ぎないといわれています。また天文21年(1552)に長尾景虎(後の上杉謙信)が平井城を奪還した際に、甥の長尾喜平次顕景(後の上杉景勝)が子王山城に入り、「喜平次の城」と呼ばれるようになったという話も伝わっています。しかしこれも、天文21年は憲政が北条氏によって平井城を逐われた年で、上杉顕景も弘治元年(1555)生まれで、まだ生まれていないため疑問視されています。いずれにせよ子王山は、円錐形の周囲を一望できる見晴らしの良い山なので、平井城は当然のことながら、その時々の支配者たちによって物見の砦として利用されてきたことは想像に難くありません。
今日のスタートは「藤岡市営バス“めぐるん”三ツ木~高山線」の終点の「高山(二千階段入口)バス停」です。藤岡市は鉄道が1時間に1本の八高線しか通っていないためバス路線が発達していて、いつもの上野村行の日本中央バスの他に、市営バスの“めぐるん”が、①「市内循環線」、②「三ツ木~高山線」、③「藤岡~上平線」、④「神流線」と4路線走っています。「三ツ木~高山線」は市民の日常の足に加え、世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』の1つである「高山社」と、藤岡市が桜山や庚申山共にハイキングコースとして整備いる「子王山」をつなぐ準観光路線になっており、終点の「高山(二千階段入口)バス停」450mまで乗ると(400円)、わずか約100mで山頂に立つことができます。あえて一番下から登りたい人には上平線の「印地入口バス停」212m下車という手もあります。ここからの標高差は約340mあります。別にどうってことはないんですが、今日はバスの終点まで行ってみたいので高山(二千階段入口)バス停から登ります。
「高山(二千階段入口)バス停」のバス停を降りると、すぐ横に集会場のような建物があります。これが「みはらし茶屋」です。土日は営業しているそうですが、時間的にまだ空いていませんでした。でもトイレだけは使えました。茶屋は地域の住民により運営されており、「手打ちうどん」や「おやき」などの地域の味が提供されているそうです。うどんは讃岐うどんを真似た街のうどん屋のツルツルシコシコしたものではなく、藤岡地区で昔から食べられてきた硬くてブキブキした素朴な味わいで、知る人ぞ知る隠れ名物だそうです。
バス停から道を渡って反対側の未舗装の道に入ると、すぐに左手に急な階段が現れます。この階段が子王山の有名な「二千階段」です。歴史的な物ではなく、登山道を整備した時に間伐材を使って造られた階段で、こちら側からだと700段、反対側の西麓からだと1300段あって合計2000段だそうです。標高差がわずか100mしかないので急がずゆっくりと登ります。登っていくと、200段の標識があるところに2段になった腰廓のような広めの平坦地が現れます。この辺りは伐採地なので雨降山~御荷鉾山~赤久縄山の展望が良いです。さらに300段では2番目の腰廓、段数が合っていない気がするのですが、400段では3番目の腰廓が現れます。この2番目、3番目の腰廓は、山頂を巻く道のような細くて簡素なものです。3番目の腰廓には「子王山稲荷神社」の簡素な社があります。
そしてひと登りで子王山山頂に到着。下から写真を撮りながらわずか10分弱で着いてしまいました。「子王山城本廓」である山頂は、小さな平坦地になっていて、石祠と551.0mの「三等三角点椚山」があります。石祠は向きから推測して、先程の子王山稲荷神社の本社なのだと思われます。
山頂から北西側に一段下った場所には、堀切の跡を挟んで2の廓である細長い平坦地があり展望台になっています。ここに城跡の説明板もあります。春のわりに空気が澄んでいて、小野子山~谷川岳~子持山~赤城山がうっすらと一望でました。木の葉の繁る前の季節だとその西側に榛名山と手前に牛伏山もよく見えるようです。
「子王山城跡」は、山頂にわずかに遺構が残るだけの砦レベルの小さな城跡だと思っていたのですが、意外と立派で、北東側の電波塔の先にも堀切を挟んで細長い腰郭があります。腰廓の下は崖のような急斜面になっていて、その下にも何段かの腰廓が続いているようです。
今登って来た階段を下ってバス停に戻ります。そしてバスが来た道(下日野-神田線(176号県道))を椚山集落の最上部の民家がある場所まで行きます。椚山は高山社が近いこともあり、養蚕が盛んだった集落で、下の方には養蚕住宅が何軒か残っているそうです。左に注意しながら進むと、カーブの頂点の農道のような道が分かれるところに「御獄コースの案内図」460mがあるので、「日向山」へはここを左折します。畑の脇の道を下る途中に標高が多少高いせいかニリンソウがまだ咲いていました。
農道のような道は、すぐにまた民家の前に出ます。民家の前の舗装道路を左折して少し行った突き当たりから下る道が登山道です。登山道入口に害獣除のロープと電気柵があるため、進入禁止かと思いあちこち道を探してしまいました。逆ルートで上って来た人がいたのでようやく登山道とわかりました。
ロープと電気柵がある入口から登山道に入ると、「ロマン橋」400mという簡素な橋と小さな溜池があり、それを渡ると日向山への登りが始まります。ロマン橋から45mほど登って稜線に出たところにある445mピークを巻いて東に軽く登ると「日向山」482mに着きます。ロマン橋から12分程で到着。コース上に山頂標識があるだけの展望のない場所ですが、現在地を示した御獄コースの案内図がここにもあります。
日向山から「龍背」という小ピークが連続する尾根を上り下りして行きます。このアップダウンは日向山周辺はたいしたことがありませんが、御嶽山が近づくにつれ西上州の前衛らしく激しさを増して行って、この尾根は地図上では400mを切ることがないのですが、高度計では370~80mを示した鞍部もあったので、標高差300m前後の急な登り下りが何本も続くと思っていた方がよいです。そのため思っていた以上に時間もかかります。でも最後、三笠山の石碑が出てきたら、その上が御嶽山です。
「高山御嶽山」420mに到着しました。アップダウンが大変だったわりに日向山から約30分で着きました。山頂標識は手書きの物があるだけですが、御嶽講の石碑がたくさんあり、ここにも現在地を示した御嶽コースの案内図があるので通りすぎる心配はないと思います。ちなみにここも展望はゼロです。
御嶽山山頂を過ぎても、きついアップダウンが多少マシになるもののまだしばらく続き、岩場のヘツリなども出てきます。でも伐採された平坦な尾根が出てくると、高山の三角点は近いです。そこから軽く登り下りした先が「四等三角点高山405.6m」です。御嶽山から12~3分で着きました。東側が伐採されていて若干ですが景色が見えるので、少しばかり休憩していきます。
三角点から地形的にちょっと複雑な感じの急な下りが始まります。しかしバリエーションルートと違ってロープが張ってあるので迷う心配はありません。そしてこのままジグザク下の道まで下るのかと思っていたら、三角点から10分もしないうちに約100m下ったところで突然林道に飛び出しました。そして林道を淡々と下ると来る時通ってきたバス通り(下日野-神田線(176号県道))200mに飛び出しました。10時57分到着。朝、二千階段入口でバスを降りたのが8時30分なので、ここまで休憩なども入れて約2時間半の山行きでした。出口で昼飯時間に合わせて大きな荷物を担いでこれから登る中高年の団体に会いました。
下山して、車道を左(北)に少し進んだ反対側が「高山御霊神社」です。鎌倉権五郎を祀る神社で、伝承によると高山氏がここに定着して、源氏に組した時代に鎌倉の神社を勧請して建てられたそうです。地元では、権五郎が目を射抜かれた黍(きび)畑にちなんで、黍を育ててはいけないという風習も残っているそうです。また、より昔の「天平5年(733)、上野国緑埜郡に聖武天皇によって従五位上荒御玉神社が勧進された」とする史料が残っており、その神社がここだという説もあるそうです。ちなみに今のご祭神は磐余彦命(神武天皇)となっています。手洗舎の代わりに湧水を引いた手洗所があるので、登山の前後に水を補給することが出来ます。
次の「鷲峯山 興禅院」は、御霊神社の少し先の高台に上ったところにあります。文明18年(1486)に二杖必華乗芳禅師によって開山された曹洞宗寺院で、高山社を興した高山長五郎(高山家)の菩提寺で、本堂裏手の墓地に「高山長五郎の墓」と、上州高山党を率いて新田義貞の軍で戦った「高山遠江守重栄」の墓があります。長五郎は明治19年(1886)に56歳で亡くなり、辞世の句は「桑の根に魂(たま)はとゝめて枯にけり」だったそうです。
興禅院の坂を下って、再びバス通りと行くと世界遺産の「高山社跡」があります。高山社については、伊勢崎市の利根川の対岸にある飛び地の「島村」にあった「田島弥平旧宅(養蚕農家群)」に行った時に少し書いたのですが、屋敷の主である「高山長五郎」は、絹糸の原料となる蚕を育てるに当たって、暑いときは風を通して冷やしたり寒い時は火をたいて部屋を暖めたりして細かな温度管理を行うことによって、今まで1年に1回しか出来なかった生糸の生産が年に2回以上可能になることを理論的に体系化し教授することによって、日本の生糸生産量を飛躍的に増加させました。高山社は正式には「養蚕改良高山社」といい、元は高山長五郎(1830~86)の生家で、手狭になるまでここで養蚕法「清温育」の研究と指導を行っていました。現在の建物は田島弥平宅の越屋根を参考に復元されたものだそうですが、立派な門の奥は何もなくなっており、隣の家に写真で見た建物が建っいるというよくわからないことになっていました。島村とキャラが被るのはさすがにマズイので新たに別の建物を建てるのでしょうか?ともかく平成21年(2009)に国指定史跡となり、平成26年(2014)6月25日、第38回ユネスコ世界遺産委員会において「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界文化遺産に登録することが決定されており、現在は藤岡市が買い取り管理を行っているそうです。
「高山社跡」は「高山四郎行成館跡」であるともいわれています。高山氏は小林氏や浄法寺氏とのからみでこれまで何度も出てきた氏族で、出自は秩父氏ですが、桓武平氏の流れをくむ秩父党の秩父氏とも、丹基房が秩父五郎を称したことから始まった丹党の秩父氏のとも、児玉党が秩父氏を名乗った平姓秩父党ともいわれています。まあこの辺りは複雑に姻戚関係を結んでいるので、いろいろ入り交じっているのでしょうが、高山家としては秩父平氏の秩父(平)権守重綱の三男である秩父重遠がこの地に住み着き高山を名乗るようになったのが始まりとしています。重遠の息子の重久木曽義仲に従って挙兵し、その後、頼朝に仕えています。南北朝時代になると先程の「高山遠江守重栄」が上州高山党を率いて新田義貞の配下として出陣し、南朝側の武将として各地を転戦していますが、その後、山内上杉氏の重臣となることから、近隣の安保氏の誘い等で早い時期に北朝の足利側に寝返っているのだと思われます。山内上杉氏が群馬に本拠地を移して平井城を築いた時代には、高山氏は館の北西に高山城を築いています。上杉憲政が関東から追放された後は、北条氏、上杉(謙信)氏、武田氏、滝川氏など、この地を支配した勢力に迎合して生き延びますが、最後は北条氏滅亡と共にこの地で帰農したようです。この帰農した高山氏の末裔が養蚕産業の発展に大きく寄与した「高山長五郎」です。
高山社を出てバス通りをさらに進むと、長い階段を登った上に「高山の鉄造薬師如来像」が治められたお堂があります。見ることはできませんが、この薬師如来像は鎌倉時代につくられた鉄仏で全身に金箔が施されていたようで、「上毛国風土記」に名前が残るこの地域の古刹「高倉寺」が明治10年に焼失するまでお堂の左下の窪地にあり、管理していたいようです(※高倉寺は現在、神田地区に移転)。群馬県指定文化財です。また隣にある「子之権現宮」は鎌倉街道沿いから移築されたもので、埼玉県飯能市の子ノ権現と同じ子の聖を奉っています。子王山と同じ子なので何か関係があるような気がします?
薬師堂の先の「梨木商店前バス停」から朝乗ってきたのと同じ「“めぐるん”三ツ木~高山線」に乗って新町駅まで帰る予定だったのですが、バスの時間までまだだいふあるので、先週行かなかった温泉に行くことにしました。なお梨木商店は今は営業していないようです。
そして炎天下を1時間歩いて、「おふろcafe白寿の湯」にようやく到着しました。いつもたいして混んでないのですが、今日はゴールデンウィークということで人で溢れていました。料金も普段は平日880円、土日980円なのですが、ゴールデンウィーク特別料金とのことで、終日1280円、90分980円となっていました。サウナがなく、食堂が満席だったため当然90分を選択。泉質はナトリウム・塩化物強塩泉(高張性・中性低温泉)で、濃度が高すぎてポンプが詰まるので、現在は、井戸水による加水を行っています。昼飯時ということで、客がみな食堂に移動していたため、意外とゆったりと入れました。
温泉を出て、「下渡瀬朝日工業前バス停」からいつもの朝日バスで本庄駅まで戻ります。駅で何食べようと思っていたら、駅前の食堂が皆ランチタイムが終わって閉まっていたので、しょうがないので、駅のホームの「本庄そば」で「かけうどん」を食べて帰りました。ちなみにかけにしたのは、湘南新宿ラインの時間まで10分なかったから。
追記:さすがにかけうどんだけだと足りないので、寝過ごして行ってしまった大崎駅の駅ナカで一風堂がやっている「TOKYO TONKOTSU BASE」という博多ラーメン店で「濃厚まぜそば」の大盛を食べました
今日のスタートは「藤岡市営バス“めぐるん”三ツ木~高山線」の終点の「高山(二千階段入口)バス停」です。藤岡市は八高線しか通っていないためバス路線が発達していて、「三ツ木~高山線」は普段の市民の足に加え、世界遺産『富岡製糸場と絹産業遺産群』の1つの「高山社」と「子王山」をつなぐ準観光路線になっています。
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バス停から見た子王山です。「高山(二千階段入口)バス停」450mからだと、わずか約100mで551.0mの山頂に立つことができます。あえて一番下から登りたい人には上平線の「印地入口バス停」(212m)下車という手もあります。
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KYOCERA KYF33
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バス停から道を渡って反対側の未舗装の道に入ると、すぐに左手に急な階段が現れます。この階段が子王山の有名な「二千階段」です。歴史的な物ではなく、登山道を整備した時に間伐材を使って造られた階段で、こちら側からだと700段、反対側の西麓からだと1300段あって合計2000段だそうです。
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階段を200段の標識まで登ると、上下2段になった結構広い腰廓のような場所があります。
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200段の腰廓から見た東御荷鉾山~西御荷鉾山~オドケ山~赤久縄山です。
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そして群馬藤岡駅方面の眺めです。右中に島のように浮かぶ丘陵がこの前登った庚申山です。
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ひたすら急な階段が続きます。でも標高差がわずか100mしかないので急がずゆっくりと登っていきます。
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300段で2番目の腰廓の跡のような平坦地が現れます。この2番目と次の3番目の腰廓は、山頂を巻く道のような細くて簡素なものです。
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さらに400段では3番目の腰廓が現れます。奥に見える白い箱のようなものは、たぶん携帯電話の中継施設です。上に塔が伸びています。
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あと400段の腰廓には「子王山稲荷神社」の赤い社があります。
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中には簡素な神棚と狐の人形ががありました。この神棚は拝殿で、山頂の石祠が本殿だと思われます。
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KYOCERA KYF33
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子王山山頂に到着しました。下から写真を撮りながらわずか10分弱で着いてしまいました。山頂は「子王山城本廓(一の廓)」で、小さな平坦地になっています。
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子王山の山頂標識です。道標兼になっています。
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子王山山頂にある551.0mの「三等三角点椚山」です。
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同じく石祠です。向きが3番目の腰廓にある「子王山稲荷神社」の拝殿の方を向いているので、子王山稲荷神社の本社なのだと思われます。前にある小石の山は何かの願掛けなのでしょうか?
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北西側ニの廓跡に渡る途中にある埋められた堀切の跡です。
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ニの廓跡です。今は展望台になっています。
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KYOCERA KYF33
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ニの廓にある「子王山城跡」の説明板です。一般的には山内上杉氏の平井城の物見の砦もしくは烽台といわれているのですが、平将門の家臣柴橋兵部景家によって築かれたとか、天慶の乱の際に多胡政兼が築いたという伝承や、天文21年(1552)に長尾景虎(後の上杉謙信)が平井城を奪還した際に、甥の長尾喜平次顕景(後の上杉景勝)が子王山城に入り、「喜平次の城」と呼ばれるようになったという伝承も伝わっています。
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展望台から見た春霞でぼやけた赤城山です。
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同じく小野子~谷川岳~榛名山です。谷川岳は超薄っすらとして写りませんでしたが、まだ若干雪が見えました。
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北東側の電波塔の先にある堀切です。先程の山頂の北西にあったもののように埋められてはいません。
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北東側の堀切の先にある細長い腰郭です。
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細長い腰廓の下は崖のような急斜面になっていて、見た感じその下にも何段かの腰廓が続いているようです。
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バス停に戻り、バスに乗って来た道(下日野-神田線(176号県道))を御嶽コースの入口がある椚山集落最上部の民家まで歩きます。途中の畑にたたずむ石仏です。
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ワラビです。
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伸びすぎたタラノメです。
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椚山集落の最上部に着きました。この辺、廃村が多いのですがここはまだ人が住んでいるようです。椚山は高山社が近いこともあり養蚕が盛んだった集落で、集落の下の方には養蚕住宅が何軒か残っているそうです。
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椚山集落の最上部の家の横のカーブの頂点460mから分かれる農道のような道が御獄コースの初まりです。
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農道のような道に曲がってすぐのところに現在地を示した「御獄コースの案内図」があります。
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そして畑の脇を下って行くと、標高が多少高いせいかニリンソウがまだ咲いていました。
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今週のマムシグサです。
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農道のような道は、すぐに下の民家の前に出ます。民家の前の舗装道路を左折して少し先の突き当たりの直角カーブから下る道が登山道です。ここには標識がなく、しかも害獣除けのロープと電気柵が張られていたため、進入禁止と勘違いし、あちこち道を探してしまいました。
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ロープと電気柵がある入口から登山道に入ると、「ロマン橋」という簡素な橋があります。ここが御嶽コースのこちら側の最低地点で標高約400mです。
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ロマン橋の脇の小さな溜池には、オタマジャクシがたくさんいました。この溜池は灌漑用ではなく、下の水田(休耕田)に流す湧水をある程度温度が上がるまで溜めておくためのものだと思います。
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登り始めの道です。
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この先たくさん出てくる御嶽山コースの標識です。
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ロマン橋から45mほど登ると、道は445mピークを巻いて稜線に出ます。
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そのまま東にゆるやかに登って行くと、御嶽コース最高地点の「日向山」482mに着きます。最低地点のロマン橋から12分程で到着しました。
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日向山山頂はコース上に山頂標識があるだけの展望のない場所ですが、ここにも現在地を示した御獄コースの案内図があります。
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日向山からたまにロープが張られた「龍背」という小ピークのアップダウンが連続する尾根を行きます。このアップダウンは日向山周辺はたいしたことがありませんが、御嶽山が近づくと西上州の前衛らしく激しさを増していきます。
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ISO: 92 Speed:30000/1000 f値:2.4
先週満開だった山ツツジが色あせながらもまだ残っていました。
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急な長い下りが出て来ました。ロープにつかまってズルズル下ります。
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続いて急な長い登りです。この尾根は地図上では400mを切ることがないのですが、高度計で370~80mを示した鞍部もあったので、標高差30m近いの急な登り下りが何本かあると思っていた方が良いです。
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ISO: 62 Speed:30000/1000 f値:2.4
ナイフリッジというほどではないですが、やせ尾根も増えてきます。
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でも最後、三笠山の石碑が出てきたら、その上のピークが御嶽山です。
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「高山御嶽山」420mに到着しました。日向山から約30分で着きました。御嶽講の石碑がたくさんあります。
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高山御嶽山の山頂標識は石碑の裏の見にくい場所に手書きの物があるだけです。当然ここも展望はありません。
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でもここにも現在地を示した御嶽コースの案内図があるので通りすぎる心配はありません。
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あとトレランコープのピンクの標識がありましたが、これは大会が終わったらなくなるかもしれません。
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御嶽山山頂を過ぎても、きついアップダウンが、多少マシになるものの、まだしばらく続きます。蟹の横ばいというほどではないですが、岩場のヘツリなども出てきます。
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岩っぽいやせ尾根もあります。
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伐採された平坦な尾根が出てくると、高山の三角点は近いです。この辺りは台風の被害があったらしいので、ここは倒木を片付けた跡なのかもしれません。
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そこから軽く登り下りした先が「四等三角点高山405.6m」です。御嶽山から意外と遠く、12~3分かかりました。
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三角点の拡大です。四等の文字が読み取れます。
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三角点周辺も木が伐採されていて、東側の景色が見えるので少し休憩していきます。
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三角点から地形的にちょっと複雑な感じの急な下りが始まりますが、バリエーションルートではないのでロープが張ってあって迷う心配はありません。この道は約100m下ったところで突然林道に飛び出します。
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林道に出たところには御獄入口の標識があります。
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林道を淡々と下ると来る時通ってきたバス通り(下日野-神田線(176号県道))に飛び出します。10時57分到着。朝、二千階段入口でバスを降りたのが8時30分なので、ここまで休憩なども入れて約2時間半の山行きでした。
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林道の入口にも現在地を示した御嶽コースの案内板があります。
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下山して、車道を左(北、群馬藤岡駅方面)に少し進むと、道の反対側に「高山御霊神社」入口があります。
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まず橋で三名川を渡ります。
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ここは名前の通り鎌倉権五郎を祀る神社で、伝承によると高山氏がここに定着して、源氏に組した時代に鎌倉の御霊神社を勧請して建てられたそうです。地元では、権五郎が目を射抜かれた黍(きび)畑にちなんで、黍を育ててはいけないという風習も残っているそうです。
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「高山御霊神社」です。また、より昔の「天平5年(733)、上野国緑埜郡に聖武天皇によって従五位上荒御玉神社が勧進された」とする史料が残っており、その神社がここだという説もあるそうです。ちなみに今のご祭神は磐余彦命(神武天皇)となっています。
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高山御霊神社には手洗舎の代わりに湧水を引いた手洗所があるので、御嶽コースをこちら側から登る場合は水を補給することが出来ます。
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バス通りに戻ると、ミズキの白い花が満開でした。
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「興禅院」の幾つもの石碑が並ぶ入口に到着しました。寺は山の中腹にあるため、急なアスファルトの道を登らなくてなりません。
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急なアスファルトの道の途中で、ジュウニヒトエの花を見つけました。
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「鷲峯山 興禅院」に着きました。文明18年(1486)に二杖必華乗芳禅師によって開山された曹洞宗寺院で、高山社を興した高山長五郎(高山家)の菩提寺です。墓地に墓があります。
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興禅院の墓地や庭の日陰にはシャガの花がたくさん咲いていました。
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高山長五郎の墓の手前に、上州高山党を率いて新田義貞の軍で戦った「高山遠江守重栄」の墓ががありした。
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高山遠江守重栄の墓の解説板です。高山氏は秩父平氏の秩父(平)権守重綱の三男である秩父重遠がこの地に住み着き高山を名乗るようになったのが始まりです。重遠の息子の重久木曽義仲に従って挙兵し、その後、頼朝に仕えています。他に武蔵七党の丹党出身説と同じく児玉党から分かれた平姓秩父党出身説もあります。
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高山社をつくった「高山長五郎」の墓です。周囲には高山家の墓がたくさんあります。
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普通の雑草だけど、花の形が可愛いカキドオシの花です。
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再びバス通りに戻り、世界遺産の「高山社跡」に到着しました。広い駐車場とトイレがあります。「高山長五郎」は、絹糸の原料の蚕を育てるに当たって、暑いときは風を通して冷やしたり、寒い時は火をたいて部屋を暖めたりと細かな温度管理を行うことによって、今まで1年に1回しか出来なかった生糸の繭の生産を年に2回以上できるようになることを理論的にまとめあげ、これを広めることで日本の生糸生産量を飛躍的に増加させました。
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高山社跡の立派な門と石垣です。でも門の奥に写真で見た建物はなく更地になっていました。ここは「高山四郎行成館跡」でもあります。高山氏は小林氏や浄法寺氏の祖となる一族で、秩父平氏の秩父(平)権守重綱の三男である秩父重遠がこの地に住み着き高山を名乗るようになったのが始まりです。山内上杉氏が群馬に本拠地を移して平井城を築いた時代には、高山氏は館の北西に高山城を築いています。最後は北条氏滅亡と共にこの地で帰農します。帰農した末裔が「高山長五郎」です。
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高山社の立派な門の先にあった屋敷は、伊勢崎市の利根川の対岸の埼玉側にある飛び地の「島村」の「田島弥平旧宅(養蚕農家群)」を模したもので、ほぼ同じものが隣の家にありました。移築したのか元からあったのかは不明ですが、人が住んでいるようで中は見られません。
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高山社跡の前を流れる三名川の清流です。橋の対岸は遊歩道が整備された園地になっているようです。
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駐車場にあったユネスコ世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の一覧です。左から①富岡製糸場、②田島弥平旧宅、③高山社跡、④荒船風穴です。④の荒船風穴は岩の間から流れ出てくる冷たい風で蚕の卵を冷やして蚕になる時期を遅らせるというものです。
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高山社跡の前に生えていたオダマキの花です。
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池の中に咲く菖蒲はまだ先ですが、乾燥地に咲くアヤメの花は今が満開です。
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高山御嶽山を振り返ります。左が御嶽山、右が日向山でしょうか。
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本日最後の「高山の鉄造薬師如来像」入口の長い階段に到着しました。
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階段を登った上には赤い立派な山門があります。
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「高山の鉄造薬師如来像」が治められたお堂です。「上毛国風土記」に名前が残るこの地域の古刹「高倉寺」が明治10年に焼失するまでお堂の左下の窪地にあり、管理していたいようです(※高倉寺は現在、神田地区に移転)。
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「高山の鉄造薬師如来像」の説明板です。この薬師如来像は鎌倉時代につくられた鉄仏で全身に金箔が施されています。群馬県指定文化財です。
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薬師堂の隣にある「子之権現宮」は鎌倉街道沿いから移築されたもので、埼玉県飯能市の子ノ権現と同じ子の聖を奉っています。子王山と同じ子なので何か関係があるような気がします。
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シャクナゲの花も満開です。
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「梨木商店前バス停」から朝乗ってきたのと同じ「“めぐるん”三ツ木~高山線」に乗って新町駅まで帰る予定だったのですが、バスの時間までまだかなり時間があるので、先週行かなかった「おふろcafe白寿の湯」に行くことにしました。
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ちなみにバス停の名前になっている梨木商店は今は営業していないようです。自販機もありません。
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さっき登ったのとは別の、埼玉県児玉町(本庄市)の金鑽神社のある御嶽山を目指して進みます。
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春に咲くノアザミです。最近、首都圏はアメリカ産のいかついオニアザミばかりになってしまったのですが、群馬はまだ結構ノアザミの花が残っています。
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桜の頃はまだ小さかった小麦が知らない間に立派に実っていました。これを刈り入れた後、水を入れて稲の田植えです。
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こちらは大麦です。
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神流川の河川敷で満開になっていたニセアカシアの花です。
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神流橋を渡り、今日も埼玉県に入ります。
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ようやく「おふろcafe白寿の湯」に到着しました。ゴールデンウィークということで珍しく人で溢れていました。料金も普段は平日880円、土日980円なのですが、ゴールデンウィーク特別料金とのことで、終日1280円、90分980円となっていました。当然90分を選択。泉質はナトリウム・塩化物強塩泉(高張性・中性低温泉)で、濃度が高すぎてポンプが詰まるので、現在は、井戸水による加水を行っています。
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温泉を出たら、「下渡瀬朝日工業前バス停」からいつもの朝日バスで本庄駅まで戻ります。
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本荘駅で何食べようと思っていたら、駅前の食堂が皆ランチタイム終了で閉まっていたので、駅のホームにあるいつもの「本庄そば」で我慢することにしました。
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湘南新宿ラインの時間まで10分を切っていたため、「かけうどん」を注文。速攻で食べて電車に飛び乗ります。電車は、本荘からだといつも余裕で座れるのですが、ゴールデンウィークのなので東京に遊びに行く人で結構混んでいました。
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追記:さすがにかけうどんだけだと足りないので、寝過ごして行ってしまった大崎駅の駅ナカで、一風堂がやっている「TOKYO TONKOTSU BASE」という博多ラーメン店で「濃厚まぜそば」の大盛を食べて帰りました。
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