山岳信仰の道を再び。「金峰山古道復活プロジェクト」のクラウドファンディングがもうすぐ締め切り

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かつて山岳信仰で栄えた金峰山の道を一般の登山者でも歩けるようにしようと、「金峰山古道復活プロジェクト」が始動した。現在その整備費用の一部1,300万円をクラウドファンディングで募っている。募集期間は2024年1月31日まで。

この古道は甲府市御岳町の金櫻神社から金峰山頂の同神社本宮へと続くかつての表参道「御嶽古道」で、長い歴史をもつルートだが、短時間で登れる登山コースが整備された現在はほとんど利用されなくなっている。プロジェクトでは、御嶽古道の登山口まで車で行けるようするため、荒れた林道を整備する。また、並行してトイレや駐車場などの周辺設備を整備する計画だ。

甲府市のアウトドアショップ「エルク」の柳澤仁さんや柳澤隆広さん、国際山岳ガイドの天野和明さん、登山ガイドの渡辺佐智さん、プロマウンテンアスリートの山本健一さんらがプロジェクトに参加、ほかに、甲府市役所と、事故のない世界をめざすイーデザイン損保とヤマップが連携している。

クラウドファンディング詳細

READYFOR『日本百名山・金峰山の「忘れられつつある登山道」を復活させる!』
https://readyfor.jp/projects/kinpusan

この記事に登場する山

山梨県 長野県 / 関東山地

金峰山 標高 2,599m

金峰山は奥秩父連峰の盟主である。これを「百貫の貫禄を具へた山」と絶賛したのは、“奥秩父の父”といわれた木暮理太郎であった。古くは日本武尊が東征の折、この地に鎧をおさめたとか、雄略天皇10年(467)に開山されたなどの伝説が残っている。  その後、室町時代に修験の総本山、和州・金峰山から蔵王権現を分祠し、大いに栄えた。  参詣道は9つも通じ、里宮の金桜神社の門前に、神職の家が70軒、参拝者の宿舎200軒を数えたという。  この山がいかに有名であったかは『甲斐国志』をひもとくとよく分かる。金桜神社とともに、7500字も費やして詳述している。表登拝口の金桜神社、猫坂、黒平(くろべら)を経て登るコースは、道中が長いので現在はあまり利用されていない。ルート上に、仏坂、御小屋沢、巫子ノ沢、賽ノ磧、御室小屋、勝手明神などの名が残る。  山頂は大きな積み木を重ねたような、花崗岩の御像石(五丈石)がそびえている。これは南アルプスの前衛、鳳凰山の地蔵仏岩と、甲府盆地を隔てて好対称をなしている。  この五丈石の下には、古い石灯籠や石囲いらしいものが残っている。かつては桧造りのお籠り堂があり、30人くらいが泊まれたという。記録によると、明治42年(1909)に焼失した。  さて、参籠者はいったいどこから水を得ていたのだろうか。原全教の『奥秩父』によると、「御影石うらの4人くらいはいれる岩陰の上約6m、3坪の岩間にたまる水で、量は40lに達する」とある。これが『甲斐国志』でいうところの「甲斐派美(かいはみ)」と呼ぶ小池ではないだろうか。  山容は準独立峰なので、眺望雄大、上信越の山々から八ヶ岳、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、富士山や御坂、毛無の山塊、近くに国師ヶ岳から大菩薩嶺など、なかなかの眺めである。  山頂直下に、千代ノ吹上げの絶壁があるが、この岩にまつわる伝説が残っている。それはこんな話。山麓の大豆生田(まみようだ)に信心深い大工夫婦がいた。2人が金峰山登拝の途次、女人禁制のたたりか妻の千代は足を滑らせ、谷底へ落ちてしまった。夫は妻の許しを神に乞うべく、山頂で7日間断食をした。そして満願の日、一陣の風とともに妻は無傷で再び姿を現したという。それから、この絶壁を村人は「千代ノ吹上げ」と呼ぶようになった。  登山コースは、増富温泉から富士見平小屋を経由して7時間、梓山から西股沢に沿って5時間30分、金桜神社から猫坂を経て11時間弱、縦走コースは国師ヶ岳から3時間30分など。

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