追悼 金邦夫さん。元・青梅警察署山岳救助隊副隊長

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東京・青梅警察署で長年、奥多摩の山岳救助隊を率いてきた金邦夫(こん・くにお)さんが、3月23日、亡くなった。享年76。

金邦夫さん(写真=打田鍈一)

1947年、山形県小国町生まれの金さんは高校時代から登山に勤しむ。警視庁では山岳会をつくり、アルプス三大北壁などにも挑んだ。(写真=打田鍈一)

1966年に警視庁警察官となり、機動隊やレンジャー部隊などをへて、94年、青梅署の山岳救助隊副隊長に就任。以降、一貫して奥多摩の山岳救助に関わり続け、2009年に定年退職したあとも安全登山の啓発に尽力した。安易な登山に警鐘を鳴らすため、遭難の実態や検証をまとめた著作『奥多摩登山考』『金副隊長の山岳救助隊日誌』『すぐそこにある遭難事故』『侮るな東京の山』がある。

金さんとつきあいの深かった登山家・山野井泰史さんに思い出を寄せていただいた。

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今から30年も前のこと、奥多摩の白妙橋で僕がクライミングをしている横で、警察署の数名が救助訓練に励んでいた。それが金さんとの出会いだったと思う。僕と妙子との29年間の奥多摩生活において金さんの存在はとても大きい。

当時、僕らは旧青梅街道のむかし道沿いの家に住んでいた。そこをパトカーが通りすぎたなと思った数分後、普段は警察の制服姿で、時には山岳救助隊の姿で「おい」と言って現われる。紹介のためか、新任の方が一緒の時もあった。そして縁側で日本茶を飲みながらわずかな時間を過ごしてから帰ってゆくのが常だった。14年間過ごした、むかし道沿いの古い家が傾き始めたころ、奥多摩から引っ越そうとする僕らを引き止めたのも金さんだった。奥多摩湖を見下ろす高台の家を見つけてくれたのだ。それからは我が家に向かう坂道をパトカーが時々上がってくることになる。春には奥さんと2日間かけて収穫した山椒の佃煮を土産に訪ねて来てくれた。お菓子には手をつけず日本茶だけを飲みながら、皇族の方々との登山、川苔山(かわのりやま)や天目山(てんもくざん)の悲しい事故、山に捨てられた大蛇との格闘など話題はいつも豊富だった。

当時僕らは毎年1カ月以上の海外登山に出かけていた。その留守番が金さんだった。我が家にはない電子レンジを用意し、小さな犬と共に妙子に頼まれた糠味噌を混ぜながら過ごしていてくれた。そのころ、倉戸山(くらどやま)を登る誰もが気づく有名な案山子、「ゴルゴ14」の制作者も金さんだ。

奥多摩の山野井家の畑を見守ったゴルゴ14(写真=山野井泰史)

奥多摩の山野井家の畑を見守ったゴルゴ14(写真=山野井泰史)

4年前、いつものようにお茶を飲みながら、伊豆に引っ越しをすると伝えた時の金さんの寂しそうな顔を今でも思い出す。引っ越し最後の荷物、重い冷蔵庫を急な階段を下ろしてくれたのは金さんの若い後輩たちだった。伊豆に移住してから金さんには一度も会っていない。でも、あの柔らかに微笑んでいる顔、強風の富士山頂で一緒に過ごした時間、奥多摩駅前の料理屋へ呼び出す電話の声、「気合、気合」と言っている姿を忘れることは一度もなかった。

(文=山野井泰史)

『山と溪谷』2024年5月号より転載)

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