ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く

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全体にたおやかな秩父山地にあって、岩稜を連ねた険しい姿で異彩を放つ両神(りょうかみ)山。秋には錦をまとった断崖が凄みのある美しさを見せる。紅葉の始まったメインルートの日向大谷(ひなたおおや)コースを歩いた。

文・写真=西村 健(山と溪谷オンライン)

山岳信仰の名残を追って

両神山(1723m)は存在感のある山だ。周囲の山よりひときわ高く、険しい岩稜を延ばして異彩を放っている。秩父の山に登れば、その威圧感のある姿は嫌でも目につくし、八ヶ岳などから遠望すると、険阻極まる妙義山にも劣らない威厳ある姿に気づく。中世以降、修験道の行場として栄えたというのも納得の山容だ。武甲山、三峰山とともに秩父三山のひとつに数えられるが、登山の対象として見たとき、両神山の存在感は際立っている。秋の訪れを待って、山岳信仰の道である表参道から剣ヶ峰をめざした。

紅葉シーズンとあって、平日の朝にもかかわらず登山口の日向大谷の駐車場にはすでに数台の車が停められていた。登山届のポストのある民宿両神山荘の前から登山道に足を踏み入れる。秋も半ば、まだ気温はそれほど低くない。薄手のフリース一枚でちょうどいい気温だ。

ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
登山口となる日向大谷の集落

表参道とは、標高1600mほどに鎮座する両神神社そして山頂の剣ヶ峰へと続く道のこと。登り始めるとすぐに鳥居があり、僧の石像がある。これは山麓の両神神社(観蔵院)開基の観蔵行者で、表参道の中興の祖だという。1990年に両神村役場が発行した『りょうかみ双書3 両神山』によれば、両神山の修験道の歴史は中世に遡る。日本武尊の伝説もあり、霊山としての進行自体は古代まで遡れるものだろうが、関東一円で修験道が盛んになった中世末期に両神山にも山伏が定着したらしい。山麓には観蔵院をはじめとする修験寺院が点在し、両神信仰の中核を担ったという。観蔵行者像の横には「令和4年」と記入されたお札が奉納されていた。信仰は現在に至るまで脈々と受け継がれているようだ。

ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
表参道の観蔵行者像

登り始めは人工林が続く。小広い平坦地にベンチが置かれた会所で一息ついて、フリースを脱いだ。会所を過ぎてしばらくすると、周囲の植生は広葉樹林に変わった。薄(すすき)川を何度か渡りながら、沢沿いの山道を登っていく。梢はまだ青々としているが、夏のような濃い緑ではなく、初夏を思わせる薄い緑色をしている。木の葉一枚一枚の中で、来る冬に向けた準備が少しずつ進んでいるようだ。登山道沿いに点在する石像や石碑の多くは江戸時代中期から明治期にかけて建立されたものだという。関東一円に広く信仰されていたようで、ある石像の台座には「江戸築地」の文字があった。二条の清水が流れ出る弘法ノ井戸を過ぎると、ひと登りで清滝小屋に着いた。

ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
石仏が点在する山道を行く
ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
清冽な水が流れる薄川

かつては営業小屋だった清滝小屋だが、今は無人の避難小屋となっている。隣に小鹿野講中の参籠所があるように、ここは信仰登山の宿泊にちょうどよい場所だったのだろう。今では登山口までバスやマイカーで来るのが当たり前で、日向大谷からの登山は日帰りがメインだが、かつては日向大谷までの道のりも、てくてく歩いて来たはずだ。僕たちのように登山口からスタートするのではなく、自宅で草鞋を履いたところから登拝の旅が始まる。点在する山里を通り抜け、山道に入ってここまで登ってきたところで一夜を過ごす。かの田部重治が「山に登るということは、絶対に山に寝ることでなければならない。山から出たばかりの水を飲むことでなければならない」(「山と溪谷」)と書いているように、山に泊まると、不思議と心身とも山に近づいた感覚を覚えるものだ。小屋の前のベンチでおにぎりを頬張りながら、そんなことをつらつら考える。つまり、今回は日帰りで来てしまったが、ここで泊まりたいな、と思ったのだった。

ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
清滝避難小屋

清滝小屋を出て鈴ヶ坂の急登を登り、産泰尾根に乗る。尾根道もしばらく急登が続くが、傾斜が緩んでしばらくすると両神神社が現われた。簡素な社殿の手前には両神神社の眷属の「大口真神」(おおくちまのかみ、山犬=ニホンオオカミ)の石像が一対安置されている。奥多摩の武蔵御嶽神社、三峯神社と同様、ニホンオオカミを神の眷属として敬う信仰はここにもあった。両神神社社殿のすぐ隣には御嶽神社があり、こちらにも一対の山犬像がある。牙を生やした大きな口、大きな目が印象的だが、どこかユーモラスにデフォルメされた石像は親しげで、秩父の人たちがオオカミに抱いていた気持ちがわかるような気がする。

ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
両神神社の本宮
ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
御嶽神社の山犬像

神社のあたりから木々の色が変わり始めた。樹間越しに見える天理尾根が美しい。尾根を登り詰め、主稜線に出るとすぐに大きな岩が立ちはだかる。鎖もホールドもたくさんあるので困難はないが、さすが両神山と思わせる岩場だ。ここを登り切ると剣ヶ峰の山頂。小さな石造りの両神神社奥社のほか、二等三角点や風景指示盤があり、全方位の大展望が広がっていた。秩父の名山・武甲山も見えるし、奥秩父の稜線や浅間山の大きな山体、八ヶ岳も北アルプスも遠望できた。すこし霞がかかっていたが、槍穂の大キレットや双耳峰の鹿島槍ヶ岳など、特徴的な稜線が手に取るように見える。名山は眺望もピカイチだった。

ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
鮮やかに色づいたカエデ
ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
広葉樹林が美しい尾根道
ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
樹間越しに望む天理尾根
ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
主稜線に出ると岩場が現われる
ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
山頂直下の岩場は凹角を登る
ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
大展望の両神山山頂
ルポ・秋の両神山。秩父の紅葉名山を行く
両神山はヤシオツツジが有名。秋は紅葉が美しい

険しい山容で有名な両神山だが、日向大谷からの表参道は難所も少なく、人気の理由がよくわかった。ほかにも危険の少ないコースとして白井差(しらいざす)新道などもあるし、エキスパートには八丁尾根などの高難度ルートもある。季節を変え、ルートを変えて何度も登りたい山だ。

(取材日=2022年10月21日)

MAP&DATA

コースタイム:日向大谷口バス停〜会所〜清滝避難小屋〜両神神社〜両神山〜両神神社〜清滝避難小屋〜会所〜日向大谷口バス停 計6時間40分

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この記事に登場する山

埼玉県 / 関東山地

両神山 標高 1,723m

 際立つ高山ではないが、長い岩稜は鋸歯のようで、四方をめぐる山からもすぐ分かる。  ヤシオツツジの咲く5月は、山中は登山者でいっぱいになり、山頂より八丁峠へたどるコースは大渋滞となる。日帰りも可能だができれば1泊2日の行程にしたい。  両神山は八日見山ともいう。これは日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地に来て、8日間この山を見ながら歩いたという伝説によるが、河田羆は「山嶺伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冊尊(いざなみのみこと)を祭る故に両神の称あり」とその由来を記している。木暮理太郎も『山の憶ひ出』の中でイザナミ・イザナギ二神説を採っている。  森林帯を流れる薄(すすき)川の登山道には、修験道のなごりの霊神碑や石像が多くある。  春は新緑、秋は紅葉が美しい。春、山中に1泊すると夜半にコノハズクの鳴き声を聞くことができる。360度の大展望が広がる山頂は狭いので長居ができないのが残念。山中で展望のよいのは中腹にある両神神社の少し下のノゾキで、ここからは奥秩父連峰がよく見える。またミヨシ岩から大峠に下る山稜からの展望もよい。大峠から中津川に出るルートは山慣れた人にお勧めしたい。出原上から日向大谷を経て両神山へは、4時間10分。

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