父のピッケル/書き手:佐藤徹也 ―私の山道具④

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

かつては「登山家の魂」などといわれたピッケル。山岳部に入った高校生が手にしたのは、長さが80cmもあるウッドシャフトの大物だった。

文・写真=佐藤徹也、イラスト=清水将志

父のお下がり

そのピッケルは、僕が子どものころから物置に放り込まれていた。昔のアルバムには登山姿の父の写真が貼られていたので、父のものだろうくらいは想像できたが、とくにそれ以上の興味を持つこともなかった。

これが再び日の目を見ることになったのは、僕が高校で山岳部に入ったのが理由だ。入部して2カ月後、谷川岳で雪上訓練を行なうことになり、各人ピッケルを用意するようにと言われたのだ。買う余力のある部員は新品を購入、そうでない人間は先輩のお下がりを借りるなどしたが、僕は家にピッケルがあったことを思い出して、それを持ち出すことにした。

今から40年以上前とはいえ、ピッケルのスタイルはすでにメタルシャフト、つまり軸の部分も金属製のものが主流だった。それに対して父のお古はウッドシャフト、木の軸だった。シャフトの長さも80cmとずいぶん長い。当時、シャフトは短いほうが先鋭的でカッコイイという風潮があり、同期の部員が手に入れた新品はどれも60cmにも満たないようなピッケルだった。

ウッドシャフトであることに加えて、やたらに長いその形状から、周囲からは「ツルハシかよ!」とバカにされもしたが、実際、僕はこのピッケルを気に入っていた。そのころもウッドシャフトのピッケルは絶滅したわけではなく、名工と呼ばれるような職人によって少ないながらも手作りで生産されており、もしかしたらこれもそんな銘品なのではと秘かに想像していたのだ。今から考えれば、安月給のサラリーマンだった父がそんなものを買えるはずもないのだが。

長いシャフトは、現実問題として使い勝手もよかった。別にアイスクライミングや峻険なバリエーションルートに挑むわけでもなく、せいぜい雪山での杖代わりやステップ刻み、そしていざというときの滑落に備えるのには、最適な長さだったのだ。

結局、そのピッケルは高校生から20歳台半ば、自分が働いたお金で新しいピッケルを買うまで愛用し続けることになった。

滑落停止に失敗!そして・・・

このピッケルには、一度命を救われたことがある。それは大学生のころだった。友人と積雪期の両神山を西側から登ろうということになって、初日は八丁峠まで登りつめてそこでビバーク。予想以上の積雪に加えてトレースもなく、峠に着いたのは日没直前だった。翌朝も雪は降り続き、出発をしばし見合わせたのち、小康状態になったところでようやく行動開始。八丁峠から両神山の山頂までは無雪期なら2時間少しといったところだ。雪があってもその倍もあれば大丈夫だろうという判断だった。

実際、峠までの沢伝いの道にくらべれば稜線上の積雪はそれほどでもなく、ときおり現われる急な登降にさえ気をつければ問題はないはずだった。

しかし。

僕はここで稜線から滑落した。疲労からペースが遅れ始め、友人とはやや距離が開いたときだった。それが雪庇だったのか、あるは尾根際の草木に積もった雪だったのかは判然としないが、みごとに踏み抜いて落下。反射的に滑落制動をかけようとピッケルを打ち込んだが、露岩の壁面にはほとんど雪はついておらず、ピッケルのピックはいとも簡単にはじき返された。そのときピックを跳ね返した岩から激しい火花が散ったように見えたのだが、今考えれば記憶の捏造かもしれない。

はじかれたショックでピッケルは僕の手を離れ、まさにバンザイ状態で完全に空中へ投げ出された。「やばい!」と思ったが、もはやどうしようもない。周囲の光景が次から次へと、めまぐるしく切り替わっていく。

だが次の瞬間、僕の腕が突如なにかに引き留められた。ほとんど宙づり状態である。なにごとが起こったかと見上げてみれば、僕の手首に巻かれていたリーシュ(当時はピッケルバンドと呼んだ)がピンと張りつめ、僕の全体重を支えている。そしてその先では、崖から生えた樹木の幹にピッケルがかかっていた。

どうやらはじき飛ばされたピッケルが偶然木にからまり、そこから延びたリーシュが命綱となって僕をつなぎ止めてくれたようだった。必死でその木をつかみ、それを足場にして稜線に登り返す。安全な雪の上に座りこんでからも、しばらくは全身の震えが止まらなかった。先行する友人もすでに見えない距離にいた。

結局、そんなアクシデントもあり、また岩稜帯のアップダウンに予想以上の時間をくい、その日も両神山へはたどり着けず、手前の東岳山頂あたりで再びのビバーク。無事に下山したのはさらに翌日のことだった。自分の滑落停止技術はなんの役にも立たず、たまたまピッケルが引っかかってくれた幸運、そしてリーシュをしっかり腕にセットしておいたことが命を救ってくれたのだった。

その夜、友人とふたりでツエルトにこもってからも、僕はなぜか自分に起こったことを話せなかった。もちろん恥ずかしいという気持ちもあっただろうが、話すことでそれが本当にあったのだと実感させられるのが怖かったのかもしれない。

それから数十年経ち、さすがにそのピッケルは埃をかぶるがままになっていたが、今回、いいきっかけだと引っ張り出してみた。現在では「お古」から「形見」に格上げとなったこのピッケル。せっかくなので積雪期の奥多摩あたりを歩くときにでも出番をつくってあげようか。でもそのためには、ウッドシャフトにアマニ油をたっぷり塗って手入れしてあげないといけないな。そして、あれれ、そもそも現在も山道具屋にアマニ油なんて売ってるんだろうか。

プロフィール

佐藤徹也(さとう・てつや)

アウトドア系旅ライター。徒歩旅行家。国内外を問わず徒歩を手段にした旅を続け、サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼路中「ポルトガル人の道」「ル・ピュイの道」を踏破。近年はアイスランドやノルウェイなど北欧のクラシック・トレイルを歩くほか、地形図をにらみながら国内近郊の徒歩旅スポットも開拓中。著書『東京発 半日徒歩旅行』シリーズ(ヤマケイ新書)は京阪神版、名古屋版など計4冊を数える。最新刊は『東京近郊徒歩旅行 絶景・珍景に出会う』(朝日文庫)。

私の山道具

お気に入りの山道具、初めて買った登山ギア、装備での失敗談・・・。山道具に関する四方山話を紹介します。

編集部おすすめ記事