行程・コース
天候
晴
登山口へのアクセス
電車
その他:
【往路】西武バス昭和病院前バス停(07:51)・・・国鉄中央線武蔵小金井駅(08:25)・・・高尾駅(09:05)・・・京王高尾線高尾山口駅
【復路】国鉄中央線高尾駅(18:30)・・・武蔵小金井駅(19:32)・・・西武バス昭和病院前バス停(19:44)
この登山記録の行程
京王高尾線高尾山口駅(09:20)・・・高尾山ケーブルカー清滝駅(09:25)・・・高尾山薬王院(10:10)・・・高尾山(10:25/11:00)・・・途中で昼休・・・一丁平・・・小仏城山(12:05/12:10)・・・小仏峠(12:45)・・・景信山(13:25/13:35)・・・堂所山・・・杉ノ丸・・・小下沢野営場(17:00)・・・国鉄中央線高尾駅(18:30)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
【回想】早朝は一面雲に覆われ、わずかな隙間から太陽が覗く程度の天候だった。自宅を7時19分に出発したがタコ選手の遅刻やバスを乗り損ねるなどあり、序盤から予定より遅れる展開となった。高尾山口駅から高尾山の1号路を登る。登山口にある大きな石標の前で記念撮影をし右手のアスファルトの道を一歩一歩進んだ。1号路の勾配はなかなかきついものがあったが、途中、今年1月に登った八王子城山を望める城見台で展望を楽しんだ。
薬王院を経て高尾山山頂に立った時には予定時刻を上回り序盤の遅れは帳消しになった。山頂は人でごった返していたため、おみやげ(記念品)のみ購入、すぐに出発した。一丁平の少し先で昼食を摂り、小仏城山到着は正午すぎ。ここでは大学生たちが「クリーン作戦」と称して集団でゴミ拾いに精を出していた。小仏峠では茶屋で小休止し無料でお茶をごちそうになった。お茶をごちそうになったので何か買わないと悪いかな?と思ったが買えるものがなく御礼を言って立ち去った。「おばさん、どうも」と伝えると「この道をまっすぐ行くんだよ」と教えていただいた。隣の売店には安い地図があったので購入、峠を後にした。
秋の行楽シーズンのせいか、景信山までの道は最も人の往来が激しく、すれ違う人たちと挨拶をかわすのが大変だったが、見知らぬ人が笑顔で返答してくれるのはとても心地よいものだ。山を愛する人は皆いい人ばかりだなと感じた。相模湖方面の眺めの良い場所では初老の男性と数分間会話を楽しむ場面もあるなど、他のハイカーと交流しながら景信山に到着した。財布の中身も少ないので何も買わなかったが、山頂の売店には「ヘビの瓶詰め」などが置かれており何とも恐ろしい代物だった。景信山から先もハイカーは多くすれ違いざまの挨拶は続けられた。裏高尾山稜を進むと堂所山手前に分岐がある。行程どおり真っすぐ進めば明王峠・陣馬山方面を進むコース。右手の道は堂所山頂を経て北高尾山稜を八王子城跡方面へ進むコースになる。タコ選手と相談、悩んだ末に出した結論は北高尾山稜を八王子城跡方面へ進むという決断だった。
樹林に覆われた堂所山からの尾根道は自分たちの背丈より高い雑草が生い茂り、行く手を遮るヤブの道だ。途中”キジを撃ち”にいったが人生初のヤブ漕ぎはここからが本番。人気のない道を進んでいくと3人の登山者と出くわし、堂所山までの距離を聞かれた。前の3人を追うように再び3人組とすれ違った。しばらくすると「君たち!」と呼ぶ声が聞こえ、我々を呼んでいるのだろうと声のする場所まで引き返した。すると「非常食は持っているのかね?」と問われ、「いや、持っていません」と応えると、「それなら少し分けてあげよう」と梨、菓子、海苔巻きなどの食料と飲料水をいただいた。また「どこまで行くんだ?」と聞かれ、「城山(八王子城跡)まで行きます」と応えると、「5時(17時)までに下山しないと危ないぞ!」とのご助言をいただいた。この一言はとても印象的で我々の頭にしっかりインプットされた。40歳代くらいの男性2名、女性1名の方々は本当に親切で感謝の言葉しかない。何度も御礼を言いその場を去った。しばらくすると今度は家族連れの4人組と出くわした。ご夫婦と中学生と思われる姉妹ですれ違いざまに挨拶を交わした。「こんなヤブ山に家族で来ているんだ」と驚くとともに、こんな場所で同年代の素敵な女の子に出会えたという感動にしばし浸りながら歩き続けていたが、その後は人に会うこともなく日は西に傾き、山の端に隠れてしまい日陰だけになった尾根道は急に薄暗くなってきた。
目前の道は2つに分かれている。一方は八王子城跡方面に違いないが、指導標は曲がっておりきちんとその方向を指し示していない。それどころか文字は消えており、おまけに落書きもされていて判別できない。どうやら道に迷ってしまったようだ。不安が募る。特にタコ選手は「早く下山しなきゃ!」と焦りの表情を見せている。小学校からボーイスカウトに入っているからこそ山の怖さを知っているのだろう。先ほどの親切な3人組の方々からの忠告「17時までに下山するように!」の声が再び蘇る。肝に銘じたこの一言が我々の背中を押してくれた。「ダメが元々、山中を彷徨うより一か八かこの道を下ろう!」と右手の下る道を選んだ。いまが16時45分、あとは17時までに一目散に下るのみだ。山の怖さを知っているタコ選手のすさまじい下り方には感心するばかり。「まだこれほどのエネルギーが残っていたとは!」その姿を後ろから眺め思わず吹き出してしまった。暗闇と化しつつあったスギ林を夢中で駆け下りたところ、下の方が明るくなってくるのがわかった。下り立った場所は小下沢野営場、林道終点にあるキャンプ場だ。時刻は17時2分、”天の声”ともいうべき3人組ハイカーの金言に救われたとしか言いようがない。野営場の広い敷地には白い車が1台。中を覗くと人が1人いた。高尾駅はどっちの方向かを伺い教えてくれはしたが、その人は車内でひたすら玉ねぎを切っていた。薄気味悪いのですぐにその場を後にした。
下山したとはいえまだ山中から解放されたわけではない。林道の脇には小下沢の流れが下流へと続いておりまだ人家らしきものは見当たらない。砂利道を進むと正面から騒々しい車が猛スピードでこちらに向かってきた。乗っているのは若いイカれた6人組で我々に手を振りながら野営場方面へ走り去っていった。車窓からはみ出している人もいて実に危ない行為だ。しばらくすると同じ車が戻ってきた。また手を振りながら走り去ったが、今度はあやうくこちらが轢かれそうになった。相手の心配をするより、自分たちの身を心配する方が先だったようだ。今なら一発で御用になっている蛮行といえるだろう。
静けさが戻ったところで3人組ハイカーからいただいた菓子、海苔巻きを山分けした。歩き続けるとやがて中央自動車道の橋脚が見えてきた。安堵感が漂う。旧甲州街道に出た頃にはすでに夜の帳が下りており、街灯もままならないこの辺りは闇と化していた。疲労もピークに達し日影バス停ではしゃがみこんでしまった。それでもバスは来ないので仕方なく歩きはじめた。マス釣り場を横目に摺差まで行くと売店があり公衆電話から自宅に無事下山を連絡。タコ選手が連絡している間に売店の高齢の女将と10分ほど会話をする。夕飯時で疲れ切った我々を憐れに思ったのか、女将は売り物のパンを下さった。御礼を言うと「うちの孫もどこで誰にお世話になるかわからないから、今のうちに人に親切にしておかなきゃね!」とおっしゃっていた。昭和時代の、古き良き人情に数多く触れることができた一日は、こうして静かに暮れていった。