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東京裏町アルプス拾遺06(目黒〜世田谷南部の登り残し)

碑文谷殿山、諏訪山、愛宕山、大音寺山、大平砦跡、雪ヶ谷八幡神社、鵜木大塚、大山(田園調布せせらぎ公園)、喜多見氷川神社、かなくそやま、稲荷塚古墳、喜多見須賀神社、第六天塚古墳、下野田山、砧大塚(砧公園公園)( 関東)

パーティ: 1人 (目黒駅は品川区 さん )

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行程・コース

天候

登山口へのアクセス

その他
その他: 往路:自宅→徒歩→イオンスタイル碑文谷

復路:用賀→田園都市線→二子玉川→大井町線→大岡山→目黒線→武蔵小山

この登山記録の行程

イオンスタイル碑文谷11:49→碑文谷殿山11:52→都立大学駅12:06→東横線→自由が丘駅12:15→奥沢駅12:22→諏訪山12:24→愛宕山12:30→大音寺山12:34→大平砦跡12:43→石川台駅13:07→雪ヶ谷八幡神社13:10→雪が谷大塚駅13:23→鵜木大塚13:30→大山(田園調布せせらぎ公園)13:44→多摩川駅13:53→田園都市線→武蔵小杉駅14:00→南武線→登戸駅14:28~35→小田急線→喜多見駅14:48→喜多見氷川神社15:12→かなくそやま15:23→稲荷塚古墳15:28→喜多見須賀神社15:32→第六天塚古墳15:33→下野田山16:22→大蔵運動公園16:32→砧公園公園16:40→砧大塚16:56→用賀駅17:18

合計3時間27分(電車移動時間を入れると4時間29分)

コース

総距離
約31.5km
累積標高差
上り約146m
下り約140m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

11月23日(土)は、1日中雨だったので自宅から近い世田谷周辺の登り残しを、途中電車を使ったりして行ってきました。

スタートは碑文谷のイオンスタイルです。その昔お洒落なスーパーとして一世を風靡した碑文谷のダイエーがあった場所で、ダイエーが撤退した後イオンになったんだけど、イマイチパッとしません。ここの前の目黒通りを渡ったところにゴルフ練習場があって、このあたりを「碑文谷殿山」言うらしいです。すぐ裏に東急東横線の切通しがあって、その上の橋からの眺めが良いです。でも雨で遠くが全然見えない…。

目黒通りに戻って都立大学駅に向かい、一駅電車に乗って自由が丘で降ります。天気が良ければ歩くところなんですが、今日は雨なので無駄な歩行はなるべく避ける予定。

自由が丘からすぐ近所の奥沢駅まで歩きます。奥沢駅の東側の周囲に対してやや高台になっているあたりを「諏訪山」と言うらしいです。たぶん諏訪神社や何かあったんだろうけど、今は何もない住宅街の中です。

諏訪山から南東方向に一旦下って登り返すと「愛宕山」です。ここも住宅街の中なんですが、東側にやや展望があります。

愛宕山からもう一度下って登り返した場所が「大音寺山」です。ここは大音寺という浄土宗の寺があり、東側に呑川の谷があるので大岡山方面の眺めが良いです。

大音寺から再び愛宕山の尾根に戻り、少し南側に行ったところにある奥沢小学校の辺りが「大平砦跡」です。九品仏にあった奥沢城の砦があった場所で、奥沢城もその上司の世田谷城もすぐに陥落したので、ここもあっという間に陥落したんじゃないかと思います。

大平砦から石川台の駅前にある「雪ヶ谷八幡神社」に向かいます。ここは山じゃないんですが、切り立った崖の上にある山のような気になる神社です。

石川台から隣の雪が谷大塚まではあまりに近いので歩きます。雪が谷大塚駅前の中原街道を渡って少し裏町に入った場所にあるのが「鵜木大塚」です。都内の住宅街に古墳の塚がそのまま残っているのって公園の中とかでなければ稀なのですが、ここは高さ3~4mの塚しっかり残っていて、上にお稲荷さんが祭られています。すぐ前の調布大塚小学校の名前にも使われています。

鵜木大塚から環八を渡って「田園調布せせらぎ公園」に向かいます。ここはかつての「多摩川園」の跡地で、まだ完全に整備が終わってないのですが、多摩川の河岸段丘の自然を生かした無料の公園として解放されています。ここが多摩川園だったころ、山頂付近から下に下る長い滑り台があって、山頂付近のことを「大山」と呼んでいたらしいです。

多摩川園を上から一回りしたら、多摩川駅から東横線に乗ってこの間水没した武蔵小杉で南武線に乗り換えて登戸まで行き、腹が減ったので大昔からある伝説の立ち食い蕎麦屋で登戸名物「とんかつ蕎麦」を食べ、さらに小田急線で喜多見まで行きます。

たいした距離じゃないのに、喜多見は準急すら停まらない見捨てられた駅なので、乗り継ぎ悪すぎで1時間近くかかったぞ。小田急の馬鹿ぁ~!

しかし喜多見駅で降りて少し歩いたらその理由がわかりました。喜多見は練馬の辺境を凌ぐど田舎だった!畑やとれたて野菜の無人販売所たくさんあるのは当然のことながら、現役バリバリの庭先に耕運機が転がってるような農家があっちにもこっちにもあるし、東京23区とは思えないのどか過ぎる田園風景が広がっていたのでした。外国人観光客を呼べるんじゃないかと思えるレベル!

そののどかな田園風景の中に杉並の大宮八幡神社といい勝負の広大な鎮守の森を擁してたたずんでいる神社が「喜多見氷川神社」です。解説板を見ると徳川家の庇護があつかったとか書かれているんですが、とにかく不自然なぐらい立派なのでそれだけじゃない気がします。

喜多見氷川神社の次は今日一番気になっていた「かなくそやま」に向かいます。ここは鵜木大塚とおなじような塚なのですが、廣田さんという元農家っぽい今誰も住んで居なさそうな、庭が通路として開放されている家の庭にあって、場主柄原型を留めた形で保存されていました。名前の由来はこの地に住んでいた鍛冶屋さんが金属の屑を捨てていたのが塚になったと言われていますが、実際のところはわかりません。

かなくそやまの次は「稲荷塚古墳」に向かいます。ここも田園地帯らしく保存状況は良好で、公園になっています。

稲荷塚古墳の次は「喜多見須賀神社」に向かいます。さっきの氷川神社が立派だったのでここもさぞかし立派だろうと思って行ったら、かなり寂れた感じのお堂のような場所でした。でも神社の建っている少し高くなっているところは「天神塚」という古墳で、すぐ裏には「第六天塚」という竹林に覆われた別の古墳もあります。

氷川神社と須賀神社は共にスサノオノミコトを祀る洪水来ないでよ系の神社なのですが、氷川神社は稲作に関係の深いアマテラスオオミカミも合祀することから稲作農民の神社、須賀神社は牛頭天王を祀ることから稲作以外の職業を生業としているつまり比差別民の神社と言われていますが、実際は途中でゴッチャになってどっちもどっちになっています。

喜多見の須賀神社のもう1つ気になる「宇奈根氷川神社」というのがあるので、そこにも行ってみます。ここは喜多見の氷川神社や須賀神社のあるエリアよりもう少し低い場所、つまり洪水に合いやすい場所にあって、洪水で流されたここの人たちが世田谷通りの上の方に移住して「宇山」という集落を作ったと言われているからです。

ただ行ってみた感じだと、それほど低地という感じの場所ではなく、洪水を避けられる程度の高台にはなっているので、移住したのは高台に住めない小作の人たちとかそんな感じだったのかもしれません。なお神社は須賀神社同様、鎮守の森が切られて結構寂れた感じでした。

次に向かう「下野田山」は、野川と仙川に挟まれた狭い尾根の突端で、両側は川に削られて崖になっています。なので眺めは非常に良いのですが、山頂付近がマンションの私有地になっているのが珠に傷です。

下野田山から野川を渡って対岸の林の上にある大蔵運動公園に登ります。広い陸上競技場なとがあります。ここから高速道路沿いに進み、夕暮れが迫る砧公園へと入って行きます。駅伝で有名な駒沢大学が練習で使っている場所。この中にある「砧大塚」という古墳が本日最後の山です。公園東側の正門近くにあるのですぐにわかったのですが、時既に遅しで真っ暗になっていたため、真っ黒な写真しか撮れませんでした。

砧公園の正門を出たら、用賀駅に向かいます。用賀駅は二子玉川の1つ手前の何もない駅だったのですが、超久しぶりに行ってみたら、駅の上にタワーマンションが建ち、駅周辺はショッピングモール化していました。

砧公園のそばということで、運動帰りの人たち目当てにスーバー銭湯ぐらい出来てるんじゃないかと検索してみたら、さすがにそこまではなかったので、日も落ちたことだし、諦めて帰りました。

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