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中野島~生田~溝の口

中野島稲荷神社、土渕不動院、生田ふれあいの森、五反田神社、春秋苑墓地、大山道道標、諏訪社、大山講灯籠、菅生神社、白幡八幡大神、上作延市民農園、宮崎大塚古墳、上作延神明神社、赤城神社、身代り不動尊、下作延神明神社、久地神社、久地円筒分水、溝の口神社( 関東)

パーティ: 1人 (目黒駅は品川区 さん )

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行程・コース

天候

快晴

登山口へのアクセス

電車
その他: 往路:武蔵小山→東急目黒線→大岡山→東急大井町線→溝の口/武蔵溝ノ口→南武線→中野島

復路:溝の口→徒歩→溝口温泉 喜楽里→牛骨らーめん牛王→武蔵新城→南武線→武蔵小杉→東急目黒線→武蔵小山

この登山記録の行程

中野島駅6:20→中野島稲荷神社6:28→土渕不動院6:47→生田ふれあいの森(生田配水池)6:53→生田駅7:11→五反田神社7:17→春秋苑墓地7:31~41→大山道道標7:52→諏訪社7:59→大山講灯籠8:23→菅生神社8:28→白幡八幡大神9:00→上作延市民農園9:41→標高最高地点49m9:55→宮崎大塚古墳10:03→上作延神明神社10:12→身代り不動尊10:24→赤城神社10:36→下作延神明神社10:46→久地緑地11:03→久地神社11:13→久地円筒分水11:16→久地不動尊11:19→溝の口神社11:36→溝の口駅11:42

合計5時間22分

コース

総距離
約21.2km
累積標高差
上り約499m
下り約505m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

11月28(土)は、先週の青葉台~十日市場に続き、まだ行ったことのなかった生田駅から生田緑地(枡形山)の南側を通って溝の口まで歩いて来ました。

ここいらは、溝の口や登戸などの多摩川を渡ってすぐの大きな街と奥の新百合ヶ丘やたまプラーザのような山まるごと造成して造られた大規模な新興住宅地に挟まれた中途半端な形でしか開発が進んでいないエリアで、特にたいした物はないんですが、小さな住宅地の間に農家や畑や森が点在するなかなか牧歌的な良い場所です。

コロナで都心から少し出て、土地借りて家庭菜園やるには穴場かも。ただ開発が中途半端で道が狭かったり坂の傾斜がキツかったりするのが難点。

出発は生田駅でも良かったのですが、どうせなんで南武線で未だ降りたことのない「中野島駅」からスタート。中野島は読んで字の如しで、かつては多摩川の中洲だったらしいです。

駅の近くに「中野島稲荷神社」という近隣の小さな神社を合併して村の鎮守となった神社があるので寄って行きます。合併した中に「河除稲荷社」という二ヶ領用水の氾濫防止のための神社が含まれており、中野島稲荷神社自体も多摩川の堤防を洪水から守る為に造られた神社なのではという説をとなえる人もいるようです。

続いて多摩丘陵の崖下にある「土渕不動院」に向かいます。ここは瀧本山と称していることから、昔は瀧行が出来るような瀧があったんじゃないかという気がします。

土渕不動の上にあるのが、「生田ふれあいの森」で、「生田配水池」の周囲に残された森の一部を散策可能にした場所です。高台なので東京方面の眺めが素晴らしいです。反対側からは丹沢も見えます。

生田ふれあいの森から「五反田川」沿い谷間に降り、「生田駅」を越えて対岸の「五反田神社」に登ります。ここは鎌倉時代に創始されたと云い伝えられている古社で、江戸時代までは山王社と称していたが、たぶんそれじゃ神社本庁の審査に通らなかったので、明治元年に八雲神社と改称。その後小田急線の工事で昭和34年、「大作杉山社」を合祀して、現行の五反田神社と改名したそうです。

続いて「春秋苑墓地」へ。ここは先週の早野聖地公園ほどの規模はないのですが、裏に緑地のようなものがついている散策可能な墓地です。山頂の鐘衝堂からはぼ360度の大展望。100.8mの三角点もあります。

春秋苑墓地から、南側の「平瀬川」沿いに下ります。この川沿いには昔、大山道が通っていたらしく、「大山道道標」「大山講灯籠」があります。また途中に「諏訪社」という参道が長い神社があるのですが、ここは枡形城の裏鬼門を守る神社で、昔はこの参道で農耕馬を競わせる競馬が行われていたらしいです。

さらに「菅生神社」へ。ここは後で行く「白旗八幡大神」の分霊を奉斎して創建された、下菅生村鎮守社で、明治に入って例のように近隣の他十社を合併して菅生神社と改称したとのこです。

ちなみに「生田」の語源ですが、菅生神社がある菅生村と五反田神社がある五反田村が合併した時にお互いの最後の文字を組み合わせて生田としたそうです。どうせなら反菅の方が良かったのに。

そして「白幡八幡大神」です。源頼義が勅命を受けて安倍頼時征討の途次、鶴岡八幡宮に戦勝を祈願し、鎌倉から10里毎に幣を立てた最初の場所で、凱旋時に幣を立てた地に八幡宮を勧請したのが始まりとされる神社で、その後、頼朝の正室政子の妹を妻に迎えた稲毛三郎重成が、桝杉山に枡形城を築城してこの地の領主となったため、稲毛荘の総鎮守となったとのことです。裏に小山を背負った東向の見晴らしの良い場所にあります。

次は「上作延市民農園」というものが高津区のハイキングコースに載っていたので行ってみます。この辺結構農地が多いのでさぞかし広い畑が広がっているのだろうと思っていたのですが、宅地化が進み過ぎて、住宅街の中に小さな畑が残っているだけでした。

その少し先の「標高最高地点49m」も何も無し。

次は「宮崎大塚古墳」に向かいます。これは農家の庭先にある径25m、高さ5.5m方墳で、私有地なんですが南側に登る階段があり、見学可能です。墳頂には馬絹大塚供養塔と書かれた石碑と48.5mの水準点があります。なお発掘調査はされていないため、塚なのではないかという説もあります。

次は「上作延神明神社」へ。ここは、昔は上作延の人達は「赤城神社」の氏子であったが、寛文の頃、伊勢講を中心とする人達が同神社の氏子から離脱して、新しい神主を迎えて始めた神社らしいです。溝の口周辺には赤城神社由来の神社が他にもあるので追々。

続いて「身代り不動尊」です。ここは名前だけ見ると小さなお堂があるだけの場所に思えるのですが、予想に反して、新興宗教の本部のようなきらびやかな巨大な寺院です。由来は、元禄年間、荏原郡に悪疫が流行した際に、祐天上人という方が自ら護持する不動尊像を土民に与え、信心をすすめたところ、悪疫はしずまったというところから始まっているらしく、真言宗らしいです。当然のことながらコロナで沢山の人がお参りに来ていました!

そして「赤城神社」です。ここは元は第六天神社だったらしいのですが、稲毛重成が赤城山の霊夢を見たので磐筒雄命を奉じて、社名を赤城大明神と改称し、近隣十七郷の氏神と尊称されていたものの、現在は三田筑後守の末裔が中心として奉祀しているだけということで、さっきの上作延神明神社はここから離反したように見えるのですが、また他にも赤城系神社があります。

その前に「下作延神明神社」へ。ここは神明社へ牛頭天王社・五郎社(御霊社)、を合祀した神社で、特に赤城神社についての言及はありません。ただ眺めは良いです。

そして一旦下って、平瀬川を強引にねじ曲げて、山に穴を掘って向こう側に流したトンネルを確認した後、「久地緑地」に向かいます。ここは例によってボランティアによって整備されている緑地で、結構広いのですが、下が道ではなくマンションなので通り抜けが出来ないのが難点。

しょうがないので、大回りして「久地神社」に向かいます。ここも「赤城神社」と称していた神社で、毘沙門天・財を司る弁財天を祀っていたが、神仏分離令で、この2つを寺に返し、天照大御神を主祭神とし、村内の伊勢宮と富士浅間社を合祀して、久地神社と名を改めた神社だそうです。現在は溝口神社が監理しており、名前から宝クジ等の当選を願う人にも信仰をされているとのことです。さっきの赤城神社との関係が気になるところですが、神主さんがいないことには…。

久地神社の奥の谷間のどん詰まりに「久地不動尊」というのもあるので、そちらにも行ってみます。ここは元々、東京浅草の吉原にあったらしいんですが、不動明王の「静かな場所に移せ」とのお告げを受け、久地の地に移ったとのこと。移転の前に関東大震災がおこり、寺は全焼したが、不動明王は自ら古井戸に飛び込み難を逃れたらしいです。参道途中の弁天池は、雨乞いの池として信仰されたとのこと。

久地神社と久地不動尊の入口にさっきトンネルに入った平瀬川の出口があり、それが二ヶ領用水と交わる場所にあるのが「久地円筒分水」です。これは用水をめぐる水争いが絶えなかったため、平瀬川の改修に伴い、農業用水を正確な比率で分水する装置として、昭和16年、サイフォンの原理を応用して円筒の円周比により4つの堀に分水する、当時の科学技術の粋を集めた装置とのこです。地元の観光名所らしく、頻繁に人が訪れていました。

そして最後に「溝口神社」に向かいます。。ここも赤城神社で、宝永5年、禅宗の日清という僧侶が赤城大明神の造営をしたことが始まりだそうで、大山道の溝口宿近在の村々の総鎮守として「赤城社」と称していたらしです。毘沙門天、弁財天の男女ニ神を神体として祀っていたのですが、神仏分離令に従って神像を裏の宗隆寺に移し、溝口村、高津村、下宿、中宿、片町、六間町、六番組を統合し伊勢皇神宮より分霊を奉迎して御祭神を改め、溝口神社と名称を改めたとのことです。さあ益々わからなくなってきましたが、要は溝の口周辺で赤城神社を巡る争いが過去に勃発して、幾つかに分かれたってことなんでしょうね。平瀬川が流路を変更せざるを得ないぐらい頻繁に氾濫していたらしいので、人間関係以外にそれも要因の1つになったかもしれません。

溝口神社から溝の口駅はすぐなので、駅に着いた時点で終了です。ここから今日は以前1度行ったことのある「溝口温泉 喜楽里」に向かいます。溝口温泉といっても武蔵新城に近い場所にあるでバスを使った方が便利なのですが、時間が早いので30分歩きます。喜楽里はあまり塩気を感じない黒湯の弱アルカリの日帰り温泉で、温泉は同じ武蔵新城にある銭湯の千年温泉の色を若干薄くした感じです。料金は土日1030円。銭湯の倍ですが、日帰り温泉なので露天風呂も広く、サウナもドライとミストの2種類あり、ゆっくり入っていられます。コロナの感染者が増えているわりには結構混んでいました。

喜楽里で汗を流したら、武蔵新城駅に向かいます。駅に着いたら、この間から気になっていた北口の「牛骨らーめん 牛王」という店に行って昼飯にします。ここは名前の通り鶏や豚ではなく牛骨でスープをとったラーメンの店です。牛のラーメンというのは豚に比べてあまりコクがなくアッサリしているのが特徴なので、そのような物を想像していたのですが、出てきた物は横浜家系並にコッテリしたラーメンでした。豚を混ぜてコッテリ感を出しているのかな~と気になったので帰りに調べて見ると、豚は一切混ぜておらず100%牛のスープとのことで、ただステーキを意識してオリジナルのステーキソースをブレンドしているとのことでした。そういえばラーメンの上にニンジンや刻みトマトが乗っていて、どことなくステーキっぽいレイアウトでした。ちなみにチューシューも薄く切ったローストビーフです。牛のイマイチ感を克服した結構美味しいラーメンだったので、都内の中目黒あたりだと芸能人が来る有名店になって長い行列が出来てそうな店だったのですが、激戦区とはいってものローカルな武蔵新城にあるせいか、学生で混んでいる程度だったのがちょっと勿体ない気がしました。

川崎市高津区:下作延・上作延コース
https://www.city.kawasaki.jp/takatsu/page/0000084677.html

川崎市高津区:円筒分水と久地不動尊コース
https://www.city.kawasaki.jp/takatsu/page/0000091408.html

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