• このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 参考になった

三ツ山城跡~三等三角点浄法寺~八塩温泉郷バス停

根古屋集落、三ツ山城跡(411m)、三角点浄法寺(595.4m)、八塩・桜山コース、鬼石弁天山、御倉子神社( 関東)

パーティ: 1人 (目黒駅は品川区 さん )

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 参考になった

行程・コース

天候

曇り

登山口へのアクセス

バス
その他: 往路:目黒→山手線→池袋→埼京線→赤羽→高崎線→新町→日本中央バス上野村行→浄法寺

復路:八塩温泉郷バス停(日本中央バス)→徒歩→新宿バス停→朝日バス本庄駅南口行→丹荘→八高線→高麗川→〃→拝島→青梅線→立川→南武線→武蔵小杉→東急目黒線→武蔵小山

この登山記録の行程

浄法寺バス停7:20→根古屋集落(215m)7:50→320m平坦地8:20→稜線(400m)8:34→鞍部(380m)8:37→三ツ山城跡(三ツ山南峰411m)8:42→三ツ山中央峰(405m)8:47→三ツ山北峰(390m)8:53→三ツ山南峰9:02~10→410m鞍部9:17→530m平坦地9:44→三等三角点浄法寺(595.4m)9:56~10:05→590mピーク(分岐右へ)10:19→525m鞍部10:21→580mピーク10:28→571mピーク(西から南への曲がり角)10:30→580mピーク210:39→地図にない林道10:41→八塩・桜山ルート合流(500m)10:55→登山道入口10:59→山の神(516m)11:06→鬼の踊り場(525m)11:16→鬼石弁天山(362m)11:38~45→御倉子神社(230m)11:59~12:05→八塩温泉郷バス停(135m)12:21

合計5時間1分

コース

総距離
約9.7km
累積標高差
上り約741m
下り約731m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

4月27日(土)は、ゴールデンウィークなのですが、また藤岡市の山城の続きで「三ツ山城跡」に行って来ました。天台宗の名刹「浄法寺(浄法寺城跡)」の裏山にある山城で、浄法寺城や金鑚御嶽城と近接しているため、「浄法寺城砦群」の1つと見なされているそうです。築城者は南北朝時代の「浄法寺左近大夫」といわれています。浄法寺氏は高山氏の一族の小林重清の息子である「三郎次郎重保」が、浄法寺地区を本貫として浄法寺氏を名乗ったのが始まりとされ、高山・小林一族、安保氏らと共に他の武士団とは反対の北朝足利方についています。その後、室町時代に入ると、この地は山内上杉家家宰の「平沢氏」が治めることとなります。平沢氏は、武田の侵攻で御獄城が落とされると、武田の配下に入り、「長井」に名を改めます。元亀2年に武田家と北条家に同盟が成立されて御嶽城が北条方に引き渡されると、長井氏は玉村に所領を与えられ、そちらに移ります。本能寺の変後は滝川一益に従いますが、一益が北条氏に敗れて敗走すると、北条氏には従わずに越後国に落ち延びて上杉景勝の配下になり、天正18年に北条氏が滅ぶと、浄法寺城城主に返り咲いています。そのまま関東に進出してきた徳川に従うこととなりますが、家督を譲った「三ツ山右衛門(信実、実久)」が妻子を江戸に差し出さなかったため改易となり、この地は藤岡城の「芦田(依田)氏」が収めるようになりました。

このような感じで、浄法寺城や金鑚御嶽城は頻繁に所有者が代わり、その度に増改築を繰り返していたため、「三ツ山城」も同様と考えられ、必ずしも浄法寺氏がこの地を支配していた時代に造られたものが残っているとは限りません。それと三ツ山城は高山社を見下ろす場所にあるため、浄法寺城の詰めの山城というだけでなく、谷の対岸にある高山城と共に平井城への敵の背後からの侵入をを監視する役目を担っていたとも考えられます。

新町駅からいつもの上野村行の日本中央バスに乗り、「浄法寺バス停」(125m)で降りたら、真っ直ぐ西側の山に向かって進みます。しばらく行くと道は「上武CC浄法寺コース」の中を通るようになり、ゴルフ場を抜けると「根古屋集落」(215m ※現在の住所は浄法寺)に着きます。根古屋(寝小屋)というと一般的には城主の平時の居館を意味するのですが、この城の場合麓に居住性能が良さそうな浄法寺城があるため、ここには上の三ツ山城で敵の動きを監視していた兵士の宿泊所があったのではないでしょうか。上とは違ってここなら水が得られるので、下で寝泊まりしながら交代で三ツ山城に詰めていたと考えるのが合理的です。

三ツ山城に直接上る尾根は最後の傾斜がきつそうなので、「道祖神の石碑」のある場所から、畑の脇を通って南側の鞍部(380m)に上る尾根を上ります。畑の真ん中に害獣除けのためにやたら人なつっこい犬が飼われているので注意が必要です。

畑を抜けて尾根に取り付きます。最初は急坂ですが、猪や鹿などの害獣さんたちがジグザグに道を刻んでくれているので、それを利用してよじ登ります。

尾根の傾斜が弛んだら、バスを降りたときに小雨が降っていたため着けたザックカバーと傘を片付け、代わりに斜面よじ登り用のトレッキングポールと薄手の軍手を出して準備を整えます。

そのまま多少登りやすくなった尾根を登っていくと、取り付きから約100m登った320m地点で一旦平坦地に出ます。平坦地を過ぎるとまた急坂が始まりますが、それは長く続かず、途中から鞍部に直接向かう斜めの道が出てくるので、トラバースしていくと、三ツ山城跡の手前の430mピークの途中の400m地点で稜線に飛び出します。鞍部へは20mほど下ります。

鞍部から三ツ山城跡に向かって登っていくと、山頂手前にまず堀切があります。堀切を越えた先が「三ツ山城跡」(411m)です。根古屋から途中の準備休憩を除いて約45分かかりました。標識のような物は何もないいかにもバリエーションルートといった山頂です。地図では北に平坦地が続いているのでとりあえずその先端まで行ってみます。

三ツ山城は411mの山頂とその北側に計3つの人工的な平坦地があって、間は急斜面で繋がれています。最後に堀切の跡といえるかどうか微妙な物があります。

山城の遺構があるのはここまでなのですが、その先地図には平坦に描かれていた尾根に、急峻なピークが2つ(405m峰、390m峰)もそびえ立っていました。三ツ山はその名の通り3つのピークを持つ山でした。気軽に端まで往復できるつもりが、往復に予想外の時間がかかってしまいました。この2つのピークは山城の範囲外ですが、自然のまま物見台等に使っていたのだと思われます。

三ツ山城跡の411mピークに戻って一休みしたら、南へ向かって縦走を始めます。まず最初に途中に登りついた急峻な430mピークに上ります。と思ったら、山頂を巻く道がついていました。そして410mの鞍部まで水平移動したら、「三等三角点浄法寺」(595.4m)まで200m弱の登りが始まります。途中の530m地点で一旦平坦になりますが、最後はまた急坂になります。バリエーションルートのため、道が切ってないため、結構時間がかかります。

それでも三ツ山城跡から約50分で「三等三角点浄法寺」(595.4m)に到着しました。三角点と読めなくなった手作りの標識以外何もない場所です。ここでまたしばし休憩をとります。

三等三角点浄法寺から先は比較的平坦で歩きやすい尾根道が続きます。まずスタートした直後、尾根が2つに分かれるので、左側(南)に直角に曲がります。その後、592mピークで今度は右(南西)に直角に曲がります。ここは行ってはいけない左側の尾根に石祠があります。その後も歩きやすい尾根を南西にひたすら進み、一旦525mの鞍部に下ったら、本日最後の急登で580mピークに登り返します。その後571mピークで尾根が左(南)に折れるので、それに従い南へ進みます。そして軽く上った最後の580mピークで尾根が左右に分かれるのでどちらにも行かずに直進します。そのまま桜山の「八塩・桜山ルート」に合流する予定だったのですが、すぐに地図にない林業の作業道に飛び出し、林道の方が楽だろうということで、右折して下ると、少し行ったところで三叉路に出て、そこを左折すると砂防ダムのところで桜山の「八塩・桜山ルート」にめでたく出ることが出来ました。三等三角点浄法寺からここも約50分で到着しました。

今回は無事に出られたのでよかったですが、この辺り地図にない林道の作業道が縦横無尽に走っているようなので、バリエーションルートを歩く方は注意が必要です。そもそも出た八塩・桜山ルート自体が地図にない林道です。

その林道の「八塩・桜山ルート」を東に少し進むと、今度は林道を離れて山道に入る標識があるのでそちらに進みます。この分岐は地元発行のトレッキングマップに記載されていないので見逃し注意です。とにかく山道をどんどん進んで行くと、まず「山の神」(516m)の古い石祠があります。この先でまた地図にない林道に出て、再び山道に戻ります。この辺りで鬼石・桜山ルートに通じる連絡路が分岐するらしいのですが、確認出来ませんでした。

林道から山道に戻り、上っていくと、551.8mの三角点ピークの北側の鞍部に登りつきます。二重山陵の間の窪地のようになっている場所が「鬼の踊り場」(525m)です。壊れた標識があります。

鬼の踊場を過ぎると道は東から北へと方向を変え、徐々に高度を下げていきます。次の「鬼石弁天山」(364m)周辺は山ツツジの群落になっています。山頂から少し下った場所に鳥居と弁財天の祠がある池があります。池に水が溜まっていたので若干の湧水があるのかもしれません。弁財天の先にあった見晴らしの良い東屋で休憩をとります。

鬼石弁天山から一気に高度が下がります。どんどん下って行くと、集落に入る手前に「御倉子神社」(230m)があるので寄っていきます。この辺りにあった朝廷の「緑埜屯倉」の守護のために祀られたという伝承を持っています。緑埜屯倉に関しては同じ名前を持つ「緑埜(野)寺」の跡が、神流橋渡った先の神川町で発見されていますが、神流川の流路が代わったため寺は放棄され、現在の浄法寺の場所に移ったそうです。御倉子神社はご祭神が稲倉魂命となっているので、元は稲荷だった可能性が高い気がします。ここでトレッキングポールや軍手をかたずけるついでに最後の休憩をとります。

御倉子神社から少し下ると道は集落の中に入り、広い交通量の多い車道に出る手前に湧水のある休憩所があります。車道の反対側にバス停の休憩所のような物が見えますが、そこはバス停ではなく、八塩温泉郷バス停は車道の下を潜り抜けてさらに下った先の別の交通量の多い車道沿いにあります。

12時21分、桜山・八塩ルートに出てから休憩も入れて約1時間半で「八塩温泉郷バス停」(135m)に到着しました。バスの時間が12時44分で、自販機もベンチもない場所なので1バス停の歩くことにします。

地図とバスの時間を見ながら歩いていると、神流川の対岸の神川町まで歩いて行くと、食堂で昼飯を食べて、13時17分の本庄駅南口行の朝日バスに間に合いそうだったので、予定を変更してそこまで歩くことにしました。しかしその前の12時48分のバスに乗ると、丹荘駅から高麗川行の八高線に乗り継ぎが出来るので、昼飯は諦めて、ゴールデンウィークらしく八高線で帰ることにしました。

結局昼飯は、乗り換えの拝島駅のこの前閉まっていた立ち食いそば屋で、かきあげ蕎麦(うどん)とカレーのサービスセットを食べて帰りました。

続きを読む

フォトギャラリー:70枚

すべての写真を見る

装備・携行品

みんなのコメント

ログインして登山記録にコメントや質問を残しましょう

登山計画を立てる