行程・コース
天候
曇り
登山口へのアクセス
電車
その他:
往路:目黒→山手線→新宿/西武新宿→狭山市
復路:所沢→西武池袋線→池袋→山手線→目黒
この登山記録の行程
狭山市駅6:25→祇園白山神社6:27→鎌倉街道上道(県道50号・所沢狭山線)6:28→常泉寺6:57→北入曽野々宮神社7:02→常楽寺観音堂/七曲井/不老川7:06→入間野神社7:10→金剛院7:15→入曽駅7:21→浅間神社旧地7:25→西武新宿線踏切7:57→自然寺8:00→上岩岡八雲神社8:05→温泉バルコニーキング&クイーン8:25~10:30→北中薬師堂あ10:56→砂川堀11:15→新所沢駅11:24→ぎょうさの満州本店(新所沢東口店)11:30~50→鎌倉街道上道堀兼道入口11:57→鎌倉街道上道堀兼道分岐(鎌倉街道案内板、所沢中学校)12:04→所澤神明社12:19→藥王寺12:26→旧鎌倉街道標柱/新光寺12:48→所沢金山神社12:51→実蔵院12:53→切通し坂12:55→所沢駅13:20
合計4時間30分(温泉、ラーメン除く)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
9月28日(土)は、台風から変わった熱帯低気圧で大雨の予報だったので、前線に近い鎌倉方面は諦めて、まだ行ったことのなかった鎌倉街道上道「入間川道」を狭山市駅から所沢駅まで歩いて来ました。この道は、この間「入間川道」「堀兼道」「小手指道」と3本ある上道の中の本道にあたる道なのですが、西武新宿線に沿った一本道の幹線道で、見るべきものもほとんどない、上道の中で一番しょーもない区間です。でも昨日27日にオープンの日帰り温泉に寄り道したり、ぎょうざの満州の本店に行ってみたりして、なんとか楽しく最後まで行ききることが出来ました。なお雨は予報が外れて1日中曇りで全く降らなかったので、鎌倉方面行けたかな~?
スタートは西武新宿線の「狭山市駅」です。駅東口を出たら、まず「祇園白山神社」に向かいます。この神社の境内には関東三大欅と言い伝えられ樹齢7~800年の大欅があったらしいのですが、明治10年に金60円で船材として売り払われ、その直後の明治11年2月の火災で古記録が消失して、歴史的なことは何一つわからなくなってしまったそうですが、江戸期以前の創建に間違いないというで、鎌倉街道の道標になっていたのではないかといわれています。
祇園白山神社の角から、西武新宿線に沿って南東に一直線に進む「県道50号・所沢狭山線」が鎌倉街道上道です。ひたすら何もない幹線道なのですが、入曽駅まで行くと、神社仏閣がまとまってあります。
まず最初の「蔵王山 観音院 常泉寺」は七曲井の前にある観音堂を管理している真言宗智山派寺院です。天正年間(1573~92)に創建したのではないかといわれ、その後、元禄2年(1689)に権大僧都法印教海が、入曽観音堂の地からこの場所に移転して中興したそうです。高麗の聖天院の末とのことなので、日高市から移住してきた渡来人もしくは丹党の末裔がこの辺りに出てきて土地開発を行った時に建てた寺院なのかもしれません。
「北入曽野々宮神社」は、日本武尊の東征に従軍して当地に土着した社家の宮崎家の先祖が創建した日本武尊(蔵王神社)と大日孁貴命(神明社)が元となっている神社です。明治40年にさらに神明社・八雲神社・愛宕神社・稲荷神社・蔵王神社を境内に合祀しています。野々宮神社は埼玉には日高市と鴻巣市にもありますが、これは日向国からやってきた先祖が3家に分かれたて作ったものと伝えられています。
常楽寺の旧地に建つ境外仏堂が「常楽寺観音堂」です。創建は常泉寺より古い建仁2年(1202)と伝わっています。裏に鎌倉街道上道の中でも特に水が得にくかったこの場所に旅人のオアシスとして掘られた「七曲井」があります。観音堂は七曲井の守り本尊として祀られたものではないかといわれています。
「七曲井」は、鎌倉街道ができる前の平安時代にあった「東山道」沿いに造られた井戸です。当時は竪堀り井戸を掘る技術が確立していなかったため、大規模な漏斗状井戸として造られました。上部で階段状をなし、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっていることから、地元の人から「七曲井」と呼ばれてきたそうです。江戸時代の中期まで使われていました。
七曲井の横を流れる川は「不老川」です。狭山丘陵の北西端の瑞穂町駒形富士山を源流としており、下流は川越市で新河岸川に合流します。自然の河川なので明確な河岸段丘を持っています。
不老川を渡ったところにある「入間野神社」は、建久2年(1191)に創建された当初は国井神社、後に御嶽大権現と称していました。国井神社という名前は、井戸を意味し、観音堂同様に井戸の守護神として祀られたものと考えられています。慶安2年(1649)に江戸幕府より10石の御朱印状を受け、明治44年に水野の浅間神社を合祀して入間野神社に改名しています。本殿の覆屋の中には今も御獄神社と浅間神社の本殿が並んで鎮座しているそうです。神社の前に「鎌倉街道上道の案内板」があります。
「御嶽山 金剛院 延命寺」は、御嶽大権現時代の入間野神社の別当寺であった真言宗豊山派寺院です。徳川幕府から得ていた10石の御朱印状も一致します。創建は建久年間(1190~97)といわれ、天文年間(1532~54)に深悦沙門が中興しています。室町時代以前の作と推定される木造地蔵菩薩立像が狭山市指定文化財に、毎年10月14・15日に奉納される入間の獅子舞が埼玉県指定無形民俗文化財になっています。現在は奈良県長谷寺の末となっていますが、かつては、青梅の成木村安楽寺の末だったようです。
金剛院の先に「入曽駅」があり、駅から県道50号に戻る途中に、入間野神社に合祀された「水野の浅間神社の旧地」があります。
またひたすら何もない「県道50号・所沢狭山線」を西武新宿線に沿って南東へと進みます。そして右(南西)側に西武線の操車場が見えてきたら、その先で県道50号は踏切で線路を渡り西武新宿線の西側に移ります。
渡ってすぐ線路との間にある「所沢山 自然寺」は、平成15年に藤木雅清住職によって開山された新しい浄土宗のお寺で、自然はしぜんとは読まずに「じねん」と発音するそうで、「阿弥陀さまの救済に一切を委ねる」という他力を意味しているそうです。普通の民家のような寺で、浄土真宗にはこのような布教所タイプの寺がたくさんあるのですが、浄土宗では珍しい気がします。
鎌倉街道上道を少し横に外れます。すると風景が一気に農村っぽくなります。
「上岩岡八雲神社」は、比較的新しい雰囲気の神社で、旧地の大字北岩岡字北向にあった頃は八幡神社だったそうです。明治45年中富神明社に合祀され、現在は八雲神社と称しています。もともと八幡神社に合祀されていた、八雲神社だけ返却されたということなのかもしれません。
上岩岡八雲神社の先に、昨日9月27日に「温泉バルコニーキング&クイーン」という日帰り温泉がオープンしたので、急遽寄っていきます。ここは東久留米市のスパジアムジャポンと同系列の広さと豪華さがウリの温泉で、3種類のサウナと飛び込みが出来る深さ2mの水風呂や最近流行りの10度以下の水風呂や高濃炭酸泉度等があるのですが、肝心の温泉は一応ナトリウム‐カルシウム‐塩化物泉となっているもののほとんど温泉感はなく、スーパー銭湯と思った方が良いかもしれません。料金は平日950円、土日1,100円です。小手指駅と新所沢駅から無料送迎バスがあります。
温泉を出たら鎌倉街道上道に戻ります。途中にある「北中薬師堂」は、寛保年間(1741~43)に東狭山ヶ丘の吉祥院の僧が、当地の開拓民六軒の守り本尊として創建、昭和52年信徒25軒により改築したといいます。石像の下には経文を書いた丸い石が納められているそうです。
戻ってすぐ鎌倉街道上道は「砂川堀」を渡ります。堀とついていますが、一応自然の河川のようです。ただ明確な河岸段丘はありません。
今まで鎌倉街道上道入間川道だった「県道50号・所沢狭山線」は、新所沢駅の手前の「緑町4丁目交差点」で左から交わってきた「県道6号線・川越所沢線」にとって変わられます。鎌倉街道上道は替わった県道6号線を引き続き南下し、所沢を流れる東川まにぶつかったところで、一本西側の裏通りに入ります。
また鎌倉街道上道入間川道を外れ、「新所沢駅」に向かいます。駅の東口には「ぎょうざの満州本店(新所沢東口店)」があります(※西口店もあるので注意!)。満州は工場が坂戸とか鶴ヶ島にあるので本店もそっち方面かと思っていたら、山田うどんと同じ所沢でした。調べてみると新所沢駅西口の所沢市綠町に1964年に1号店「中華料理 満洲里」をオープンしたのが始まりだそうです。なおここは本店だけで、本社は一番新しい川越工場にあるそうです。
満州本店で昼飯にします。本店といっても特別なメニューはなかったので「旨辛菜麺」+「餃子」のセット、税込ちょうど1,000円を食べました。満州の旨辛菜麺はキャベツではなく白菜が入っていて、白菜の甘味が辛さを中和してくれて食べやすいです。たまに思い出したように食べたくなる味です。
新所沢駅のところで、線路を斜めに横切っている道が鎌倉街道上道のサブコースである「堀兼道」です。駅の周りに痕跡はありませんが、西口・東口共、駅から少し離れたところに斜めの道が残っています。鎌倉街道上道入間川道からの分岐は「所沢中学校」の前にあり、「鎌倉街道の案内板」が立っています。また中学の入口に「旧鎌倉街道の標柱」もあります。
そして国道463号との「峰の坂交差点」から鎌倉街道上道入間川道は東川の河岸段丘の急な下りに入ります。その斜面にあるのが「所澤神明社」です。日本武尊が東征の途中で小手指にて休憩をとった際に、天照大御神を祀ったのを起源とするという伝承を持つ所沢村の鎮守社です。明治5年村社に列格し、同22年に字宮前の阿夫利神社、境内社の雷電社・五龍神社を合祀し、同40年に字下町の稲荷社、字上仲町の稲荷社、字蒲町の琴平神社を合祀しています。境内社の「鳥船神社」は「所澤航空神社」とも呼ばれ、明治44年に所沢航空場で徳川好敏大尉が初飛行を成し遂げたことを記念して、100年後の平成23年に創建しされたものです。
鎌倉街道上道から少し離れた場所にある「東光山 自性院 藥王寺」は、新田義貞の三男で武蔵野合戦を戦った「新田武蔵守義宗」が潜み隠れていた場所に自ら草庵を建てたのが起源と伝えられる寺院です。創建当時は臨済宗でしたが、孝山俊和(慶長19年(1614)寂)が久米村永源寺の曹洞宗寺院に改めたそうです。明治30年に義宗の子孫が建てた新田義宗の墓(慰霊塔)があります。
神明社の前まで戻って県道6号を渡って「東川」沿いの「新光寺」へ行く道に入ります。新光寺門前から南に折れて進む裏道が鎌倉街道上道の旧道です。橋のたもとに「旧鎌倉街道」と書かれた標柱があります。
まず「遊石山 観音院 新光寺」に寄っていきます。本尊の観音像が行基の作と伝わるため、天平年間(729~749)に行基が開基になって開かれたと伝わる真言宗豊山派寺院です。、天平年間(729~749)に行基が開基になって開かれたと伝わっています。『新編武蔵風土記稿』や『吾妻鏡』などの地誌に、源頼朝が建久4年(1193)那須野へ向かう途中に田地を寄進したという伝承や新田義貞が北条氏を滅ぼした後に寺田を寄附したという伝承が記されているそうです。江戸時代は観音堂領として寺領6石の御朱印状を拝領していました。
「所沢金山神社」は、川越城の夜戦に上杉勢として参戦して敗れ、この地に土着した斉藤四郎右衛門尉利長の長男である斉藤主計之佐信廣が、先祖の神霊が鎮座する奈良県櫻井市の談山神社を勧請して弘治3年(1557)に金山権現として祀った神社です。
「野老山 実蔵院」は、宥圓(元和2年(1616)寂)が開山した真言宗豊山派寺院です。それしかわかりませんが、境内に彼岸花がたくさん咲いていました。
実蔵院の先の切通しの坂道は、鎌倉街道上道の「切通し坂」といわれています。途中に鎌倉街道の案内板があります。そのまま真っ直ぐ県道4号と所沢西口通りが交わる「駒形交差点」まで行きます。今日はここで終了で、左折して「所沢駅」に向かいます。なお直進すると西武池袋線の線路ぶつかり、その先は先日来た「長沢寺」です。
「所沢駅」に着きました。
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今日は「狭山市駅」スタートで、鎌倉街道上道「入間川道」所沢駅まで行きます。この道は、この間「入間川道」「堀兼道」「小手指道」と3本ある上道の中の本道にあたる道なのですが、西武新宿線に沿った一本道の幹線道で、見るべきものがほとんどないため、今まで行くのを躊躇していました。でも台風(熱帯低気圧)来てるからいいかなと…。
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駅東口を出たら、まず「祇園白山神社」に向かいます。この神社の境内には関東三大欅と言い伝えられ樹齢7~800年の大欅があったらしいのですが、明治10年に金60円で船材として売り払われ、その直後の明治11年2月の火災で古記録が消失して、歴史的なことは何一つわからなくなってしまったそうですが、江戸期以前の創建に間違いないということで、鎌倉街道の道標になっていたのではないかといわれています。
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祇園白山神社の前から始まる道が「鎌倉街道上道入間川道」です。
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鎌倉街道上道入間川道は新所沢駅手前まで「県道50号・所沢狭山線」となっています。
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今日の彼岸花は白です。先週末から涼しくなったので、あちこちで彼岸花を見かけるようになりました。
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不老川の河岸段丘を下って入曽駅に向かいます。入曽駅周辺は不老川が流れているせいで水が得やすいせいか神社仏閣が集中しています。
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この辺りは狭山市なので、たまに広い茶畑があります。
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最初の「蔵王山 観音院 常泉寺」は七曲井の前にある観音堂を管理している真言宗智山派寺院です。天正年間(1573~92)に創建したのではないかといわれ、その後、元禄2年(1689)に権大僧都法印教海が、入曽観音堂の地からこの場所に移転して中興したそうです。高麗の聖天院の末です。
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「北入曽野々宮神社」は、日本武尊の東征に従軍して当地に土着した社家の宮崎家の先祖が創建した日本武尊(蔵王神社)と大日孁貴命(神明社)が元となっている神社です。明治40年にさらに神明社・八雲神社・愛宕神社・稲荷神社・蔵王神社を境内に合祀しています。野々宮神社は埼玉には日高市と鴻巣市にもありますが、これらは日向国からやってきた先祖が3家に分かれたて作ったものと伝えられています。無形文化財の「入曽の獅子舞」はここと金剛院が共同で行っているようです。
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常楽寺の旧地に建つ境外仏堂が「常楽寺観音堂」です。創建は常泉寺より古い建仁2年(1202)と伝わっています。裏に鎌倉街道上道の中でも特に水が得にくかったこの場所に旅人のオアシスとして掘られた「七曲井」があります。観音堂は七曲井の守り本尊として祀られたものではないかといわれています。
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「七曲井」は、鎌倉街道ができる前の平安時代にあった「東山道」沿いに造られた井戸です。当時は竪堀り井戸を掘る技術が確立していなかったため、大規模な漏斗状井戸として造られました。上部で階段状をなし、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっていることから、地元の人から「七曲井」と呼ばれてきたそうです。江戸時代の中期まで使われていました。
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「七曲井」の説明板です。
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七曲井の横を流れる川は「不老川」です。狭山丘陵の北西端の瑞穂町駒形富士山を源流としており、下流は川越市で新河岸川に合流します。自然の河川なので明確な河岸段丘を持っています。
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不老川を渡ったところにある「入間野神社」は、建久2年(1191)に創建された当初は国井神社、後に御嶽大権現と称していました。国井神社という名前は、井戸を意味し、観音堂同様に井戸の守護神として祀られたものと考えられています。慶安2年(1649)に江戸幕府より10石の御朱印状を受け、明治44年に水野の浅間神社を合祀して入間野神社に改名しています。本殿の覆屋の中には今も御獄神社と浅間神社の本殿が並んで鎮座しているそうです。
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入間野神社の前には、見慣れたあの「鎌倉街道の案内板」が設置してあります。
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「御嶽山 金剛院 延命寺」は、御嶽大権現時代の入間野神社の別当寺であった真言宗豊山派寺院です。徳川幕府から得ていた10石の御朱印状も一致します。創建は建久年間(1190~97)といわれ、天文年間(1532~54)に深悦沙門が中興しています。室町時代以前の作と推定される木造地蔵菩薩立像が狭山市指定文化財に、毎年10月14・15日に奉納される入間の獅子舞が埼玉県指定無形民俗文化財になっています。現在は奈良県長谷寺の末となっていますが、かつては、青梅の成木村安楽寺の末だったようです。
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「入曽駅」に寄っていきます。入曽の地名の由来は不明ですが、曽根が河川よる浸食地形を表すので、不老川によって浸食された土地といった意味なのでつけられたのではないかと思います。古くは水野とも呼ばれていたそうで、これは恐らく水の得やすい土地という意味だと思います。
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駅から県道50号に戻る途中に、入間野神社に合祀された「水野の浅間神社の旧地」があります。石碑に細かい字で合祀された経緯が記されています。
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またひたすら何もない「県道50号・所沢狭山線」を西武新宿線に沿って南東へと進みます。狭山市から所沢市に入りました。
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真っ赤なスポーツカーがたくさん停まっているドライブイン発見!
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この辺りは市の境であることもあって住宅地が途切れ、道の東側に広大な畑が広がるようになります。
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道の西側には西武新宿線の車両基地もあります。
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西武新宿線の車両基地の先で県道50号=鎌倉街道上道入間川道は踏切で線路を渡って西武新宿線の西側に移ります。
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渡ってすぐ線路との間にある「所沢山 自然寺」は、平成15年に藤木雅清住職によって開山された新しい浄土宗のお寺で、自然はしぜんとは読まずに「じねん」と発音するそうで、「阿弥陀さまの救済に一切を委ねる」という他力を意味しているそうです。普通の民家のような寺で、浄土真宗にはこのような布教所タイプの寺がたくさんあるのですが、浄土宗では珍しい気がします。
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鎌倉街道上道を少し横に外れます。すると風景が一気に農村っぽくなります。
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KYOCERA KYF33
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「上岩岡八雲神社」は、比較的新しい雰囲気の神社で、旧地の大字北岩岡字北向にあった頃は八幡神社だったそうです。明治45年中富神明社に合祀され、現在は八雲神社と称しています。もともと八幡神社に合祀されていた八雲神社だけ返却されたということなのかもしれません。
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KYOCERA KYF33
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平地林のトンネルを抜けてさらに進みます。この辺りには平地林が多く、一部はトトロの森になっています。大鷹も生息しているそうです。
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平地林の中に咲いていたシラヤマギクです。花びらがパラバラで隙間があるのが特徴。高尾山や奥多摩なとの山岳地帯に多く見られますが、平地では珍しいです。
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KYOCERA KYF33
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昨日9月27日にオープンした日帰り温泉「温泉バルコニーキング&クイーン」に寄っていきます。東久留米市のスパジアムジャポンと同系列の広さと豪華さがウリの温泉で、3種類のサウナと飛び込みが出来る深さ2mの水風呂や10度以下の水風呂、高濃炭酸泉度等があります。ただ温泉はナトリウム‐カルシウム‐塩化物泉となっているものの殆ど温泉感はありません。料金は平日950円、土日1,100円です。小手指駅と新所沢駅から無料送迎バスがあります。
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KYOCERA KYF33
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畑の脇に咲いていたオミナエシの花です。涼しくなってきたので、そろそろこの花も終わりです。
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そして秋を代表する萩の花です。今が満開!
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植木畑の林床を彼岸花が埋め尽くしていました。
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鎌倉街道上道に戻る途中にある「北中薬師堂」は、寛保年間(1741~43)に東狭山ヶ丘の吉祥院の僧が、当地の開拓民六軒の守り本尊として創建、昭和52年信徒25軒により改築したといいます。石像の下には経文を書いた丸い石が納められているそうです。
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鎌倉街道上道に戻ってすぐ「砂川堀」を渡ります。堀とついていますが、一応自然の河川です。ただ明確な河岸段丘がないので、流路が変更されているのかもしれません。
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ISO: 32 Speed:2500/10000 f値:2.4
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今まで鎌倉街道上道入間川道だった「県道50号・所沢狭山線」は、新所沢駅の手前の「緑町4丁目交差点」で左から交わってきた「県道6号線・川越所沢線」にとって変わられます。鎌倉街道上道は替わった県道6号線を引き続き南下し、所沢を流れる東川まにぶつかったところで、一本西側の裏通りに入ります。
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KYOCERA KYF33
ISO: 32 Speed:1000/10000 f値:2.4
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また鎌倉街道上道入間川道を外れ、「新所沢駅」にも寄っていきます。西武線の駅にはやっぱりイオンやヤオコーより西友が似合います。
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KYOCERA KYF33
ISO: 32 Speed:1550/10000 f値:2.4
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新所沢駅の東口にある「ぎょうざの満州本店(新所沢東口店)」で昼飯にします(※西口店もあるので注意!)。満州は工場が坂戸とか鶴ヶ島にあるので本店もそっち方面かと思っていたら、山田うどんと同じ所沢にありました。調べてみると新所沢駅西口の所沢市綠町に1964年に1号店「中華料理 満洲里」をオープンしたのが始まりだそうです。なおここは本店だけで、本社は一番新しい川越工場にあるそうです。
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KYOCERA KYF33
ISO: 32 Speed:1100/10000 f値:2.4
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本店といっても特別なメニューはなかったので「旨辛菜麺」+「餃子」のセット、税込ちょうど1,000円を注文しました。「旨辛菜麺」はキャベツではなく白菜が入っていて、白菜の甘味が辛さを中和してくれて食べやすいのが特徴です。
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KYOCERA KYF33
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満州の「餃子」です。王将等の関西系肉餃子ではなく、宇都宮餃子と同じ北関東の野菜餃子です。工場が近いため野菜の新鮮な辛さが残っているのが特徴です。
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ISO: 90 Speed:30000/1000 f値:2.4
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新所沢駅の近所で線路を斜めに横切っている道が鎌倉街道上道のサブコースの「堀兼道」です。駅の周りに痕跡はありませんが、西口・東口共、駅から少し離れた車道が線路の下をくぐるトンネルの脇に標柱があります。
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反対側の鎌倉街道上道入間川道からの分岐には、「鎌倉街道」の案内板が立っています。写真の左が入間川道で右が堀兼道です。中央の奥はセブンイレブンです。
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KYOCERA KYF33
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鎌倉街道の案内板の拡大です。
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分岐の前にある「所沢中学校」校門横には「旧鎌倉街道の標柱」もあります。
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県道6号と国道463号との「峰の坂交差点」から鎌倉街道上道入間川道は東川の河岸段丘の急な下りに入ります。
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その斜面にあるのが「所澤神明社」です。日本武尊が東征の途中で小手指にて休憩をとった際に、天照大御神を祀ったのを起源とするという伝承を持つ所沢村の鎮守社です。明治5年村社に列格し、同22年に字宮前の阿夫利神社、境内社の雷電社・五龍神社を合祀し、同40年に字下町の稲荷社、字上仲町の稲荷社、字蒲町の琴平神社を合祀しています。
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所澤神明社の境内社である「鳥船神社」は「所澤航空神社」とも呼ばれ、明治44年に所沢航空場で徳川好敏大尉が初飛行を成し遂げたことを記念して、100年後の平成23年に創建しされたものです。
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鎌倉街道上道から少し離れた場所にある「東光山 自性院 藥王寺」は、新田義貞の三男で武蔵野合戦を戦った「新田武蔵守義宗」が潜み隠れていた場所に自ら草庵を建てたのが起源と伝えられる寺院です。創建当時は臨済宗でしたが、孝山俊和(慶長19年(1614)寂)が久米村永源寺の曹洞宗寺院に改めたそうです。
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藥王寺の墓地には、明治30年に義宗の子孫が建てた「新田義宗の墓(慰霊塔)」があります。
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ムラサキシキブの実が色づいてきました!
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県道6号を渡って「東川」沿いの「新光寺」へ行く道に入ります。東川はたいした川でないわりに谷が深くて河岸段丘が大きいのが特徴です。
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ちょっと風情のある新光寺の山門前に着きました。
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「遊石山 観音院 新光寺」です。本尊の観音像が行基の作と伝わるため、天平年間(729~749)に行基が開基になって開かれたと伝わる真言宗豊山派寺院です。『新編武蔵風土記稿』や『吾妻鏡』などの地誌に、源頼朝が建久4年(1193)那須野へ向かう途中に田地を寄進したという伝承や新田義貞が北条氏を滅ぼした後に寺田を寄附したという伝承が記されているそうです。江戸時代は観音堂領として寺領6石の御朱印状を拝領していました。
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新光寺門前から南に折れて進む裏道が鎌倉街道上道の旧道です。橋のたもとに「旧鎌倉街道」と書かれた標柱があります。
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「所沢金山神社」は、川越城の夜戦に上杉勢として参戦して敗れ、この地に土着した斉藤四郎右衛門尉利長の長男である斉藤主計之佐信廣が、先祖の神霊が鎮座する奈良県櫻井市の談山神社を勧請して弘治3年(1557)に金山権現として祀った神社です。
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「野老山 実蔵院」は、宥圓(元和2年(1616)寂)が開山した真言宗豊山派寺院です。それしかわかりませんが、境内に彼岸花がたくさん咲いていました。
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実蔵院の彼岸花拡大です。白と赤がバランス良く植えられていました。
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実蔵院の先の切通しの坂道は、鎌倉街道上道の「切通し坂」といわれています。
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切通しの途中にも鎌倉街道の案内板があります。
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そのまま真っ直ぐ行くと、県道4号と所沢西口通りが交わる「駒形交差点」まで行きます。ここが今日の終点です。左折して「所沢駅」に向かいます。なお直進すると西武池袋線の線路ぶつかり、その先は先日来た「長沢寺」で、柳瀬川を渡って「将軍塚」へと続きます。
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所沢駅に到着しました!
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装備・携行品
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目黒駅は品川区さんの登山記録
確認



























































