移住者インタビュー
Interview
OTARI
長野県小谷村

取材・文=大関直樹 写真=渡辺幸雄 取材協力=小谷村役場観光地域振興課

話を聞いた人
由井義仲さん (43) 千尋さん (38)
Yui Yoshinaka / Chihiro

昔ながらの日本の原風景が残る小谷村での田舎暮らし。
便利じゃないからこそ新しい自分に気がつくことができた。


山間の小さなカフェから後立山連峰を一望

大糸線の南小谷(みなみおたり)駅から急な山道をクルマで登ること約10分。森のなかに佇む可愛い山小屋のような建物が見えてきた。喫茶『白月(はくげつ)』。小谷村に移住してきた由井千尋(ゆい・ちひろ)さんが、2020年の10月にオープンしたカフェだ。

中に入ると木のぬくもりが感じられる椅子やテーブルなどの調度品が、居心地のよい雰囲気を醸し出している。そして、何よりもカウンター席の大きな窓から見える景色が素晴らしい。眼下に広がる山深い谷と森、そして遠くには、爺ヶ岳(じいがたけ)、鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)、五竜岳(ごりゅうだけ)といった後立山連峰が一望できる。

「この物件を建てた方が、山好きだったんですよ。見せていただいたときに、景色に惹かれて決めた感じはありますね。小谷村ではどうしても谷から山を見上げることが多いので、こんなに遠くまでドーンと抜けた眺めを楽しめるのは珍しいんです」

『白月』は、千尋さんの手作りの美味しいケーキやコーヒーとともに、この窓から四季折々の景色を堪能できるのが魅力。訪れた季節は6月だったので新緑が眩しかったが、秋は紅葉、冬は雪景色が楽しめるという。

「私のなかでは、やっぱり冬が一番ですね。全部がリセットされるというか、すべてが雪に包まれて。たとえ北アルプスが見えなかったとしても、森の樹木に雪が付いているだけですごくきれいです。小谷らしい里山の冬の景色なんですよ。冬は、四駆でスタッドレスじゃないと登って来られないので、お客様は少ないです。でも、人がいない分、静かでゆっくりできて、景色がきれいでと最高の条件が揃っています(笑)。そういう楽しみ方をされたいというお客様のためだけに開けているという感じですね」

小谷村の里山の風景が残り、四季折々で表情が変わる森のなかに立つ喫茶『白月』。
(営業=不定休、12時~17時〈LO16時半〉、https://www.facebook.com/kissahakugetsu/

友人から声をかけられ小谷村への移住を決意

千尋さんが、小谷村に移り住んだのは2012年のこと。小谷村で常設校があるアウトワード・バウンド協会(OBJ)で働くためだった。OBJは、登山やクライミング、カヌーなどの冒険活動を通じて、子どもから大人まで個々人に秘められた可能性を広げるプログラムを提供する教育機関だ。現在、世界33カ国に約220の拠点がある。

「OBJに興味を持ち始めたのは、尾瀬の長蔵小屋に働きに行ったのがきっかけでした。山小屋で働いてみて、何か自分も自然に関わる仕事がしたいなと思ったんです。でも、具体的に何をしたらいいかよくわからなくて。そこで、ネットで検索していた時に、OBJの指導者育成コースを受ければ、自然に関わる仕事ができるなと思って、小谷に来たんです」

千尋さんは、小谷村で70日間ほどのOBJ指導者育成コースを受講。そこで一緒に学んだ仲間や先輩には個性的な人が多く、彼らに魅力を感じたため受講後も1年間はスタッフとして働いた。その後、以前に働いていた富山に戻り、飲食店のキッチンの仕事に戻った。

「指導者育成コースの受講後の働き方としては、私のようにそのままアウトワード・バウンド協会に残る人もいますし、自分で自然学校を立ち上げたり、ガイドをしたりする人もいます。OBJに行ったら必ず、こんな職場に入れる、こんな仕事ができるということはなくて、進路は様々ですね。高いアウトドアスキルが得られるというより、あくまで入り口に立つためのスクールですから、あとは自分でどうするかという感じなんです」

OBJ長野校は小谷村の大網という集落にあるが、協会を辞めた後もそこに残って暮らしている家族が4組ほどいた。千尋さんの目からは、「彼らは大網に骨を埋める覚悟で移住してきた。そんな覚悟もない私は、ここの集落に住んではいけない」と思い、OBJで働いているときも別の集落に住んでいた。ところが、富山に帰ったときに、大網に住んでいる友人から連絡があった。

「空き家が出たから、ここに住まない?と、結構軽い感じで言ってもらえて(笑)。そのとき、覚悟がなくてもとりあえず住んでみてもいいのかなって思ったんです。ちょうど、小谷に帰りたいなとも考えていたので。そんなタイミングで声をかけてもらえたので、じゃあ住んでみようかと決意しました」

木製建具で作られた大きな窓のあるカンター席。まるで北アルプスの景色を切り取ったかのような眺めだ

地域の人と近づくことで自分の輪郭が見えてきた

実際に大網に暮らしてみて実感したのは、人と人との距離感が近いということだった。富山では近所の人であっても顔見知りという程度だったのが、ここでは違う。家に車がないと「昨日は、どこに行ってたんだ?」と聞かれたり。千尋さんとご主人が耕している畑に黙って肥料を撒いてくれて、ふと気がつくと「野菜が、めっちゃ元気になっている!」ということもあった。

「そういうやり取りがあるので、地域の方々とぐっと近づくことができました。正直なところ煩わしく思う部分もありますが、私自身はそれ以上に近しい関係になることを嬉しいと感じたんです。もともと田舎育ちではなかったので、違う価値観があることが新鮮でした。周りにいるひとりひとりのことがよくわかるということは、自分の輪郭もはっきりしてきます。自分も集落のなかで「よくわからない人」のままでいてはいけないので、何をしたいのかはっきり考えるようになったというのはありますね」

大網地区に住んでいるときに、千尋さんと同じくOBJで働いていた義仲(よしなか)さんと結婚。一時は、義仲さんの仕事の都合で兵庫県に転勤したが、小谷村に戻ってきた。

「現在、夫はアウトワード・バウンド協会を退職し、林業の手伝いをしたり、週末にはこのお店を手伝ってもらったりしています。兵庫から戻って来たのも、この地域の人の魅力に惹かれてですね。一度、集落に入って周りに良くしてもらっていると、この場所に居たくなるんですよ」

小谷村に移住してきた当初、千尋さんはカフェをやろうとは思っていなかった。アウトドアの仕事をしたいと考えていたが、なかなか見つからない。そこで、大網集落の体験交流施設に宿泊するお客さんにご飯を作る仕事に就いた。他にも、地域の人向けにお茶会をしたり、ケーキを作ったりしているうちに、「お店がやりたいな」と思い始めた。そして、物件を探したところ、現在の建物を見つけたのだった。喫茶『白月』を開店するにあたっては、地域の方にすごく助けられたという。

「ここにはもともと駐車場がなかったのですが、ひとつ下の集落の土建屋さんが整地してくれました。道路からお店までの小道も、オープン前日まではなかったのですが、その方が奥さんと一緒に来てくださって、作ってくれたんです。すごく応援してくれるというか、なんでこんなに親切なんだろうと(笑)。そこは直接尋ねたことはないんですけどね。小谷の人は、よそから来る人を喜んで受け入れてくれるイメージがあります。私の住んでいる集落もそうですし、このお店のある地域の人もそうですが、排他的な部分が少ないなと感じています」

1 店内は、スタイリッシュでありながらどこかホッとする雰囲気
2 「生産者さんの思いがこもったコーヒーを提供したいです」と千尋さん
3 こだわりのコーヒーとケーキを求めて県外から来るお客さんもいるそうだ
4 小谷村の定住移住促進支援員である新宅さんと「特等席」で談笑する千尋さん

厳しい自然が育んだ自然の恵みを発見する喜び

自然が美しく、人も優しい。小谷村での生活は、いいことづくしのように思えるが、日々の生活のなかで困っていることはないのだろうか?

「買い物については、不便ですね。村のなかには、農協と小さい商店が一軒あるだけなので、まとまったものを買うには、白馬(はくば)か糸魚川(いといがわ)に出なくてはいけません。どちらも車で30分程度かかります。ただ、移動購買車が来るので、日用品や食料品はそれで間に合わせることができます。一番不便なのは、やはり病院ですね。大きな病院は大町(おおまち)か糸魚川、安曇野(あづみの)にしかないので。何かあっても、救急車が来るまでに20〜30分、搬送していただくのに20~30分なので、緊急時でも1時間くらいかかってしまう。この点はちょっと心配です」

小谷村は長野県内でも積雪量が多い地域のひとつとして知られている。道沿いの積雪は身長を越え、除雪を行なわない家は地面と軒先がくっついてしまう程だ。そんな冬の生活は大変なのでは?

「そうですね。毎年冬が始まる頃には、『ああ、また冬かあ…』と思ってしまいます(笑)。でも、こちらでは60〜70歳になっても平気で屋根に上がっている方が、いっぱいいるんですよ。そういう姿を見ていると、『辛いけど、頑張ろう』という気持ちになる。やりたくないと言ってはいられないですし、やらなければいけないと思うと、大体のことはできるっていう感じはありますね。冬の終わりになると、『ああ、もう雪がなくなっちゃうのか…』と寂しいような感じになったり…。いや、やっぱり本当は『早くなくなっちゃえ』と思っていますね(笑)」

しかし、厳しい冬があるからこそ、小谷村ならではの自然の恵みも多い。そのひとつが山菜だ。雪国で育つ山菜は、アクが少なくておいしいと昔からいわれている。千尋さんも山菜採りを毎年楽しみにしている。

「山菜は、“採りに行く”楽しさがありますよ。野菜を育てるのも楽しいけど、もっとワクワクする。春は、コゴミ、ウド、フキなど、どんどん出てくるので、追いかけられている感じですね。遅くなっちゃうと、“コゴミがもうないぞ”とか。だから、春は一番忙しい。“山菜も採らなきゃいけないし、田んぼも、畑も、梅雨までに…”という感じで。私はお店もあるので田畑の方は主人に任せっきりで、少し手伝うくらいなんですけど(笑)。でも、そういう暮らしってやっぱり豊かだと思います。その辺に自生しているアサツキを引っこ抜いて、蕎麦の薬味にしたりとか。“今まで知らなかったけど、これも食べられるんだ!”とか、小さい楽しみが小谷にはたくさんありますね」

1 田植え。集落の仲間と一年分の収穫を目指して、手で植え、手で刈る
2 田の草取り / 3 夏祭りにて。獅子舞などが奉納される
4 ハザにかけて干す。おじちゃん、おばちゃんたちが毎年、「よくやった」と声をかけてくれる
(写真提供=由井千尋)

“自分のお祭り”として伝統を受け継ぐ喜びが生まれた

小谷村に移り住んでから、約10年。「今振り返ると、“人が生きていくこと=日々の暮らし”について、見つめ直すことができたのが、大きな収穫でした」と千尋さんは語る。たとえば都会では、蛇口をひねると水は出る。しかし、千尋さんの住む集落では、村営水道がないので、組というグループ単位で沢からパイプで水を持って来ている。パイプや水源は詰まることがあるので、そのたびに自分自身で見に行かなくてはいけない。

「こちらに来るまでは、街にしか住んだことがなかったので、暮らしのインフラについて自分でやらなければいけないことって、なかったんですよね。お金さえ払えば、便利な生活が簡単に手に入りました。でも、こちらでは水道もそうですし、暖をとるにも薪割りからやらなければいけない。でも、自分でやるべきことが多いと、見えてくるものも多いんです。たとえば水洗トイレでジャーッと流していた時は何も感じませんが、汲み取り式だと、誰かが汲み取ってくれているわけです。都会では見なくても済んでいたことが、田舎では見えてくる。そうすると、自分は何を選んで、これからどんなふうに暮らしていこうかと考えるようになったんです。これは意識がガラッと変わる経験でもありました。不便ですけど、見えないままでいるよりは良かったなと思っています」

実際に大網地区に住んでみて、いろいろなことに気づかされたという千尋さん。今は、地域のお祭りに参加して、去年から笛の練習も始めたという。そうすることで単なる“お祭り”だったものが、“自分の祭り”に変化してきた。

「それまでは『ああ、今日はお祭りの日なんだ』というあっさりした感じだったんですけど(笑)。笛を教えてもらっていると、小さい頃からずっと笛の音を聴いてきた人は吹けるんですが、私にできなくて羨ましいなと思ったりもします。でもそうやって参加していると、自然に“自分ごと”になっているのが嬉しいんです。祭りは集落の暮らしの中心にあるもののひとつで、とても大事にしている。だからこそ、自分たちが受け継がないといけないという気持ちも出てきました。逆に、祭りにせよ、地域の行事や草刈りにせよ、集落の人たちもそこに参加している私たちの姿を見ていると思います。そういうなかで自然と生まれてくる信頼とか関係性というのは、大切だなと思っています」

頸城山塊の雨飾山(あまかざりやま、1963m)に守られた小谷の集落。
雪深いが、冬はそれは美しいと千尋さんは言う(写真提供=由井千尋)

 
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