池内紀さんが選んだ153冊を紹介。人気連載をまとめた『山の本棚』【新刊】

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月刊誌『山と溪谷』(山と溪谷社)で2007年から2019年まで連載されていた、ドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんによる「山の本棚」が単行本になりました。全153回、13年にわたる連載を一冊にまとめたこの本の中から、連載を担当した編集者が3冊ご紹介します。

文=神谷浩之(前『山と溪谷』編集長)

私は、2009年から、絶筆となる2019年10月号まで、およそ10年間、連載を担当しました。毎月決まった時期(それも締切のかなり前)になると届く、味わい深い手書き文字のFAX原稿をパソコンに打ち込みながら、原稿を味わうのが毎月の楽しみでした。

「山の本棚」は、本の紹介コーナーでしたが、単なる山岳書の書評ではなく、池内さんならではの文明への鋭い批判や市井の人々への優しい眼差しが描かれているのが特徴的でした。何より、その選書のバラエティの豊かさには驚かされました。

『日本アルプスの登山と探検』(ウェストン)のような山岳書の古典から、『越後の旦那様 高頭仁兵衛小伝』(日本山岳会 編)といった知られざる山の本。さらに民俗学――『山の人生』(柳田國男 編)、『民俗のふるさと』(宮本常一)、動植物――『高安犬物語』(戸川幸夫)、『木』(幸田文)、旅――『東海道五十三次ハンドブック』(森川昭)、怪談――『百物語』(杉浦日向子)、建築――『建築家の名言』(Softunion編)など多種多様。「山の本」といっても、これほど豊かな広がりがあるのだと、改めて思わされました。

全153回、13年にわたる連載を一冊にまとめたこの本の中から、私が気になった3冊をご紹介します。

 

『チロル傳説集』(山上雷鳥)

池内さんが、古書店の「とっておきコーナー」で見つけた、というこの本。1932年の刊行。イギリスのチロル研究者が信濃大町にある仁科三湖を描写する、という摩訶不思議な本らしいのです。その描写には奇妙なリアリティがあり、「遠いチロルの山上湖が、ひっそりと山影を映した仁科三湖と二重映しになって、まざまざと目に浮かんでくる」そうです。どういうことなのだろう、と思わされますが、実はこの「山上雷鳥」なる人物、登山家の藤木九三のペンネームなのです。藤木九三は、ロック・クライミング・クラブの創設者で、『屋上登攀者』などの著書も多数。今では古書でしか手に入らないこの本、とても気になりました。
(黒百合社、1932年刊、絶版 →Amazonで確認する

 

『写真句行 一茶生きもの句帖』(小林一茶 句 高橋順子 編 岡本良治 写真)

登山の帰途、信濃町にある一茶記念館に立ち寄り、一茶の句に生きものがモチーフとなるものが多くあることを知りました。そんな一茶の生きもの句を集めたのがこの本です。一茶の生きもの句は、選ばれたものだけで、なんと483句もあるそうです。「つねに社会的弱者の視点に立ち、そこから小さな生きものに特有の愛嬌と尊厳を見てとった」とはいえ、それは一茶のある一面ではないか、というのが池内さんの考え方。「ふだんは、もっと自由な、素直な、とらわれのない目で見ていた」「かぎりない無私の愛情がないと、こんな句はつくれない」と分析します。一茶の句を味わいながら、虫や鳥など眺めてみたいと思いました。
(小学館文庫、2002年、電子版あり →Amazonで確認する

 

『幕末下級武士の絵日記 その暮らしと住まいの風景を読む』(大岡敏昭)

石田三成らの「水攻め」で知られる、埼玉県行田市にある忍城。幕末に近いころ、忍藩に仕えていた尾崎石城という侍がいました。石城は筆まめな上に絵が描けたので、日々の暮らしを絵入りの日記にして残しました。幕末の下級武士がいかなる住まいに住み、どのような暮らしをしていたのかが絵とともに残されているそうです。現在、映画やドラマなどの再現映像で幕末の様子を見ることができますが、当時の人間が実際に見たものを描いているとなると、その説得力はどれほどのものでしょうか。しかも、歴史を動かすような大名・貴族の話ではなく、飾らない下級武士の日常となれば、映画などでも描かれることは少ないと思います。「生活に窮していても貧しくはなく」「毎日おおらかに生きて、人との絆を大切にした」「どうやらのちの「豊かな社会」が失ってしまったものを、ごく自然にそなえていたようである」と池内さんは書き記しています。その様子、ぜひこの目で見てみたいものです。
(新訂版、水曜社、2019年、電子版あり →Amazonで確認する

(神谷浩之・山と溪谷社)

 

山の本棚

発売 2023年6月15日
著者 池内紀
価格 1,980円(1,800円+税10%)
体裁 四六変型判並製 472ページ
装幀 櫻井 久(櫻井事務所)
ISBN 978-4-635-17212-7
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著者プロフィール

池内紀(いけうち・おさむ)

1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。『池内紀の仕事場』全8巻(みすず書房)、『山の朝霧 里の湯煙』(山と溪谷社)ほか、著訳書多数。『諷刺の文学』(白水社)で亀井勝一郎賞、『恩地孝四郎』(幻戯書房)で読売文学賞、『海山のあいだ』(マガジンハウス)で講談社エッセイ賞、『ファウスト』(集英社)で毎日出版文化賞、『カフカ小説全集』(白水社)で日本翻訳文化賞、『ゲーテさんこんばんは』(集英社)で桑原武夫学芸賞をそれぞれ受賞。2019年8月没。享年78。

登る前にも後にも読みたい「山の本」

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