絶対に逃れられないジェットコースターに載せられたようだった・・・北アルプス・白馬乗鞍岳裏天狗の雪崩事故①

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2007年から2021年まで、全国で起きた雪崩事故を検証、最新の事例ごとに時系列で展開したノンフィクション『証言 雪崩遭難』(山と溪谷社)より、「2020年2月28日 北アルプス・白馬乗鞍岳裏天狗の雪崩事故 スノーボーダーが雪崩に埋没、3時間1分後に無事救出された事例」を抜粋して紹介。

文=阿部幹雄

北アルプス・白馬乗鞍岳裏天狗の雪崩事故①

確実にやばい雪

日本山岳ガイド協会のスキーガイドⅡの検定試験を受けるガイド8名と国際山岳ガイドの検定員2名が、2つのパーティに分かれ、白馬乗鞍岳裏天狗周辺で行動していた。検定は受験するガイドたちがガイド役、客役を交代しながら白馬の山域で10日間連続して行なわれる。検定では、雪崩に巻き込まれた人の捜索と救助を行なう能力、積雪安定性を調べる能力、雪山でのロープワーク、ガイドとして雪山で必要な技術、判断力、行動をトレーニングしつつ評価される。10日間の検定により、一定の能力を身につけたガイドがスキーガイドⅡとして認定される。

2020年2月28日、検定3日目。栂池高原スキー場から白馬乗鞍岳裏天狗を目指していた検定パーティが、雪崩事故を目撃した。

そのパーティの検定員は国際山岳ガイドの黒田誠(46歳、長野県小谷村在住)、ガイド役はスノーボーダーの高田健史(33歳、北海道京極町在住)。客役は双樹智道(36歳、札幌市在住)、渋澤暉(25歳、長野県信濃町在住)、石川和博(47歳、北海道倶知安町在住)の計5名パーティだった。もう一つのパーティの検定員は国際山岳ガイドの佐々木大輔(43歳、札幌市在住)とガイド4名の計5名。

2つの検定パーティは栂池高原スキー場ロープウェイ自然園駅を降り、黒田のパーティは白馬乗鞍岳裏天狗を目指した。佐々木のパーティは鵯(ひよどり)峰を目指した。

裏天狗を目指したパーティのガイド役高田が、先頭でラッセルしていた。

「足裏が気持ち悪い。雪が変だ」

高田は裏天狗へ登る斜面の途中でピットチェックを行なった。

2日前に南岸低気圧が太平洋側を通過、雪崩の弱層になる降雪結晶が降っている。そして通過後に2日間、吹雪が続き、積雪が50~60センチ増えていた。予想どおり、簡単に破断する弱層が2つあった。

表層14センチはウインドスラブに近い新雪。その下48センチはさらさらとしてすかすかの雪。その下に降雪結晶の弱層があった。シャベルコンプレッションテストで破断したのは、表層から14センチの層とさらさら・すかすかの雪の境界、表雪面から62センチ下にあった降雪結晶の層だった。

「雪崩リスクのことを考えなければ滑って楽しい雪だ。でも急斜面、吹きだまりができる風下斜面を滑ったら、確実にやばい」

高田は雪崩の危険度が高いと判断した。検定を受けているなかで最年少の渋澤の認識も同じだった。

「大きな斜面で大きな衝撃を与えれば、大きな雪崩が起こり得る」

ガイドたちの認識は、今日の雪は「やばい雪」、「今日は危険」で全員が一致していた。

プロスノーボーダーの2人連れ

スプリットボードの2人連れが、ピットチェックをしていた高田たちを追い抜いた。

「おはようございます。今日は暑いですね」

大町市に暮らすプロスノーボーダーであり、自分のブランド「アウトフロー」を持つ西山勇(44歳)が高田に挨拶をした。服装から、2人がやんちゃな〝横乗りライダー″に見えた。

渋澤の印象だ。

「地元民の雰囲気があった。地元の山をよく知っていて、この辺をけっこう滑っているにちがいない。ライダーの服装がイケイケという感じだ。かなりうまい人たちだろう。2人は登りもサクサクと速い。2人はどこを滑るのだろう。緩斜面の滑降で満足しないはずだ」

西山の同行者は地元、小谷村に生まれ小谷村に暮らすプロスノーボーダーの澁谷謙(42歳)。歩き出したとき、鵯峰北斜面を滑るつもりだった。しかし、谷が雲に包まれていた。見上げると裏天狗方面は雲が切れ、青空が広がりはじめていた。光がない暗い斜面を滑るより、明るい斜面を滑りたかった。澁谷が見たネット交流サービス(SNS)では、雪崩の危険がかなりあるという情報がいくつも投稿されていた。しかし、場所を選べば大丈夫と思っていた。

澁谷は焦っていた。5人もの先行者がいる。ほかにも先行者がいるだろう。雪が少ない冬だった。この日、栂池高原スキー場の山麓では積雪10センチしかなく、まとまった雪が降ったのは一カ月ぶりだった。この冬、パウダーを滑る最後の日になるかもしれない。ファーストトラックを刻みたい澁谷と西山。2人は焦っていた。

真逆のベクトル

西山がスノーボードブランド「アウトフロー」を始めたのは30歳の時。プロライダーと自分のブランドの経営を両立させるのは大変だった。それでも一シーズン70日から80日は滑り、3分の1はバックカントリーだった。30歳後半になると滑る日数が徐々に減り、60日くらいになった。2月は1年でいちばん忙しい時期だ。来シーズンモデルの展示会が横浜で行なわれ、人前で話すのが不得意なのに1年でいちばんしゃべらなければならない。しかも不慣れな都会。帰ってくるとサポートを受けているウエアメーカーのツアーが週末にあり、60人ほどの客といっしょに滑った。翌週は自分のブランドの試乗会が開催される。疲れているのでひと息入れたい。日本海へサーフィンに行こうと思っていたら、夜10時ころ、澁谷からバックカントリーの誘いの電話がかかってきたのだ。

「明日、山の雪はいいかもよ。パウダーを滑れるのは今シーズン最後になるかもしれない」

澁谷の誘いに乗った。バックカントリーへ行くのがシーズン初めてになる。海へ行こうとしたベクトルが、真逆の山へ行くことになったのだ。西山は山へ行く気持ちが整っていなかったという。

「久しぶりにパウダーを滑れるぞ。カメラマンがいない。セッティングする必要もない。自分たちでいい雪を滑ろうよ」

西山は、気軽な気持ちで入山した。だからなのか、雪崩トランシーバーをチェックするため駐車場で電源を入れたのに切ってしまっていた。理由は、電池がもったいないと思ったからだ。

「電池がもったいない」

なんでそんな馬鹿げたことを考えたのか。西山自身も不思議に思っているが、バックカントリーを滑りにいくのがシーズン初めて、海へ行く気持ちだったのに山へ行ったことが影響している。西山たちは、スキー場で滑っているとき、雪がよければちょっとだけコース外を滑降することが多いという。そのため、コースを外れるときに雪崩トランシーバーの電源を入れる。

澁谷と滑るときは、滑る直前に雪崩トランシーバーのチェックをするのが習慣だった。

11時40分、雪崩発生

高田は裏天狗の山頂稜線まで登り、緩斜面を滑ろうと考えていた。稜線に着くとボーダーの西山がちょうど滑り出そうとしていたが、澁谷の姿はすでになかった。

「こんな所(風下の急斜面)を滑るんだ」

裏天狗の東斜面は地形図を見ても等高線間隔が狭く、急斜面であることがはっきりしている。高田たちガイドには、この斜面を滑るという選択肢はなかった。

渋澤は前から3番目を歩いていた。西山が滑ろうとしている斜面の雪崩リスクが高いことは、ピットチェックからも地形図からも分かりきっていた。滑ろうとしている西山のことが気になる。

「そこを滑って大丈夫?」

とっさに西山が滑ろうとしていた東斜面が見える位置まで行き、斜面を覗き込んだ。覗き込んだ瞬間、雪煙がぶわっーと舞い上がった。もくもくと雪煙が盛り上がり、高さは10メートルを超えた。雪崩と雪煙が猛烈なスピードで東斜面を流れていく。東斜面全体が雪煙に覆われ見えなくなった。

尋常な雪崩ではなかった。

「すごいパワーを感じる雪崩だ。巻き込まれたスノーボーダーはどうなっているのだろう」

渋澤は、雪煙が収まるまで東斜面を見続けた。東斜面が見えるようになってもスノーボーダーの姿はどこにも見当たらない。

「雪崩れました!」

すごい雪崩を目撃して興奮した渋澤は、最初に検定員の黒田に報告した。黒田は「あぁそうか」という感じで素っ気ない。ガイド役の高田に報告しても「あっ、そう」という静かな反応で驚かない。興奮しているのは、雪崩発生の瞬間を目撃した渋澤だけだった。

画像の説明

稜線付近の破断面。降雪結晶が降ったあと、2日間強風が吹き、50センチの 降雪があった(写真提供=渋沢暉)

裏天狗東斜面、西山は稜線からノール地形(凸状地形)になっている風下の急斜面へ滑り込んだ。

「よい雪じゃん」

滑り出しの第一印象はよかった。滑り込んだ斜面は風が当たり、雪の表面がパックされ硬くなっていた。だが、事態が激変する。

「(雪に)風が当たっているから〝パリパリ″と雪がエッジにくっつく感じがした。ツルツルと行って一つ目のバンクがあったので、ツーサイドからつま先で入っていこうとフロントターンを当てたと思ったんですけど、なんかパリパリと雪がエッジにくっつくような感覚だった。エッジに氷でも付いていたかなと思った。そのとき、なんか嫌な感覚が。パリパリパリという感じ。とにかく滑らない雪だなという感覚でした。小さなフロントバンクに失速気味に行ってなんとか当てた。スピードがないなあぁ……と思いながら、ヒールサイドを当ててふっと後方を見たら雪煙が見えた」

西山が雪崩に気づいた瞬間だ。雪崩の雪煙が襲いかかってきた。

「あれっ!と思った瞬間、足元からどーんともっていかれました」

西山は転倒、流されはじめる。

「周囲は雪煙でぼわーっと真っ白な状態。自分で何もできなかった。真っ白な濁流の中を落ちている状態。ただ両手を広げ、バランスを取って流されていた。下からどーんと突き上げられ、前転しました」

そのため、頭を斜面下方にして流されはじめた。頭を上方に戻したかったが、どうすることもできない。ただただ、雪煙を見ているだけだった。再び地形の起伏があり宙返りした。おかげで足を下方に、頭を上方の体勢に戻すことができた。西山は雪崩に流されている自分の状況がどうなっているのかわからない。〝絶対に逃れられないジェットコースター″に乗っているみたいだと思った。

「わぁー、わぁー」

叫んだところでなんの役にも立たない。西山は絶体絶命だ。〝ギューッ″と雪の動きが止まった。そのあと背中に〝グーッ、グーッ″とデブリの圧力がかかってきた。動こうとしてもがっちり固まった雪の中に埋もれてしまった。両手の指先だけが、わずかに動くだけだ。

「身動きできないとは、このことか」

全身がデブリに圧迫され、呼吸をしようとしても肺が拡がらない。非常に浅い呼吸しかできなかった。ゴーグルが外れた顔の前に10センチほどの隙間、〝エアポケット″があった。デブリから脱出したい。全力で体を動かそうとすると、一瞬にして心拍数が上がり、〝ドクドクドク″と心臓が高鳴る。もがけばもがくほど窒息が早まるだけだと悟った。

西山は両手を広げ、腰掛けているような体勢で埋没していた。右手に撮影棒に付けたゴープロ(ビデオカメラ)を持っていたため、雪の中にゴープロが引き込まれ、右腕が捻り曲げられていた。足元が明るく見えていた。明るく見えているのは雪面。雪面が足元の先にあると思った。しかし、それは錯覚。西山の方向感覚は失われていた。雪面は、頭上にあった。

「やばいなぁ」

と、考えただけで、心臓はドクドクドクと高鳴り心拍数が上がる。

「やばいと思ったらダメだ。絶対に大丈夫だと思うことにしよう。僕は雪崩トランシーバーを持っている。スイッチを入れている。謙君が助けてくれる。とにかく大丈夫だ。絶対大丈夫だ。もうすぐ助けに来てくれる……」

西山は意識を失った。

 

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証言 雪崩遭難

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阿部幹雄
解説 尾関俊浩
発行 山と溪谷社
価格 1,870円(税込)
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プロフィール

阿部幹雄(あべ・みきお)

1953年、愛媛県松山市生まれ。北海道大学工学部卒。中国の高峰で8人が滑落死する遭難(1981)で生き残り、長年にわたり遺体の捜索収容を行なってきた。新潮社の写真週刊誌『FOCUS』の契約記者としてソ連崩壊や自然を題材にした連載を掲載。2003年から北海道テレビ放送HTBの契約記者。第49、50、51次南極観測隊隊員(2007~2010)。山岳地帯でテント生活をする地学調査隊のフィールドアシスタントとして研究者を支え、安全管理を担当した。仕事のかたわら、雪崩教育や山岳救助に関するボランティア活動を行なっている。 雪崩事故防止研究会代表、日本雪氷学会雪氷災害調査チーム前代表。主な著書は『生と死のミニャ・コンガ』『ドキュメント雪崩遭難』『那須雪崩事故の真相』(いずれも山と溪谷社)など多数。

証言 雪崩遭難

多数の遭難当事者から多角的に取材、彼らの証言から得られた雪崩事故の実像とは――。

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