雪崩トランシーバーの信号がない。「ほんとうにまずい事態になってしまった・・・」北アルプス・白馬乗鞍岳裏天狗の雪崩事故②

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2007年から2021年まで、全国で起きた雪崩事故を検証、最新の事例ごとに時系列で展開したノンフィクション『証言 雪崩遭難』(山と溪谷社)より、「2020年2月28日 北アルプス・白馬乗鞍岳裏天狗の雪崩事故 スノーボーダーが雪崩に埋没、3時間1分後に無事救出された事例」を抜粋して紹介。

文=阿部幹雄

≫①から読む

北アルプス・白馬乗鞍岳裏天狗の雪崩事故②

「おかしい、勇君が下りてこない」

澁谷は、すでに裏天狗東斜面に先行者のトレースが刻まれているのを見ていた。そのトレースを見て思った。

「(滑降は)雪崩になんの影響もなさそうだ」

稜線から、西山が滑る予定の斜面の南側に尾根が延びている。その尾根の南側から東斜面に澁谷は滑り込んだ。スキーヤーズライト側からスキーカット気味に入り込み、雪をチェックしつつそのままフォールラインに沿って滑降した。

「実際、雪はすごくよかったです。悪くない」

ところが、下るにつれ感覚的に嫌な感じがしてきた。スキーヤーズライト側に尾根があったので尾根に乗った。そして尾根の右側斜面を滑り下りた。緩斜面まで下り、西山が滑り降りてくるはずの斜面を見上げていると雪煙が上がった。雪崩が発生したと思った。

「もしかして勇君が、雪崩に入り込んでいないだろうな」

西山が下りてこない。しばらく待ったが、下りてこなかった。電話をかけてみたが通じない。

「おかしい。勇君が下りてこないのはおかしい」

澁谷はデブリの末端へ様子を見にいくため、歩きはじめた。

11時55分、捜索開始

検定員の国際山岳ガイド黒田誠が、捜索の指揮を高田が執るように指示を出す。黒田はすぐに雪崩トランシーバーを受信モードにし、西山が滑降した斜面右手の尾根上を捜索しながら下ることにした。

雪崩は裏天狗の標高2150メートルで発生し、雪崩末端の標高は1790メートル。標高差360メートルを流れていた。破断面から雪崩末端までの長さは550メートル。幅は狭く、最大で25メートル。デブリ末端上方に灌木が生えている緩斜面があるが、その先の急斜面下まで流れ下っていた。デブリが溜まっている場所は、緩斜面とデブリ末端付近だった。

高田は稜線から、雪崩れた東斜面を一望した。デブリの末端が見えないが、雪崩の標高差といい長さといい雪崩の規模がかなり大きい。これはけっこうまずい。巻き込まれた人を早く助けないと、死亡する可能性が高いと思った。

画像の説明

稜線から見た雪崩走路。澁谷は右手の尾根の右側斜面を滑降した。雪崩の末 端は見えていない。雪煙が収まり雪崩末端付近が見えてきた(写真提供=渋 沢暉)

捜索・救助に協力したスキーヤー3名

裏天狗山頂に3人のスキーヤーがいて滑降の準備をしていた。高田たちが捜索しているとき、この3人が東斜面を滑降し、雪崩を誘発すると危険だ。黒田に指示され、渋澤が1人で滑降しないよう協力を求めにいった。

「今、東斜面で雪崩が発生し、人が埋まっているかもしれない。滑るのをやめてください」

渋澤には、3人が〝滑りたいのになんでやめなければいけないんだ″という受け止め方をしているように思えた。

「これから私たちが捜索、救助に入ります。上から人が滑り込むと危険なので待っていただけませんか」

〝雪崩れた斜面の脇を滑れば大丈夫だろう″と考えているようだった。なかなか滑降の中止要請に応じてくれない。3人がいる場所からも雪崩の破断面が見えていた。破断面を指さし、渋澤が言った。

「ここは雪崩れたばかりで下に人がいるかもしれない。ぼくは雪崩を見たんです。滑るのをやめてください!」

ようやく3名は納得。

「僕らに手伝えることがありますか?」

彼らから、申し出があったという。渋澤は3人に捜索現場に上から人が入ってこないよう、見張り役を依頼。お互いの携帯番号を教え合った。

4名のガイドの捜索

高田は客役のガイド3名に雪崩トランシーバーを送信から受信に切り替えさせ、受信モードを確認。2人一組で稜線から滑り下りながら捜索するよう指示を出した。

客役の渋澤と石川が先行し、高田と双樹が後続。高田が最後尾となって捜索全体の動きを俯瞰する。捜索を開始し、人がひっかかりそうな樹木があれば、高田と双樹が根元周辺をスポットプロービングした。このようにして4名で稜線からデブリ末端まで雪崩トランシーバーの捜索を終えた。しかし、西山の雪崩トランシーバーの発信信号を捉えることはなかった。

4人の先頭になり雪崩トランシーバーで捜索をしていた渋澤が、デブリ末端に到着しようとしていたとき、歩いてくる澁谷の姿を見つけた。さっき出会った2人組のスノーボーダーの一人だと気づいた。澁谷はなにか困っている感じが漂い、歩く感じもとぼとぼ自信なさそうだった。渋澤が澁谷に大声で叫んだ。

「お仲間の方はいらっしゃいますか?」

「いないです」

「ビーコンは着けていらっしゃいますか?」

「ビーコンは持っています」

「朝、ビーコンのチェックをしましたか?」

「朝、チェックをしていないです」

「チェックしていない」と聞き、渋澤は西山が雪崩トランシーバーの電源を入れ忘れていると思った。高田に大声で報告し、高田が無線で黒田、佐々木に報告をした。

雪崩トランシーバーを持っているのに信号が捉えられないなら、西山が電源を入れ忘れているか、故障しているかだ。捜索している黒田と高田たちは、デブリから脱出した西山のトレースを発見していない。西山が雪崩に巻き込まれ、埋没していると判断せざるを得なかった。西山はデブリに埋まっている。だが、雪崩トランシーバーを使った捜索が不可能で、プローブ捜索しか西山を発見できる方法がない。高田は、ほんとうにまずい事態になってしまったと思ったのだった。

画像の説明

雪崩は標高差360メートル、長さ550メートル、幅は最大で25メートル。雪 崩の原因の弱層は降雪結晶だった(写真提供=渋沢暉)

12時14分、大町警察署へ通報

国際山岳ガイドの佐々木大輔が検定員を務めている5名パーティは、雪崩現場から下方に40分ほど離れた谷の中にいた。無線で佐々木、黒田、高田は交信を重ね、情報を共有していった。佐々木パーティの4名は、高田パーティに合流して捜索に参加。佐々木は捜索するガイドたちの安全を確保するため、デブリから離れた小高い場所で見張りにつくことになった。そして、警察や関係者への連絡役になった。警察へ通報するには、遭難者と同行者の氏名が必要だ。佐々木が無線で黒田に問い合わせた。埋没しているのが西山勇、同行者が澁谷謙と分かった。2人は佐々木の5、6年来の友人だったのだ。

友人の西山が埋没している事実は衝撃的だった。この衝撃的な事実を知った佐々木はできるかぎりのことをやり、西山を助けたい。西山は1年ほど前に結婚したばかりだった。西山の妻の携帯番号を知らなかった。まず警察へ通報。西山の妻へ連絡するため、佐々木と西山、共通の友人たちへ連絡を開始した。

12時25分、スラロームプロービング開始

雪崩に埋没し、生存の可能性が高いのは、埋没後18分までだ。18分後までに救出すれば、約90パーセントの人は生存している。時間の経過とともに生存率は低下し、1時間後には約20パーセントに下がる。しかし、「エアポケット(呼吸空間)」があれば、生存できる。雪崩の死亡原因はほとんど窒息だ(参照『増補改訂版 雪崩教本』113ページ、山と溪谷社)。

高田は、絶望的な気分に陥っていた。雪崩の規模が大きいのに埋没している可能性が高い範囲を絞りきれていない。デブリが溜まる場所である樹木や岩のある場所が埋没可能性が高いのだが、すでに高田たちはデブリ末端まで下っている。今から破断面まで登り返し、再捜索することはできない。デブリの堆積が多い緩斜面と緩斜面の下方、デブリ末端をスラロームプロービングで捜索するしか生存救出の可能性は残されていなかった。

画像の説明

スラロームプロービング

世界最新の捜索法「スラロームプロービング」

スラロームプロービングは、短時間に広範囲を捜索できる世界最新のプローブによる捜索方法だ。開発したのはマウンテン・セーフティー・ドット・インフォ(国際NGO団体、本部スイス)のマニュエル・ゲンシュワインたちのグループだ。日本雪氷学会北海道支部「雪氷災害調査チーム」と雪崩事故防止研究会は、2015年12月マニュエル・ゲンシュワインを札幌に招聘。雪崩サーチ&レスキュー(AvSAR=アブサー)の講習会を開催した。山岳地帯で起きた雪崩事故の現地調査のため、所属ガイドは研究者をサポートして連れていく。「雪氷災害調査チーム」の安全を守るため、最新の捜索救助法を学び、身につける必要があった。私は、「雪氷災害調査チーム」と「雪崩事故防止研究会」の代表を務めていた。

続いて2016年、17年、18年と4年連続してマニュエル・ゲンシュワインを招聘。2017年から、雪崩事故防止研究会が主催者となり、AvSAR(アブサー)講習会を開催していた。高田、双樹、渋澤、石川はAvSAR(アブサー)講習会に参加し、佐々木は講師を務めていた。

マニュエル・ゲンシュワインが教えたスラロームプロービングを知っているガイドが、10名のガイドのなかに5名いた。捜索に協力したスキーヤー2名、澁谷、そして黒田に高田と石川がスラロームプロービングを教えた。

検定試験中のガイド9名、たまたまい合わせたスキーヤー2名と澁谷、合計12名。高田が2パーティに分かれ、スラロームプロービングによる捜索を開始することを命じた。

スラロームプロービングの捜索開始、12時25分、雪崩発生から45分が経過していた。

偽のプローブヒット

両手を広げた間隔で捜索する者が1列に並んでラインを作り、左端に立つリーダーが号令をかける。

「プローブ、前、右、右、前、左、左、前、右、右……」

整列を終えた最初の「プローブ」の号令、移動方向の号令、「前」、「右」、「左」がかかるたびにプローブを1.5メートルの深さまで刺す。生存可能性が乏しい1.5メートル以上の深さの捜索は行なわない。

緩斜面を捜索していた高田のパーティでプローブがヒットした。何か硬い異物に当たったのだ。

「出てきてくれ」

みんなは祈るような気持ちで1.5メートルの深さまで掘った。だが、出てきたのはダケカンバ。ヒットは〝偽″だった。

13時過ぎ、長野県警航空隊のヘリが飛来した。上空から捜索を行なうため、地上の者たちが待避する。ヘリから西山の体の1部、帽子や手袋などの残留物も発見できなかった。燃料を補給するため、いったん県警ヘリは現場を離れ、スラロームプロービングが再開された。

再び、プローブヒットがあった。

「もしかしたら木じゃないか」

高田は、そんな予感がした。1.5メートルまで掘ったが、今度も出てきたのはダケカンバだった。雪崩発生から2時間が経過している。

「2時間埋没していたら、生存の可能性は少ない。諦めの気持ちが半分、確実にありました」

偽ヒットは、捜索する人を体力的にも精神的にも消耗させた。

 

≫NEXT

 

証言 雪崩遭難

証言 雪崩遭難

阿部幹雄
解説 尾関俊浩
発行 山と溪谷社
価格 1,870円(税込)
Amazonで見る

 

動画も公開中!

プロフィール

阿部幹雄(あべ・みきお)

1953年、愛媛県松山市生まれ。北海道大学工学部卒。中国の高峰で8人が滑落死する遭難(1981)で生き残り、長年にわたり遺体の捜索収容を行なってきた。新潮社の写真週刊誌『FOCUS』の契約記者としてソ連崩壊や自然を題材にした連載を掲載。2003年から北海道テレビ放送HTBの契約記者。第49、50、51次南極観測隊隊員(2007~2010)。山岳地帯でテント生活をする地学調査隊のフィールドアシスタントとして研究者を支え、安全管理を担当した。仕事のかたわら、雪崩教育や山岳救助に関するボランティア活動を行なっている。 雪崩事故防止研究会代表、日本雪氷学会雪氷災害調査チーム前代表。主な著書は『生と死のミニャ・コンガ』『ドキュメント雪崩遭難』『那須雪崩事故の真相』(いずれも山と溪谷社)など多数。

証言 雪崩遭難

多数の遭難当事者から多角的に取材、彼らの証言から得られた雪崩事故の実像とは――。

編集部おすすめ記事