1954年5月10日のメイストームを再現。爆弾低気圧が多いのは冬季から春先だが、近年になって5月の爆弾低気圧が増加傾向 「メイストーム」という言葉をご存じだろうか? 5月(May)に起きる爆弾低気圧を指すものだが、もともとは1954年5月に発生した固有の低気圧だったという。大きな山岳遭難の原因となっているメイストーム、この“元祖”についてひもとくとともに、近年の爆弾低気圧の傾向を確認する。 2024.05.02
低体温症の恐ろしさ――、強風が退路をはばんだ3つの事例から学ぶ(1902八甲田山、1963薬師岳、2009鳴沢岳) 登山中のリスクで、季節を問わず気をつけたいのが「低体温症」。気温、風、そのほかの3つの要因で発生するといわれる低体温症だが、今回は特に「強風が退路をはばんだ事例」について注目。過去に取り上げた遭難事例から、低体温症の恐ろしさを考える。 2024.01.12
八甲田山雪中行軍遭難事故の検証 ~雪中行軍ルートを辿り、強風で飛ばされそうになりながらも紅葉が始まった八甲田山に登る~ 2023年6月に発表し、大きな反響を呼んだ「NOAA(アメリカ海洋大気庁)による再解析データを用いた八甲田山雪中行軍遭難事故の検証記事」。その再検証のために八甲田山に訪れた山岳防災気象予報士の大矢康裕さん。地形や当時の資料を確認すると、あらためて事故当時の状況が見えてきたのだった。 2023.10.12
『聖職の碑』遭難事故の真実――、不安定な天気による風雨が体力を奪い、爆弾低気圧のように発達した台風が追い打ちをかけた 今から約110年前、1913年8月26~27日に起きた、『聖職の碑』遭難事故。台風接近による暴風雨が直接の原因だが、NOAA(アメリカ海洋大気庁)の再解析データにより解析すると、知られざる真実が明らかになってきた。多くの貴重な教訓を含んだこの遭難事故を、台風シーズンの今、あらためて取り上げる。 2023.08.10
1902年1月の八甲田山雪中行軍遭難事故の真実/鮮やかに蘇った120年前の天気図と気象状況 登山者ならずとも、冬山での遭難事故として、多くの人が知っている『八甲田山死の彷徨』。1902年(明治35年)に199名が凍死した大惨事の原因は大寒波と異常低温とされているが、実際に当時のデータを紐解いてみると、意外な事実が浮かび上がってきた。 2023.06.16
1965年ゴールデンウイークに起きた「メイストーム」による大量遭難事故――、東シナ海低気圧によって想像できないほどの暴風雪が襲う GWの時期、「メイストーム」と呼ばれる現象で、急な天候変化が起きることがある。過去にもGWに気象遭難は多発しているが、なかでも1965年には、このメイストームにより死者62名にものぼる事案が発生していた! 2023.04.18
日高山脈で起きた国内最大級の雪崩と、感動を呼んだ『雪の遺書』。1965年3月の北海道大学山岳部の雪崩遭難事故。 雪山での重要なリスクの一つである雪崩。1965年3月に起きた「国内最大級の雪崩規模」とされる『北海道大学山岳部の雪崩遭難事故』と、感動を呼んだ『雪の遺書』を資料に、雪崩のメカニズムを読み解き、その教訓を考える。 2023.01.30
1980年12月逗子開成高八方尾根遭難事故の真相――二つ玉低気圧のちドカ雪のち晴れ、動かなければ助かったかも 1980年12月に起きた逗子開成高校八方尾根遭難事故の真相と過去のデータを紐解くと、さまざまな教訓が見えてくるという。その中でも特に重要なのが「内陸部にある山岳では12月のドカ雪に注意、しかし12月のドカ雪は待てば止む可能性が高い」ということである。 2022.11.17
台風通過後も続いた暴風雨――、北海道では常識は通用しないこともある。1999年9月羊蹄山登山ツアー遭難事故の教訓 「台風の進行方向(北東)の右側は危険半円」とよく言われるが、すべての台風において当てはまるわけでもなく、また地域によってもその実情が変わるケースもある。1999年9月に北海道・羊蹄山で起きた遭難事故を紐解くと、常識だけでは判断できないことが見えてきた。 2022.10.03
もしも今、伊勢湾台風が襲ってきたら山の天気はどうなるのか? JRA-55を使って当時の状況を再現 台風災害としては明治以降で最多の死者を出した、1959年の伊勢湾台風。この台風は、大台ヶ原の原生林を一夜で立ち枯れ林としたほど、山岳地帯にも甚大な被害を出したことでも知られているが、はたしてこの規模の台風が再び上陸したら――。そんなシミュレーションを、JRA-55を使って再現する。 2022.08.24