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往復路共、廃道を突き進め~無名峰・長田山~

長田山[四万十町]( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 高知自動車道四万十町東ICを降り、国道56号を南下後、山株交差点を左折して四万十町平野地区に向かい、平野集会所に駐車した。但し、集会所が使用されている場合、駐車は好ましくない。その南東の墓地山入口に広場があるが、私有地か共有地かは不明。

この登山記録の行程

平野集会所11:53頃・・・北に伸びる尾根12:26・・・山頂で休止13:25頃~14:02・・・平野集会所14:58

コース

総距離
約3.5km
累積標高差
上り約311m
下り約312m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

四万十町の旧窪川町域の地形図で山名が未表記の三角点峰については、基準点配点図では山名らしき名称が記された点名が沢山あり、無名低山の宝庫となっている。旧窪川町の平野地区の住民に最も知られている山は、中腹に住吉神社が鎮座する無名峰だが、その西隣に点名が長田山(528.5m)という無名峰がある。住吉社の山より山体が大きく、どっしりした山で、稜線より北側は国有林になっている。

長田山について唯一ネットで紹介している四国一のピークハンターのホームページでは、山名の読み方を「おさだやま」としているが(点の記に記されているのかも)、正しい読み方は「ながだやま」である。これは人名の苗字「長田」からきている。

明治の戸籍制度により、平野集会所の西側の民家の住人が名乗った姓だった。恐らく集会所とその民家に挟まれた長い谷に作られた水田から取ったものだと思われるが、現在、その谷の水田部の地名はカタカナ表記で「ナカタ」と書く。後世、長田氏は姓を変えたが屋号として残っている他、俗称の地名としても使用されてきた。長田山とは「長田の背後の山」という意味である。

前述の四国一のピークハンターは住吉社の山から縦走して登頂しているが、同じルートを辿れば後塵を拝すことになるため、死んでも辿りたくない。ルート考察に於いては、北方の四道峠から縦走するか、国有林内の新道山林道から登るか、山の南側の谷を遡るか、と、考えた。四道峠からだと距離が長くなり過ぎ、新道山林道からだと、林道のゲートの有無を森林管理署に確認する手間がいる。

そこで森林基本図に破線が記載されている、集会所の南東の谷沿いを登ることにした。しかしその谷から集会所までは猪除けの柵が上流まで張り巡らされており、扉も何十にも紐が巻き付けられ、容易に開けることができない。
思案した結果、同じく森林基本図に破線が記載されているナカタの谷沿い道を遡ることにした。

最初は軽トラ道のような野良道だが、沢を横断した所の十字路で北東に折れる。少し行った所にも猪柵の扉があったと思うが、ここの扉の紐は比較的解き易かった。勿論、柵内に入ると紐を元通りに結ばなければならない。
小さな溜池手前で茅がヤブ化しているが、溜池の左沿いの茅をかき分けると沢沿いに小径が続いている。

最初はきれいだった小径も竹藪沿いに来ると竹の倒木群で進むのが困難になる。そこで少し引き返し、渡渉し易い所で沢を渡渉し、対岸の斜面を登った。植林帯だが、涸れ沢のような箇所を見つけ、それに沿って登る。
高度計高度325m(誤差あり)で左手の支尾根に移り、北東に上って行くが、高度365m(誤差あり)で北に伸びる主尾根に取付く。

主尾根だけあり、うっすらと踏み跡もついている。雑木が植林帯に変わるとシダが繁茂してくる。そして420mピークから東の痩せ尾根はヤブに覆われている。それでも何年か前に刈り払った跡があるので、ヤブ漕ぎしながらその跡を追って行く。

やがて視界が開け、長田山のすぐ西のピークが目に飛び込んでくるが、そのピーク直下まで道徳地区方面から作業車道が上がってきていた。手持ちの平成11年発行の地形図には記載されていない道である。この作業車道が出来たため、平野地区からの長田山の登山道やその周辺を越える峠道が廃道化したのだろう。

そのピーク直下は植林をして間もないためか、鹿よけネットが張り巡らされていた。ネットが現れて以降、尾根のヤブは浅くなり、ヤブ漕ぎから解放される。北方から西方にかけての展望も開けている。最も遠方の白いピラミッド状の箇所は仁淀川町の鳥形山鉱業所だろうか。

そのピークから先は国有林と民有林との境界尾根ということもあり、ヤブのない尾根道が続いていたが、山頂の手前だけヤブ化していたので、そこを迂回して山頂に達する。山頂はごく一般的な(マイナー峰に於いて)落ち葉に覆われた展望のない広場。

復路はヤブ漕ぎをしたくないもの。往路の痩せたヤブ尾根の南の谷に峠道が残っていればいいのだが、と思っていると、谷方向に向けて急傾斜の斜面を下るピンクのテープが現れた。その斜面は植林帯故、造林作業者が付けたものだろう。このテープを辿れば昔の峠道に出るのでは、と思い、道なき斜面を下って行った。

涸れ沢の源流部手前でテープは途切れたが、踏み跡はないとは言え、その涸れ沢沿いが歩き易くなっている。森林基本図に記載されていた破線道跡だろう。何度か左右岸へと渡るが、その箇所もルートは明確に分かる。歩けるスペースが限られているからである。
右岸に竹藪が出てくると麓は近い。一旦涸れ沢を歩いてからまた左岸に移るが、ほどなくして竹藪がなくなり、往時のきれいな峠道が現れる。

道が沢を外れて東進して行くとビニールハウス群上の茅のヤブに出る。そこは西に進むとコンクリート道になり、ハウス群の真ん中を南北に走る道路に出て南下する。ハウス群を抜けるとゲートがあるが、これは登山開始前、登山口を探していた際、確認済。ゲートを少し持ち上げ気味に強く押すと開く。
県道に出る手前の左手の民家も前述の元長田姓の住民と同じ姓なので、一族なのだろう。

下山後は車で山株交差点の一つ北の交差点まで戻って県道323号に左折し、県道19号に出ると西に折れ、一斗俵地区へと移動した。四万十川最古の沈下橋である昭和10年建設の一斗俵沈下橋を見学するため。この橋、驚くことに国の重要文化財に登録されていて、駐車場まで整備されている。庶民の暮らしの一部でもあった沈下橋が文化財に登録される等、昭和期では考えられなかったこと。

その見学が終わるとやや下流にある、四万十川の沈下橋の中では最も新しく、上流域の沈下橋の中では最長の昭和40年に建設された清水ヶ瀬沈下橋(清水大橋)を見学した。こちらは駐車場が整備されていることを知らなかったため、北の川橋南袂から南西に下って行ったが、そのやや上流の四万十源流大橋西袂に駐車場とトイレがあった。そこに駐車した場合、橋袂から河原に下り、下流に歩いて行けばすぐ清水ヶ瀬沈下橋が現れる。帰路は沈下橋を渡り、県道に上がって源流大橋東袂付近まで行くと、東側に展望台への小径が現れる。その展望台からは一斗俵沈下橋から下流の堰を見渡すことができる。

このように去年12月からは「マイナー峰登山+下山後の楽しみ」という形で一日を有意義に過ごしている。逆に言えば下山後の楽しみがなければ、マイナー峰に登る(ルート開拓登山)ことはないかも知れない(県外の山を除く)。

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