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約270年前の鉄の鳥居の石鎚遥拝所~星ヶ森峠ロングコース~

星ヶ森峠( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

曇り

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 国道194号と国道11号が交わる加茂川橋交差点を北西に進み、県道13号、県道149号を経由して国道196号を南下。国道11号と交わる交差点はそのまま直進し、道なりに松山自動車道下のトンネルを抜けて道の駅・小松オアシス直下を東から南に進み、四差路に出ると南西の本谷林道に折れる。
遍路道分岐(道標なし)から小松川を渡って南西に上がって行き、通行止めロープのやや手前の広場に駐車する。駐車スペースは三台分。
尚、加茂川橋交差点から国道11号を西進しないのは、信号が多く、いつも渋滞するから。

この登山記録の行程

駐車場所11:21・・・おこや11:44・・・高度計高度465m地点で休止12:09~12:28・・・平野林道13:03・・・石鎚展望台13:40・・・858m独立標高点西下で休止13:44~13:48・・・星ヶ森峠で休止13:59~14:25・・・妻白神社往復後、参道入口付近で休止15:01~15:14・・・おこや16:12・・・駐車場所16:29

コース

総距離
約9.8km
累積標高差
上り約733m
下り約736m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

四国霊場中、三番目に標高が高い地点(740m)にある60番札所・横峰寺の南西に位置する標高820mの星ヶ森峠は石鎚山遥拝所の一つで、横峰寺奥の院「星ヶ森」となっている。仏堂は現在なく、弘法大師や地蔵の石仏があるだけだが、峠の端に手水鉢と鉄(かね)の鳥居がある。鳥居は「発心門(はっしんもん)」とも呼ばれ、寛保2年(1742)に建立されたもので、石鎚教信者や遍路はここから石鎚山を遥拝する。

星ヶ森峠は白雉2年(651)、役行者が金剛蔵王権現を感得して小堂を建立した聖地だったが、弘法大師も弘仁年間(810~824)、巡錫の厄除けため、ここで星供の秘法を修し、21日間に亘って石鎚山を往復した。その結願日に金剛蔵王権現が示現したことから、伽藍を建立、霊場に定めた。以後、この峠を「星ヶ森」と呼ぶようになった。

横峰寺には昭和59年、有料の平野林道が開通し、星ヶ森にも散策程度で登れるようになったが、林道の通行料が1,850円(普通車)と高く不評で、遍路道を登るハイカーも多い。遍路道は主なもので5コースあるが、最も利用されているのは四国のみちにも指定されている湯浪コース。しかし地形図を見ると谷を一直線に上っており、南側の虎杖コースほどではないにしろ、急登は避けられない。

そこで車で岡村コース(本谷林道)を谷の出合まで上った後、歩道の遍路道との分岐から林道をそのまま最高所の標高400m地点まで上がり、そこから四国のみち指定の白滝コースを登ることにした。登山口の標高は湯浪コースより高いが、コースの距離は湯浪コースの倍以上あり、時間も要す。

ネット地図等では林道は四国のみちが走る稜線に達した所で終点となっているが、そこから先は林業用作業車のみが通行できる道となっている。
四国のみちとして整備された遍路道・白滝コースには最初、丁石が等間隔で設置されている。ほどなく最初の展望地に到る。そこは西側斜面一帯の植林が皆伐されている。その内、丁石は古い時代の「丁石地蔵」に変わる。

岡村コースとの合流地付近は「おこや」と呼ばれる地で、霊場の道しるべやベンチが設置されている。ベンチ奥の平地には昭和20年代まで茶屋があり、団子等を出していた。茶屋撤退後、5本の桜が植樹されたが、幹は細いものの古木のように見える。
確か、469mピーク東方の送電鉄塔の建つ地がコース随一の展望地だったように記憶している。

その内、深さが背丈を超える堀切道になるが、一千年以上前からの遍路や修験者、旅人らの踏圧によって掘下げられてきたのだろう。
道が緩い左カーブを描き、二つの尾根が合流する辺りにもベンチが設置されているが、なぜかその周辺だけ、植林の中に熊笹が生えている。

そこからほどなくで丁石地蔵の建つY字路に到るが、南に折れる道は湯浪コースの古坊に通じていた道ではないかと思われる。しかし遍路道関係の報告書ではこのルートは廃道扱いになっているため、途中でヤブ化するのかも知れない。

平野林道に合流して上って行っていると、なぜか車が上がってくる。この林道は毎年12月下旬から翌年2月末までは路面凍結や積雪により、通行止めにしているはずだが、どうしたことだろうか。通行可能期間も夜間は開放している模様なので、この時期も開放しているのだろうか。だとすれば骨折り損のくたびれ儲けで田園調布に家が建つ(?)。

林道に合流してから少し上がると分岐がある。平成18年発行の地形図では右折する林道が平野林道になっているが、現在、そちらの道は歩行者用コースになっており、車利用者は大きく東に迂回する林道を上がるようになっている。

横峰寺の数百メートル手前で、地形図にも描かれている駐車場やバス乗り場へ上がる道に左折する。これは858mピーク北下にある「石鎚展望台」へ上がるためである。駐車場の南側に道標も設置されている。’02年に愛媛で出版された登山ガイドブックには、この展望台から石鎚山や燧灘が一望できる旨の記述があり、コース随一の展望地だと思っていたからである。

が、道標から少し登ると茅がヤブ化してきて、嫌な予感がする。850mピークには携帯電話か何かの電波塔が建っていたが、ヤブの南下に林道が見えたのでそこに下りるとすぐ目の前に、朽ち果てて廃墟となった木造の展望台が現れた。そこに上らずとも、展望がなくなっていることは分かったが、一応、腐った階段を慎重に上ると案の定、展望は植林で消えていた。

858mピークにも電波塔が建っていたが、そこも展望がないのは明らかなため、そのまま林道を下って行った。
地形図ではこの林道が横峰寺南西の破線起点に繋がっているかのように描かれているが、実際はその2本の道の間にもう一本の林道があり、頭が混乱する。

その破線起点には横峰寺の標柱が建てられており、破線道は林道化していた。しかし通行止めチェーンがあるため、一般車両の通行はできない。
その分岐の先は広大な広場になっている。恐らくかつては星ヶ森関連の仏堂等が建っていたのだろう。

虎杖から上がってきたモエ坂が林道に合流する地点が星ヶ森峠で霊跡「星ヶ森」である。石室に安置された大師や地蔵等の石仏があり、神聖な雰囲気を醸している。しかし藩政時代中期に建立された鉄の鳥居が錆び果てて朽ちずに現在まで残っていることは不思議としか言いようがない。これも弘法大師の霊力によるものか。
残念ながら曇り空だったため、石鎚山の輪郭は霞んでいた。

復路はさきほどの分岐から横峰寺へと下った。境内には複数の大師像が建立されているが、星ヶ森で密教の秘法を修していた、不動明王のような御姿の「星供大師」像もあった。
本堂は山中の寺院らしからぬ、権現造りの重厚なもの。
南東の谷に滝でもあるのでは、と思ったが、取水施設が邪魔で、且つ、川床が滑り易かったため、小振りの滝状流れの全景を確認することはできなかった。

境内を北東に抜け、破線の車道を進むと伏見稲荷のような鳥居が連続する妻白大明神があったので寄ってみた。参道は尾根道を利用しているが、鳥居と鳥居との間隔が広く、中には朽ち果てて支柱だけになったものもある。
大明神を往復するとすぐ往路の道に出て、元来た道を引き返して行った。

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