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阿波一の巨杉から犬山へ

犬山(徳島県三好市東祖谷)( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れのち曇り

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 三好市山城町上名の国道32号の上名交差点から県道45号に折れ、県道32号を通り、東祖谷の新居屋の新居屋橋で国道439号に合流、京上トンネルを抜けた所の三叉路を西に折れ、下浦橋を渡ると南に折れる。
ほどなく現れる集落のY字路に鉾神社、或いは武家屋敷の道標が建っていたと思うが、駐車場所までそれらの道標を追う。
道標を追っていくと、武家屋敷である喜多家住宅下の右急カーブに至るので、そこに駐車する。三台ほど駐車可だが、喜多家見学者の駐車を優先させるため、複数で登山に出かける際は、一台の車で行くこと。

この登山記録の行程

登山口13:06・・・養蜂箱がある三叉路13:16・・・秋葉神社周辺で写真撮影13:27~13:39・・・稜線13:44・・・山頂で休止14:03~14:41・・・稜線起点14:55・・・秋葉神社前ベンチ14:59・・・15:11登山口

コース

総距離
約1.6km
累積標高差
上り約228m
下り約228m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

三好市東祖谷の無名峰・犬山(1072.2m)は、不可思議な山である。地形図(京上)には山名表記がないにも拘わらず、昭文社の道路地図等には山名が記載されている。しかし登山口のある大枝集落では、誰もこの山名を知らないのである。
西方の集落では「いのやま」と呼称するケースがあるようだが、「いの」は大西集落の北方、犬山の南西にある「井ノ丸峠」からきているのかも知れない。

尚、大枝は、文治元年(1185)大晦日、安徳帝一行が寒峰峠を越えて祖谷入りして滞在した最初の集落である。そして登山口のある鉾神社は、安徳帝潜幸時の総責任者であった平国盛(教経の別名とされる)が鉾を御神体として奉ったと言われる社であり、境内には国盛が手植えした阿波一の巨杉・鉾杉(樹高35m、胸高周囲11m)が聳え立っている。
もう一つの登山口がある、鉾神社の上方に建つ藩政期の武家屋敷・喜多家住宅の喜多氏も先祖は平家の公達で、始祖は桓武天皇第五皇子・一品式部親王葛原(つたのはら)王である。

犬山は地形図の等高線を見ると、西と南が急峻だが、大枝から斜面をジグザグを繰り返しながら上がって行き、簡単に稜線に取付くことができる。
稜線は痩せ尾根でスズタケが繁茂しているが、一定の大きさの自然林もあり、山頂自体は空が開けて明るい。

[コース]
登山を開始する前に、駐車場所の道路の終点にあるトイレ(看板なし)で用を足しておくと良い。
登山口は喜多家の西と鉾神社境内西端の祠が建つ根上がり杉の西にあるが、後者の方が所要時間で言うと20秒位短縮される。
先に鉾杉を見学したいのであれば、鉾杉のすぐ上を東西に走る歩道が喜多家からの道なので、それを辿るといいだろう。

根上がり杉からのコースを解説するが、登山口に入るとすぐ、南北に走る道に合流する。南の道は、下の佐伯家の敷地に入っているが、佐伯氏の先祖は国盛の家臣で、国盛が自ら見た夢のお告げに従い、佐伯織之を厳島神社(宮島)に遣わしている。織之は御鉾を拝領し、この地へと戻り、国盛へ渡している。
国盛はこの鉾を御神体として鉾大明神を建立、織之の次男・清高を神主として、代々受け継がれることになるのである。

登山道を北へ上るとすぐ喜多家からの道と合流する。最初は植林帯の中を北へ登って行くが、ほどなく南西へジグザグを繰り返しながら斜面を上がって行く。道は整備されており、藪は皆無。やがて進路は概して北西向きになる。
高度計高度915m地点で、養蜂箱のある三叉路に至るが、南西へ下る道は地形図の破線道だろうか。

起伏が殆どなくなり、進路が西向きになると前方に支尾根が見えてくる。道はその支尾根に乗った所のベンチのある広場で終わっている。その手前下には倒れた木製の鳥居と小屋がある。この小屋を、喜多家西の案内板にあった天満神社の社殿だと誤解する者が多いと思うが、天満神社は背後の岩の下方に建つ祠である。岩の天辺に建つ祠は秋葉神社。ベンチから上れるようになっている。
昭和期は天満神社や秋葉神社から好展望が広がっていたらしいが、現在は松の枝が邪魔で、麓の集落や遠近の山並みを木の間越しにしか望めない。

ここからスズタケがまばらに生える植林の支尾根を稜線へと直登したが、少し登った所の、尾根に少し岩肌が出ている箇所から北東の植林帯へトラバースする踏み跡があり、そちらの方が若干楽。
稜線に出ると当然、西へと進むが、地形図に表れない小ピークとコルがいくつかある。
痩せ尾根で、進むに連れスズタケが藪化してくるが、密生度は高くないので簡単に漕げる。
一部、椎等の自然林が纏まって立っている箇所がある。

三角点は台形のピークの先にある。三角点周囲のみの狭い範囲だけ、藪が刈り分けられているが、これはこの山を自会が発行した登山ガイドブックに掲載した、鳴門市の山岳会が行ったのかも知れない。当方も無名峰登山ガイドブック製作時、藪化した山頂を刈り分けることはよく行っていた。
登頂記念標は二つあるが、どれも倒れて文字が殆ど消えている。白い木製の記念標柱が前述の山岳会が設置したものである。

余談だが、この一週間後、当方は安徳帝一行が越えた、小島林道から寒峰峠へと上る峠道を歩いた。大枝から峠へ登る道は、各種登山ガイドブックや峠ガイドブックに掲載されているが、小島林道からの峠道のコースを記したガイド書は殆どない。それは小島林道が地形図に記載されていないことと、登山口周辺が廃道化していることが影響しているだろう。
そのコースから寒峰峠の近くにあるセミマイナー山(セミメジャー山と言えるかも知れない)に登頂するコースの登山記録は後日投稿予定。

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フォトギャラリー:10枚

装備・携行品

シャツ アンダーウェア ダウン・化繊綿ウェア ロングパンツ 靴下 レインウェア
登山靴 バックパック 水筒・テルモス ヘッドランプ 帽子 グローブ
地図 コンパス ノート・筆記用具 腕時計 カメラ ナイフ
虫除け

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