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滑落の危険もあった残雪の石鎚登山

石鎚山( 中国・四国)

パーティ: 1人 (平和と自由 さん )

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行程・コース

天候

晴、弱い風

登山口へのアクセス

バス
その他: (行き)松山市内からJRバスで久万高原町(久万中学校前)下車、伊予鉄南予バスに乗り換え面河(博物館前)で下車
(帰り)土小屋から伊予鉄南予バスで終点・久万中学校前下車、同所バス停(反対側)からJRバスで松山へ

この登山記録の行程

面河博物館前9時20分発----上熊淵・登山口(9:53)---愛大小屋(12:44)昼食休憩、13:00発----三の鎖下14:45)----二の鎖下(15:20)10分休憩----土小屋・バス停16時40分

コース

総距離
約13.1km
累積標高差
上り約1,446m
下り約607m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

25年前に土小屋から一度登ったことがあり、去年2回石鎚に登った。➡「面河渓から石鎚山ピストン2018年5月(ジョーさん)」など参照。5月に(クルマに乗せてもらって行って)、面河渓から始めて登ったが、高山病に罹って「這う這うの体(ほうほうのてい)」で下山した。
雪辱したいと考えた。しかし、朝、バスが面河に着くのは9時過ぎで、登頂後土小屋に降りても、到底16時35分のバスには乗れないと思った。そこで、11月にバスで土小屋まで行ってピストンし、土小屋に下りるのにかかる時間を確かめた。
その間、近所の山でトレーニングをして、ヤマケイの地図の「標準」より、少し早く歩けるようになったので、「マイページ」の「行程表」を使って、往復ともバスで、面河から登って土小屋に下りる計画を立てた。
帰りのバス時刻に間に合わない場合には、4月には営業を開始しているはずの国民宿舎あるいは白石ロッジに泊る。その場合、翌朝すぐに戻るのはもったいない。調べると、瓶ケ森は土小屋から十分に日帰り可能なので、泊った次の日は瓶ケ森に登ってから松山に帰ろうと考えた。
しかし土曜の夜であり、国民宿舎も白石ロッジもいっぱいで断られた場合にはどうするか。ロビーかどこか屋内には入れてくれるだろうと考え、防寒対策として、冬着やホッカイロのほかに、体を包むレスキューシート、体の下に敷く広いプチプチシートを2枚リュックに詰めた。

去年愛媛県は豪雨に見舞われているので、登山道が崩壊していないかどうか、久万高原町の観光課などに問い合わせると「そういう情報は特に入ってない」という答えだった。
しかしうかつにも残雪の状態を調べなかった。4月に入って急速に気温が上がり、もう大丈夫だろうと勝手に考えて出発した。

ヤマケイの地図では面河のバス停から登山口までの2.8kmは65分となってるが、ほぼ30分で着いた。途中の面河茶屋の駐車場には、クルマが3台止まっていた。登山口に着く前に、カメラを持った男性とストックを一本手にして散歩をしているらしい女性とすれ違った。
靴を履き替え、ストックを伸ばすなどして、10時03分登山開始。標準では霧ケ迫まで1時間、私の予定では54分。しかし、去年の記憶があいまいだったのか、霧ケ迫が見つからない。似たような場所には岩が積み重なっていた。そのまま尾根道に出て、水は時々飲んだが、休まず、どんどん歩いた。

道には枯れ葉が積もっていて、ふかふかして歩いていてとても気持ちがいい。しかし、ザレ場が去年より増えたような感じがした。途中の水場で、PBに3分の1ほど残っていた水を捨てて冷たい清水を詰めて歩く。一人の下山者とすれ違ったほかに人の姿はなかった。
愛大石鎚小屋に着いたのは、12時44分だった。途中、多少の休憩をとりつつ「標準」で歩くと、愛大小屋には1時くらいに着くはずであったが、それより15,6分早く着いていた。
谷を越えて向こうにそびえる石鎚山頂の南面を見ながら、カロリーメイトの類を2箱、そしてエネルギー・ゼリーを1パック食べ、冷たい清水を飲み、20分ほど休憩した。
このペースで行けば、登頂後、バスの発車の30分以上前に土小屋に着く計算だった。ところがその先に難関があった。
愛大小屋を発って間もなく、ちょっとした雪渓があった。5~6歩で渡れそうだったが、下は沢で少量ながら水が流れていて雪の下部が空洞になっているのが見えた。そして急な斜面である。歩いていてずぼっといき、雪が崩れれば沢を転落することになる。困ったと思った。
しかし、さっきすれ違った人はここを通て来たのだ。もちろん、すぐ前に人が渡ったからといってそこが崩れないとは言えない。しかし、私は勇気―引き返す勇気のないまま、渡ることにした。数人の足跡があったが、なるべく山側を歩くようにして、そろそろと渡り、最後の一歩は体を前に投げ出すようにして向こう側の岩に掴まった。

なだらかな笹原のトラバース道を過ぎて「四国シラベの森」の辺りから急登になり、三の鎖の下に出る。ところがこの辺りから急に雪が深くなり、登山道はザラメの雪で覆われてしまっていて、大部分、登山道もその山側も谷側も区別できない、一続きの雪の斜面になってしまっている。しかし、20mか30m先には道の一部が顔をのぞかせている。また岩もところどころに出ていた。雪の斜面の傾斜は30度も40度もあり、あちこちに灌木や笹が出てはいるが、滑ったら簡単には止まれないので、非常に危険である。

足元の道の一部から前方に見える道の一部ないし岩に向かって、雪の斜面上に足跡が残ってはいるが、その跡をただたどるというわけにはいかない。足を置く場所が水平でなく、傾いていれば低い方に滑ってしまうからである。
私は一歩一歩登山靴の先端で雪にけり込みを入れて足が乗るだけの平らな個所を作って進んだ。靴のけり込み方が悪い(不十分だ)と足を置く場所が狭く、足を乗せても滑って落ちそうになる。(もちろん、アイゼンは持って来ていない。そもそも持っていない。)
谷側のストックを使って滑落を防ぐ。しかし、場所によっては、ストックに頼れず、山側の雪の上に出ている、笹や灌木の枝につかまったりする。

足跡に混じって、山側にはところどころ、ストックの丸い穴が開いていて下に笹が見える。雪が笹の上に乗っているだけで、下が空洞になってるからだ。そこを歩けば、足がずぼっとはまる。腰まではまったりすれば、そこから抜け出るのが面倒なはずだ。ストックで突いて、穴の開くところは避ける。

また、傾斜が急でいったんすべって落ちたら途中で掴まるものが下に全くないところでは、迂回して上に登り灌木の生えているところを通るなどした。こうして、頂上直下、三の鎖下の登山道にやっとたどりついた。そこもほとんど雪で覆われていたが。

時計を見ると2時45分だった。

私は雪があることを知らず、計画では鎖を登って頂上に行くつもりだった。しかし鎖は完全に雪に覆われていた。頂上に出る階段は半分以上は雪に覆われているが、端を歩けば頂上へ行けそうだった。ちょうど上から階段で降りてくる人が一人いた。その人はさらに二の鎖を迂回する階段を使って下へ降りていった。

階段を使って頂上に登ると30分ほどかかる。下る時にも滑らないように気を付けながらゆっくり降りなければならず、往復1時間以上かかってしまうだろう。3時45分になれば、バスの発車時間4時35分まで50分しかなく、ここからどう急いでも間に合わない。頂上に行くのは諦め、すぐに下山することにした。

さて、下るとして、下の階段も雪で覆われており、滑って危険である。時間がかかるだろう。(しかしゆっくり、手すりにつかまりながら降りれば、その方が安全で時間も早かった、と後になって思った。)私は二の鎖の上に立って下を見た。一番上の傾斜の緩いところにかかっている細(か)い鎖が見えているところまでは雪がなく、鎖につかまって下りるのは容易そうに見えたので、鎖で下りることに決め、登山靴を(三の鎖を登るために持ってきた)地下足袋に履き替えた。そして細かい鎖が終わって太い鎖が見えるところに来た。「直進禁止」の札がある。仕方がないので、横の笹やぶに入って迂回して、太い鎖につかまる。
石鎚の鎖は何度か登っているが、下るのは初めてである。だが、鎖は登るのに比べ、下りの方がはるかに難しい。登るときは上を見て、掴まるところ、足を乗せる輪などを見て、登れるが、下りは、胸のバッグや自分の体が邪魔になって、足の置き場がよく見えない。
それでもなんとか左の鎖、右の鎖と行ったり来たりして、足の置き場になる三角のリングを見定めながら降りた。一度足が滑ったが、必死にこらえた。落ちれば下まで30m、40mある。死なないまでも大けがはまぬかれない。
足を乗せるリングがなくても岩にちょっとした出っ張りがあれば、そこにつま先を掛けられるし、一歩分だけなら、平らな岩の斜面でも、岩が乾燥していればそこに足を突っ張りながら(一歩分)下りることができる。しかし、岩は濡れていたり、雪や氷で覆われていて滑るので、どうしても、リングの輪に足を入れなければならない。普通の運動靴でも少し難しい。登山靴は無理である。地下足袋なので、鎖の小さい輪につま先が入り、体を支えることができる。

途中、鎖が雪の下になっていて、鎖を使えないところがあった。そこは脇の崖に生えている笹、灌木に掴まって下り、また鎖に戻った。

こうして非常に神経を使い、ひどく苦労したが、とにかく鎖の下の端に来た。そこからは急斜面の雪しかなく、その下10mほどのところに鳥居が立っている。二の鎖小屋の上の鳥居だ。あと10mだが、けっきょくここも、脇のささやぶに入って笹につかまりながら、下に下りた。

4,5名の人が小屋にいて、私を見て「鎖を使って下りてきた人がいる」と驚いていた。二言三言会話を交わし、私が「面河から登ってきた」というとなおさら驚いていた。また、「大きな荷物を背負ってすごいですね」と言われた。冬用の上着やプチプチシートなどが、リュックを膨らませているけれども、テントやシュラフを持っているわけではなく、大した重さはなかったのだが。


中の一人が「帰りはどうするんですか」と聞くので、朝(車ではなく)バスで面河まで来た、そして土小屋に下りて、16時35分のバスに乗って帰るんですと答えると、時計を見て、「あと1時間15分しかない」という。

私は時間を見るのを忘れていたが、この時すでに3時20分になっていた。鎖を下りるのに30分ほどかかったのだ。

「時間的に無理じゃないですか」と言われ、「間に合わなかったら国民宿舎かロッジに泊るつもりです」と答えると、「下の駐車場で見たら、車が全然ない。まだオープンしてないのじゃないか」と言う。

この時、私は、国民宿舎がオープンしてるかどうか確かめてなかったことに気が付いた。そして疲れていて、開いていると考えていた自分に急に自信がなくなった。

「いやあ、こんな人ならきっと間に合うはずだ、我々とは違う」などと言ってる人もあり、おかしかった。

去年の秋は1時間半で下りた。そして、後半はかなりのスピードで歩いたが、登山客が多く、前半は、前を歩いている行列がいくつもあって渋滞していたことを思い出した。
今回は先に降りていった一人と、この4,5人の登山者しかいない。渋滞はありえなので、間に合うかもしれないと考えた。
とにかく急いで下りるしかないと、地下足袋のまま歩き始めた。しかし、底が薄く足が痛いので、時間が惜しいと思ったが、登山靴に履き替えた。そして可能な限り速足で歩いた。
まもなく、先に降りていった一人を追い越した。

小用を足したいと思ったがそんな時間はなかった。頭が熱くなり、鎖を下りるときにかぶったヘルメットは邪魔になって脱いだが、それをリュックに縛り付けている時間がもったいないと、手に持ったまま歩いた。ストックといっしょに手に持ったままで、歩きにくいと感じたがほかにしようがなかった。「休憩所」を過ぎたあたりからは小走りになった。バスに間に合う時間かどうかケイタイを取り出して見ようかとも思ったが、それも5秒あるいは10秒のロスになる。下に着いてみればわかる、と達観し、それからは走った。

飲み物もなくなり、食料も減って荷は軽くはなっているが、それでも8キロは越していただろう。しかし、私は走った。よく走れたと思う。登山道が終り、舗装された遊歩道を行くと、木立の隙間から伊予鉄南予バスのオレンジ色が見えた。

そしてバス停と道路を隔てて斜め向かいにある白石ロッジの辺りから人が飛び出してきて、バスに向かって走っていくのが見えた。その人は店先にいて、私が走って下りてきたのを認めて、バスの乗客だと考え、運転手に知らせに行ってくれたのだ。
私がバスに駆け寄ると、その人は、発車を5分遅らせて待っててくれてたんだよ、と私に告げた。私はありがとうございましたというのが精いっぱいだった。運転手は、朝私が乗ったバスの運転手と同じ人だった。私が朝、面河で降りたただ一人の客で、これから石鎚山に登って、そのあと、土小屋に下りるつもりだということを話し、帰りのバスは土小屋発16時35分だということを確かめていたことなどを覚えていて、私がどうしているか心配しながら、発車時間を遅らせて、待っていてくれたのだった。
私は雪が多く残っていて、時間がかかってしまい、頂上に登るのは止めて下りてきたんですと、息も切れ切れに説明した。運転手は三の鎖の辺りが危ないっていう話は聞いていたがね、と一言。

バスは6時過ぎに終点の南予バス久万営業所に着いた。バスの車庫に隣接するコンビニでトイレを借りて小用を済まし、200円ほどのナッツを一袋買って食べ、約20分後に来る松山行きのJRバスを待った。


今回の登山は残雪の有無について調べずに出かけた点で、私は大きな間違いを犯した。私は、みいちゃんはあちゃんで、去年富士山に登ったのに続き、今年は、北岳―間の岳を縦走し、また燕岳から槍に登るつもりである。しかし、年齢からくる体力の限界も知っており、冬山に挑戦するつもりは全くない。
だからアイゼンも持っていないし、シュラフやテントはもちろん、ツェルトも持っていない。にもかかわらず、小さいとはいえ危険な雪渓を渡り、滑落の恐れのある残雪に覆われた頂上直下にまで登ってしまった。最初の小雪渓で引き返さなかったのが間違いの元で、頂上近くまで来た時には引き返すことは全く考えられなくなっていた。
私は高校まで雪国で育ち、冬は雪の中で走って遊び、いろいろな状態の雪の上を歩いて学校に通った。そのために雪で覆われた急斜面の石鎚でもなんとかなると考えたのであった。
しかし、少年時代とは違う。アイゼンなしに雪の斜面を歩くことが滑落の危険、したがって死の危険と隣り合わせであったことは確かである。

私は、アイゼンンも持たずに、残雪の程度を確かめずに出かけた私の真似をしようなどという人がないことを願っているし、私自身は今後こういううかつな登山は決してしまいと誓っている。

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