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四国最東端島の山と海軍衛所

狼煙山、日和山(阿南市の伊島)( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 国道55号を北上して美波町から阿南市に入り、津乃峰小学校東方の答島港の伊島連絡船乗船場へと向かう。特に駐車場は整備されていないと思われるが、谷一製材所前の岸壁に駐車していい旨、現地の方に窺った。

この登山記録の行程

連絡船桟橋9:40・・・松林寺9:47・・・日和山機銃陣地跡で写真撮影10:05~10:13・・・湿地跡10:26・・・カベヘラで休止10:41~10:49・・・山中の未公開戦跡探索10:57からしばらく・・・狼煙山で休止11:58~12:11・・・兵舎跡周辺を探索後地蔵峠12:23・・・海軍衛所発電室周辺12:58・・・八丁坂分岐13:33・・・観音堂13:59・・・野尾辺湿原14:23・・・雛壇状墓石群がある仏堂15:01・・・連絡船桟橋15:08
※この山行の目的は戦跡の探索であるため、道のない山中を複数回巡っており、往路(地蔵峠を往復の分岐とする)は整備された道を歩くより、かなりの時間を要し、帰路は走って巡ったため、コースタイムは短縮されている。

コース

総距離
約6.7km
累積標高差
上り約394m
下り約394m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

[四国最東端湿原と海軍防備衛所]
四国の本土最東端・蒲生田岬の沖合6kmの紀伊水道に浮かぶ周囲9.5kmの伊島最高峰・狼煙山(121mの地図と124mの地図あり)は、離島で且つ、標高が低いウルトラ・スーパー低山であるにも拘わらず、徳島県下で発行される登山ガイドブックやハイキング・ガイドブック等に記載されており、徳島県の岳人やハイカーの間ではよく知られている。本土から連絡船(伊島連絡交通事業有限会社TEL0884-33-1271)で30分あれば行けるという気軽さもあるだろう。

この人口200人足らずの島の東端、黒崎が真の四国最東端となっている。
島を巡る複数のウォーキング・コース(短冊型マップが島の連絡船待合室にあり)も整備され、コース沿いには四国最東端の湿原、60ヘクタールの野尾辺湿原や展望所、堂宇、イシマササユリ(開花期は5月下旬から6月上旬)やツリガネニンジンの群生地、海軍瀬戸崎防備衛所跡等があり、見所も多い。

[コース]
桟橋から堤防下の岸壁を南に歩いて行くと、トイレと待合室があるが、待合室にハイキング・コースが記載された観光マップが置かれている。
そこから堤防の内側の道に上がると、伊島漁協の前に島唯一の自販機がある。それ以降も堤防沿いの道を南下する。島には自家用車が皆無のようなので静か。
漁協を過ぎて二本目の左折道に折れる。集落の背後に横たわる山が最初に目指す日和山(60m)である。山頂の手前に多賀神社があることから、地元では「多賀はん」と呼称されている。

藤江氏宅に突き当たると道は右へ急角度に曲がるが、すぐ三叉路があるので、そこを左折する。目の前の石段がある変形の四差路上には、空也上人作の十一面観音を安置する無住の松林寺がある。この四差路で当方は南に進む小径を辿ってしまったが、これは祠のある所で行き止まりになっていた。山頂へ上がる正規コースは、さきほどの四差路から東に上がる石段の方だった。しかし引き返すのが面倒だったため、斜面を適当に上がって行った。
が、途中から勾配が急になったので、北にトラバースして行って稜線に出た。稜線には整備された尾根道が付いていた。尚、日和山はハイキングマップには記されていないので、島外者で登頂する者は殆どいない。

僅か標高60mの山に登頂するのは、山頂に海軍紀伊防備隊瀬戸崎防備衛所の機銃陣地跡があるからである。地元で発行された戦争体験談等には「砲台跡」と記されているが、防衛省防衛研究所所蔵資料では、この島に砲台を築造した記録はない。山頂の遺構は機銃陣地跡である。砲台があったのは、規模が大きいタイプの防備衛所で、四国本土では分県登山ガイドにも記載されている、愛媛県愛南町の由良山の下方にある由良崎防備衛所等である。今でも洞穴型格納式砲台が複数残っているが、分県ガイドでは戦跡を全て解説している訳ではないので、機会があれば投稿しようと思う。

多賀神社の祠までは尾根道がきれいに整備されているが、そこから山頂までは踏み跡となる。
山頂にある馬蹄型の石積みが機銃陣地跡である。但し、この石積みは機銃陣地造成より前の遺構である可能性がある。というのは、四国周辺の離島の中には藩政時代後期、異国船の見張所として山頂や丘の上に石積みを築いたケースがいくつも見られるからである。
日和山の南東の山を「おにぎり山(70m)」というが、もしかするとその山上や斜面にも何らかの戦跡があるのではないかと思い、日和山頂から適当に斜面を、木々に掴まりながら下って行った。

尾根の形が明確ではなかったため、コルより大分北に下りてしまったが、周辺には湿地帯跡のような藪の荒れ地が広がっていた。地面が所々ぬかるんでいるため、昭和期は水田だったのかも知れない。
この湿地跡は藪の密林と化しており、コルに取付くのは難儀に思ったから、北東の遊歩道(地形図では車道)に出ることにしたが、そこまでの藪漕ぎはコルに出るよりも骨が折れた。

遊歩道を南東に進むとほどなく、カベヘラ分岐の道標が現れた。てっきり地形図にある石段マークがカベヘラへのコースだと思っていたが、カベヘラへは複数の道があるようである。
カベヘラは漢字にするとしたら「壁平」になると思われるが、真っ平らの岩盤で、標高は低いものの島随一の展望所とされている。
カベヘラに上がるまでの道沿いにはキキョウ科のツリガネニンジンの群生地がある。花期は8~11月で、全国的に分布する可憐な花である。
カベヘラの下方には海蝕洞があり、高さ30mまで波柱が上がることもあるというが、当日は波もおだやかで、海蝕洞の位置も分からなかった。
紀伊防備隊は艦艇をこの近くに碇泊させ、短艇に乗り移り、港から上陸したという。

カベヘラからは海岸沿いを北東に進むと道が北西へと下るようになり、遊歩道に戻った。
遊歩道は左急カーブを描いて高度を上げるが、下方には登頂できなかったおにぎり山が見えている。
狼煙山から南西に伸びる尾根の突端に石段があったため、ここから狼煙山に登るルートがあるのではないかと思い、尾根を上ったが、ほどなく尾根道は途絶えた。そこで適当に藪漕ぎして行き、狼煙山南のピークに向かうことにした。狼煙山山頂に防備隊の施設があったことが分かっているので、だとしたらこのピーク周辺にも施設跡か壕等があるのでは、と思ったのである。しかし山中を駆け回っても、あったのは海軍の境界標柱と削平地位だった。

狼煙山山頂へもそのまま藪を漕いで行った。漁業の島なので植林は殆どない。
山頂には昭和31年に設置された伊島燈台がある。ここには藩政時代後期、異国船を監視するための遠見番所と烽火台が設けられていた。徳島城には椿泊、西路見、大神子等の烽火台を経由して伝えられた。
烽火台と番所跡は昭和14年頃、防備衛所の施設建設のため、破壊された。ここには聴音所や蓄電池室等が建設され、直下には赤レンガ造りの兵舎が建てられた。聴音所とは紀伊水道を通過する敵の艦艇や潜水艦等を探知するソナーを備えた施設である。前述の由良崎防備衛所跡にはこの施設が残っている。当然、狼煙山のものより規模は大きい。

地形図には山頂から大溜谷の溜池に下りる破線が記載されているが、この道を兵士が足しげく通った。大溜谷周辺にも施設があったからである。しかしその道は現在未整備で、整備され、道標が建てられているのは、山頂から北に派生する尾根上を辿るコースである。
その道を下る前に燈台北西の削平地に下りれば、兵舎の外壁の一部の煉瓦や、L字型の立体的な塹壕等が残っていた。

整備された尾根道はほどなく地蔵が立つ地蔵峠に下り立つ。ここは五差路になっているが、まずは遊歩道の北に並行する古道を南西に下ってみる。しかしこの道沿いに戦跡の痕跡はない。
古道はほどなく遊歩道に合流するが、その南西の道沿い北側の藪の中には烹炊所跡や倉庫跡らしき赤煉瓦が見えている。
再び遊歩道を引き返すと、カーブ部に水槽が見える。これが防衛研究所資料にある水槽だとすれば、遊歩道を少し引き返した所から南に発電機室等があるはずである。

遊歩道から南に入ると平地があるが、ここは兵舎跡だろう。すぐ左手には横穴壕が見えている。入口左手には土止めの擁壁が築かれている。この壕は三本あった横穴壕の内、最も長い壕で数十メートル位あるかも知れない。
中にはコウモリはいなかったが、大きなヒキガエルがいた。ウシガエルかも知れない。
この東方には掘り掛けの壕もある。
その掘り掛けの壕の南西にはまた海軍標柱が立っている。その西にはツタが絡まった外壁だけになったコンクリートの建物が残されている。これは発電機室である。発電機そのものは終戦時、進駐軍に破壊されている。

これ以外には目ぼしい戦跡がないようなので、地蔵峠に戻り、野尾辺湿原を目指す。
すぐ八丁坂分岐があるが、この近辺には観音堂への道しるべが残っていたかも知れない。道々には西国三十三観音霊場の石仏が置かれている。これは明治期、観音堂に在住していた行者の意見により、全島民が浄財を喜捨して建立されたものである。
道は起伏を繰り返しながら71m独標点ピークの東側を巻くが、その東方が四国最東端の黒崎である。
116.6m三角点ピークに建つのが野尾辺観音堂で、松林寺奥の院になっている。ここの本尊も十一面観音像。
ここから湿原、八丁坂を経由して地蔵峠に戻る道は地形図に記載されている。

湿原までは一気に下るが、下り立つ手前の北側に通夜堂がある。
野尾辺湿原は昭和25年まで水田だったが、労力の割に収穫量が少ないため、放棄された。現在ではタガメやゲンゴロウ等の昆虫や南方系植物の保全のため、環境省の「日本の重要湿地500選」に選定されている。

コースは湿地沿いを通っているが、こんな細い道にも丁石が設置されている。
湿地の中ほどで湿地を横断して西岸に移り、やがて樹林帯に入って八丁坂を上って行く。
帰路、大溜谷の溜池南方の地下のガス抜きのような筒がある箇所に古道が分岐する三叉路があった。その古道を下った方が近道になるのだが、途中で藪化する可能性が否定できず、また、連絡船の出発時刻も迫っているため、遠回りの遊歩道を走って下った。
伊島小中学校前まで下ると、広い道が走り易いので、学校沿いの道を西に走り、三叉路に突き当たると南に折れて、連絡船待合所へと出た。

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みんなのコメント

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  •  大変、興味深く記録を拝読しました。好奇心とその探究心に敬意を表します。いつか私も周遊してみたいものです。

  • もっちゃんさん、有難う御座います。「みんなの登山記録」の山は高山が多いため、私の投稿するような低山には、興味を示される方が殆どいないのではないかと思っていました。
    山口県の山は周防大島の山しか登ったことがありませんが、防府市から下関市までの旧山陽道は自著製作の折、踏破しました。
    あまり四国外の遠方の方が興味を抱くような山行記録は、なかなか投稿できないかも知れませんが、また宜しくお願いします。

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