行程・コース
天候
晴れのち曇り
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
国道55号で高知県宿毛市から愛媛県愛南町に入り、宇和島市との境界にある鳥越トンネル手前で、県道292号に左折する。この県道の終点から1km少々手前が登山口で、側には魚神山(ながみやま)小学校六年生の児童が作った標語「魚たち ゴミの山見て 怒ってる」の看板が立っている。その周辺の路肩に駐車。
この登山記録の行程
登山口9:30・・・稜線の道しるべ9:38・・・由良権現社10:41・・・由良岬燈台11:15・・・迷彩兵舎12:12・・・聴音所周辺で休止12:51~14:00・・・由良山14:40・・・登山口15:50
※各所の戦跡の写真やビデオ撮影時間を含む。
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
[戦艦大和の生き残り基地から海上の一等三角点峰へ]
宇和島市と愛南町との境界の由良半島は、南部は稜線の幅が狭く、急峻になっており、標高は低いものの、海上アルプスの観がある。その半島の最高峰が由良岬(ゆらのはな)に近い所にある一等三角点峰・由良山(249.1m)である。この山頂東下から望見する支尾根の岬や小島の景色を、当方は過去、自己ブログやNHKの写真投稿サイトで「愛媛県一の絶景」と評した。写真を見れば誰しも納得するだろう。
地形図(魚神山)では由良岬燈台の北西に「由良岬衛所跡」という表記があり、分県登山ガイドでは「海軍要塞跡」と記載されているが、どちらも誤りである。防衛省防衛研究所所蔵資料では、海軍佐伯防備隊の由良崎防備衛所と記載されている。尚、「要塞」は陸軍用語なので、海軍には存在しない。
佐伯防備隊は昭和14年10月、大分県の佐伯に開隊し、豊後水道から土佐湾沖、奄美大島までの海域の防備を担当し、水道の各島等に防備衛所を建設した。四国最大の衛所が開隊から約1年後に設置された由良崎衛所で、複層階の聴音所や口径14cmの大砲を備えた横穴型格納式砲台4門、機銃陣地等を築造していた。
この基地には昭和20年4月7日に撃沈された戦艦大和の乗組員の一部が送られていた。外地ではなく、内地へ配置されたのは、海軍の温情とも捉えられるが、由良岬は道なき陸の孤島故、「大和の撃沈」という海軍最大のトップシークレットを他言させない狙いもあったものと思われる。
この山のコースは新旧の分県登山ガイドにも掲載されているが、新版の方では由良山は往復路共同じコースになっている。これは山頂から西の尾根には踏み跡がない部分が多いため、登山初級者の道迷いを懸念した措置だろう。
[コース]
登山口には道標はないが、2分ほど上がった所に「愛媛森林浴八十八ヶ所・第七番」の標柱が立っている。なぜこれを登山口に立てないのか理解に苦しむ。この辺りには桜が植樹されていたと思うが、まだあまり咲いていなかった。
稜線の手前まで道は未舗装の作業車道になっているが、軽四車でも走行は厳しいだろう。方向転換場所もなかったように思う。
稜線に出た所は峠になっており、古い道しるべがある。南に下る道は三玄院の北東に下りている。
そのすぐ南西には日清戦争の殉国碑が建立されている。
稜線は所によってはかなり幅が狭くなっており、片足位の道幅しかない所もあったように思う。
道沿いは雑木で、高木帯になったり灌木帯になったりするが、地形図で見るよりは距離が長く感じられる。そのため、戦跡本出版の折、当方を取材した高知放送の記者は諦めて途中で引き返して帰ったほど。読図力があれば、自分がどこを歩いているのかは分かるだろう。
由良権現社手前の峠には、'90年代にはなかった、由良山への道標が設置されていた。
燈台に達すると、東の船着場へ下りる小径があるので辿ってみると、東方にクジラのような形の116m独標点のある岬と小猿島が見え、付近の荒々しい海崖には波が打ち寄せている。
自治体が開催する戦跡探訪会時は、ここに船を付けて上がる。
燈台から先のコースは踏み跡になる。
コース沿いにある擂鉢状の窪みは機銃架台跡だろうか。
ほどなく右手に、'90年代にはなかった刈り分けがあるが、奥に入ると防護壁や素掘り砲台壕がある。壕には平時、大砲を格納し、その奥には弾薬類を収納していた。故に弾薬壕と呼ばれることもある。
以後、すぐ右手奥や左手下に兵舎跡や烹炊所跡、食糧庫壕等が現れる。
中でも左手下の兵舎は建物が現存している。屋根は土が盛られているため、上から見下ろすと地下兵舎のように見える。外壁の迷彩色も薄くはなっているが残っている。
兵舎内部はガランとしており、窓からは土砂が雪崩れ込んでいる。その下方には基礎部分のみが残る兵舎跡がある。これらの建物に300人弱が詰めていた。
次に現れる涸れ沢は道はないが下ると、コンクリート造りの仏堂のようなポンプ室跡があり、その下には三基のディーゼル発電機を据えていた発電室が残っている。入口が破壊されているが、これは進駐軍が爆破したもの。
上の道に戻り、先に進むと衛所最大の施設、聴音所がある。これも進駐軍に爆破されたから、このような姿になっているのである。この庇部や柱、外壁の廃墟感は、アテネの宮殿をどことなく彷彿させる。
ここからは視界いっぱいに豊後水道が広がっており、北西の海崖の景観も良い。燈台や大猿島も望見できる。
聴音所背後を登れば、外壁に割り石を張り詰めた見張所があるが、ここから適当に藪漕ぎをして由良山に登ることになる。密林というほどではないので、藪漕ぎはそんなに難しくはない。
稜線が近づくと藪はなくなって行き、稜線に乗ると踏み跡があり、それを由良山まで辿ることになる。
由良山山頂は展望がないものの、一等三角点峰ということもあり、いつ来ても複数の登頂記念柱が立っている。
山頂東方の230m等高線の東端手前付近は樹林が途切れ、抜群の展望が広がっている。ここが前述の愛媛県一の絶景地である。ここから見下ろす116m独標点のある岬は恐竜の背のように究極に切り立っている。はるか九州まで見渡すことができる。
後は尾根道を往路の道標があった峠まで下り、元来た道を引き返すのみである。
フォトギャラリー:19枚
装備・携行品
| シャツ | アンダーウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア | 登山靴 |
| バックパック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | 帽子 | グローブ | 地図 |
| コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ |


















