行程・コース
天候
曇り
登山口へのアクセス
マイカー
その他:
久万高原町上黒岩の国道33号の御三戸(みみど)交差点から県道212号、県道12号、国道494号、再度県道12号を経由して面河渓に行く。面河渓の遊歩道入口が登山口となり、そこに第一駐車場があるが、満車時は五色橋を渡り、国民宿舎南西の第二駐車場に駐車する。
この登山記録の行程
遊歩道入口8:48・・・石鎚山面河道登山口9:09・・・高度計高度1265m地点で休止10:27~10:46・・・標高1340m地点の尾根10:53・・・面河山取付き地点通過11:22・・・稜線に乗る11:30・・・しばらく笹藪を藪漕ぎし、藪漕ぎ不可地点から引き返す・・・再度面河山取付き地点13:16・・・面河山頂で写真撮影13:26~13:50・・・1340m尾根起点14:19・・・高度計高度995m地点で休止14:56~15:14・・・石鎚山面河道登山口15:40・・・遊歩道入口15:58
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
[感動の紅葉の道]
登山者間で山名は知られているにも拘わらず、藪化等で登山対象とされていない山が各地にあるが、石鎚山面河道のすぐ上にある面河山(1525m)もその一つ。しかし他の同様の山と違う点は、ルート沿いや山頂に数多くの紅葉が見られる点。特に面河道の標高1340m地点の尾根に乗って以降は、道の両側が紅葉で溢れ、黄色や紅色が鮮やか。山頂にも紅葉がある他、展望もある程度開けている。
道沿いに植林はなく、ブナ、シラベ、モミ、ツガ等の自然林が豊富で景観も良い。
[コース]
第一駐車場に到着したのは8:30過ぎだったが、駐車スペースは二台分しか残っていなかった。第二駐車場は昼前位でも駐車できる。
駐車場から石鎚山面河道登山口までは面河渓遊歩道を辿るが、面河渓は四国一の渓谷として名高く、近年、渓谷本流の河川、面河川(仁淀川)の水質が日本一となり、注目度は更に増している。日本一の水質の渓谷となった面河渓のエメラルドの流れも、いつ来ても美しい。但し、渓谷の紅葉はもう少し先のようである。
面河道登山口には登山届ボックスや案内板、鳥居が建ち、急角度の石段が続いている。
石段はかなり長く続いており、設置当時の労苦が偲ばれる。
元々修験の道でもあり、途中には断崖となった岩場も複数ある。登ってみたいのはやまやまだが、今回の山行は高度差があるため、寄り道をすることはできない。
道の左手奥には、ドルメン風になった石も見られる。自然の妙味だとは思うが、先史時代の祭祀遺跡である可能性もゼロではないだろう。
道々には道標が建てられ、石鎚山山頂までの距離が記されているが、距離より高度を記した方が登山者にとっては都合がいいのではないだろうか。
道から少し離れた所等にちらほらと紅葉が現れ始めると、やがて標高1340mの尾根に乗る。少し先には「山頂まで4,850m」の道標が建っているが、ここから「紅葉ロード」と言うべき、紅葉樹林帯になる。道の両側が黄色や紅色で溢れ、思わず気分も高揚する(駄洒落のつもりではないが)。
面河山直下で道は左急カーブを描くが、ここが面河山への取付き部になる。しかし今日の山行の目的は、四国の無名峰の最高峰、三ノ森(1866m)の直上ルートを登ること。三ノ森は二年ほど前、石鎚山-二ノ森縦走路から登頂している(登山記録はヤマレコ・サイトに投稿済)が、その日は雨天で山頂からの展望が望めなかったため、違うルートで登頂しようと思ったのである。
道は面河山を巻き終えると一旦尾根に乗り、ほどなくまた離れるが、離れて間もなく道と分かれて尾根に乗り、三ノ森目指して笹の藪漕ぎをして行った。尾根道は廃道化して何十年も経っているらしく、踏み跡の痕跡は皆無。
徐々に笹の背が高くなってきて、密生度も増してくる。遂には背丈ほどの高さになり、藪漕ぎが困難になり、腰痛も出てきたので休止した後、引き返して行った。
しかしこのまま帰ったのでは「今日」が無駄になる。そこで面河山に登頂することにした。尾根上の登山道からそのまま尾根を辿って登頂した方が距離的には近いが、その尾根も笹が藪化している可能性が高いため、往路の面河山直下のカーブ部から支尾根を登ることにした。
こちらの支尾根も笹が藪化していたが、漕げないほどの藪ではない。
山頂には10分ほどで到達した。山頂周辺も支尾根や稜線同様、笹の藪で座る場所すらないが、南西側には形のいい傘松がある。更に周辺にも紅葉が一定量ある。南は紅葉越しに若干展望が開け、西側は五代ケ森(ごよがもり・1713m)北方の稜線が望まれる。しかし如何せん、今日は曇り空でガスがかかっており、折角の展望も楽しむことはできなかった。
帰路は元来た道を帰るのみ。
余談だが、マイカー利用者でよさこい節に興味がある方は帰り時、東川東古味の国道494号にあるしずか食堂(東川458番地)に寄ると良い。この食堂は「坊さん、かんざし買うを見た」の「坊さん」慶全の恋敵でお馬と共に脱藩して金毘羅へ逃亡した純信の曾孫の一人が運営されているのである。
純信の住居跡(子孫居住)や墓は東方の東川小字東川にある。住居跡は東川橋東袂を北に折れた左手二軒目。墓はそこから国道494号を東に少し行った大宮橋西にある墓地内。国道沿いに案内板が建っている。詳細はhttp://ameblo.jp/kochi-romp/entry-11027478513.html
フォトギャラリー:14枚
装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
登山靴 | バックパック | 水筒・テルモス | ヘッドランプ | 帽子 | グローブ |
地図 | コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ | ナイフ |
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