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四国霊場跡は海軍見張所の展望所(ヤマケイ「日本の山」)

四十寺山(室戸市)( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 室戸市の中心部のT字路を県道202号椎名室戸線に進み、1キロほどで室津川橋を渡り、芸東ブロック工業の角を左折。山田集落を過ぎて二つ目の右折車道に入る。入り口には「銃猟禁止区域」の赤い立て看板が立っている。数百メートルほどの四叉路は一番左の道へ。
みかん畑に至ると道標が立っているので、適当な路肩等に駐車。

この登山記録の行程

登山口(3分)作業車道(5分)登山道分岐(15分)車道カーブ(3分)藪気味の登山道(15分)山頂(23分)登山口

コース

総距離
約2.0km
累積標高差
上り約208m
下り約208m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

室戸岬に建つ四国霊場第24番札所・最御崎寺は寛徳元年(1044)、現在地に移転されるまで四十寺山(313m)山上にあった。唐から帰国した弘法大師が嵯峨天皇の勅命により、四十寺山に建立したのである。
現在、四十寺山の寺跡には十一面観音を祭る小堂、四十寺が建っているが、最御崎寺奥の院になっている。その背後の山頂の社には、「室戸岬大権現」の自然石が祀られているが、これは昭和後期、地中から出土したもの。

四十寺下は展望所として整備されており、太平洋を望むことができる。そこは昭和20年、須崎市に司令本部を置く、水上・水中特攻部隊、海軍第23突撃隊の第十見張所跡。室戸市では耳崎に燃料補給や修理の基地があり、昭和期は横穴壕があった。
平成12年発行の地形図に記載されている山田集落からの参拝道は戦後、廃道となり、新たに山頂から北西に派生する尾根直下を登る道が造成され、はるかに登り易くなった。

ところで私は無名峰登山ガイドブック製作のための踏査登山時期の正月(‘00~’04)は毎年、県下や隣県の海岸沿いの町に宿泊し、この四十寺山のような海岸沿いのマイナー・スーパー低山に登っていた。今年の正月も11年ぶりに、「海山」登山のため(戦跡探訪も含むが)、愛南町に宿泊し、同町や大月町の海岸沿いのスーパー低山に登った。冬の海を眺めながらの登山・ハイキングは趣のあるものである。
〈コース〉
 登山口から3分ほどでみかん畑から下りてきた作業車道に合流し、平坦な尾根上を進むが、右にカーブを描くとほどなく車道と分かれ、北西の左上に折り返すように上がって行く。上部に進むに連れ、道の両側がシダに覆われ、南国気分を高めてくれる。
 周囲の山並みや太平洋の展望が次第に開けて来ると、再び作業車道のカーブに出る。
 数分で再び分岐に到るが、正規コースは直進の平坦な藪っぽい道。
松の木が目立ち始めると山頂が近づいている。

 山頂直下の海軍見張所跡展望所からは、室津の街並みから室津港、太平洋にむかって一直線に延びる行当岬、鉄塔が立ち並ぶ耳先の城跡、遙か彼方の水平線まで見渡すことができる。
 石段を上った先に四十寺が建つ。その背後が室戸岬大権現の鎮座する山頂だが、展望はなく、狭い。

更に詳しい解説は拙著「土佐のマイナー山part2」を参照のこと。

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フォトギャラリー:6枚

装備・携行品

シャツ アンダーウェア ダウン・化繊綿ウェア ロングパンツ 靴下 レインウェア
登山靴 バックパック スパッツ・ゲイター 水筒・テルモス ヘッドランプ 帽子
グローブ 地図 コンパス ノート・筆記用具 腕時計 カメラ
ナイフ 医療品

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登った山

四十寺山

四十寺山

313m

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