行程・コース
天候
曇り
登山口へのアクセス
マイカー
この登山記録の行程
登山口(13:10)分岐(325m)岩稜(520m/13:55)縫道石山(14:05~20)下降点(520m/14:25)登山口(15:00)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
海岸線を西へ向かい、大間で南に転じて海抜0~50mの間を上下する西海岸の細い国道を走り、福浦で国道を外れて野平へ向かう道に入る。歌舞伎館の前で、特異な岩峰の縫道石山と初めて対面する。ダム湖を過ぎて快適な舗装道路を峠へ上がり、広場の横の登山口を確認して車を停める。熊への注意を喚起する看板が立ち、燧岳と同様に熊除鈴(箱の中に納められている)を貸し出している。
よく踏まれた今日一番の登山道が樹林の下に伸びている。緩く登ってP424から東へ派生している尾根へ上がり、杉林の中を下って福浦と野平からの道が合流する鞍部に着く。福浦への道は廃道と表示され、野平への踏跡は薮草に埋もれてはっきりしない。峠へ上がる新しい道が開通すると、従来から存在した里からの道は廃れてしまうのは全国の至る所で目にすることだ。
一頻り登って岩稜に達し、90度左へ折れて東側の潅木の生えた斜面を急登して燧山頂に立つ。絶壁の上から200m下の樹林を見下ろすと、足の裏がモゾモゾとして落ち着かない。朝方よりは天気が好転して遠望もあるが、何れのピークも雲に包まれて全貌を窺うことは出来ない。
P424の上に黄褐色の岩が目立ち、その奥の峠道を追うとダム湖の先に福浦の集落が見えている。地形図に描かれている「縫道石特殊植物群落」とは、北米やシベリアに生育しているオオウラヒダタケのことで、日本では唯一ここで見られ、保護されていると言う。
峠へ戻って釜伏山を目指すが、野平へ下る道は土砂崩壊で通行止になっており、大回りして福浦へ引返して国道338号線を牛滝港へ南下しなければならない。しかし、途中には仏ヶ浦の名勝が在る。1954年の台風による青函連絡船洞爺丸の沈没遭難事故と北海道余市市の大火を巧みに結び付けた水上勉の名作『餓鬼海峡』を思い出し、「殺人犯が、人知れず上陸したとされる仏ヶ浦を覗いて見たい」と楽しみにして走る。
仏ヶ浦には緑色凝灰岩が浸食された奇岩が立ち並び、仏教に因む名が付けられているものが多いそうだが、展望台から見下ろすとヒマラヤ襞を思い起こさせるコントラストの強い白い岩峰が目を惹く。
川内湖の前後で芝生が気持ち良さそうなキャンプ場を見掛けるが、明るいうちに大尽山の登山口を確認して登頂の目途を付けたいので、眠気を我慢して「先ずは、恐山へ」と車を走らせる。







